宣戦布告
「なんでそんなこと言っちゃったんだよ……」
「そ、それはっ、なんというか、つい……。ええっと、勢いみたいなものですよっ?」
少しだけ開き直ったような口調で、弥富はそう弁解する。
「勢いってお前……」
こいつが智也に対して過剰なくらいの好意を持っているのは理解している。だが弥富が春日井に宣戦布告するほどとは思ってもみなかった。
ていうか。
だいたいなんでこいつ、春日井にそんなことを口走ったんだ……。そんなことしても告白の成功率が上がるわけでもないのに。
つくづく弥富という人間が分からなくなってきた。
「そんなことして、本当に智也と付き合う気あるのかよ……」
「…………」
別に返事を求めたわけではないが、このタイミングで黙られてしまうと、こちらもバツが悪い。しまったな……。今のは失言だったか。
「でも、本当にどうして? 美咲に何か言われて、とか? それとも恋バナをしていてうっかり?」
今度は加納がそう聞いていた。
なるほど、その展開はありそうだ。春日井に勘付かれて白状してしまった可能性はあるだろうし、恋バナの流れでつい勢いで言ってしまったという可能性も無くはない。
弥富はすぐに答えを返す。
「いや、私から一方的にです。智也くんのことが好きだってことを、その事実だけを、春日井さんにお話ししました」
「はぁ、そうなんだ……。じゃあどうして……」
加納はその答えが腑に落ちないというような声を漏らす。
弥富が答える。
「……ごめんなさい、今は上手く、言えないです……」
「まぁ、言っちゃったんなら、しょうがない、よね……」
ついには加納の諦めたかのような声。
だが、これに関して言えば、もう諦める他ないと思う。言ってしまった以上、今さら何か取り返せることがあるわけでもない。
実際、なぜ弥富が春日井にそんなことを口走ってしまったのかは分からない。
その行為によって弥富の何かしらが満たされたのかもしれないが、傍から聞けばその行為は愚行以外の何物でもないだろう。そして、その気持ちはたぶん弥富にしか分からないし、俺たちにとって理解できるものではないと思う。
だから、納得はできずとも、そこまで驚くようなことでもなかった。
これまでの恋愛相談部で、そういった相談は山ほど聞いてきた。なんでこんなことをしてしまったのか。そんなつもりじゃなかったのに……なんて、恋愛に限らずとも、そういう経験はありふれたものだと思う。
加納の言う通りだ。もう言ってしまったというなら後悔しても仕方がない。弥富がなぜそんなことをしてしまったのか、それをうまく言葉にできないのなら追及しても無意味だろう。――今やるべきことは、今後の対策を考えること。
「んで、どうするんだ。弥富はこれから」
漠然とした質問に対して、弥富は芯のある声で返す。
「……もちろん、智也くんに告白します」
決意は十分、といったところか。まぁ春日井にそんな宣戦布告言っちゃうくらいだからな。もともと分が悪い勝負だってことはこいつも理解しているんだろう。せめて気持ちだけは負けないように。勝つ気で臨むくらいで……。そんな気持ちが弥富の中で渦巻いているんじゃないかと、そんなことを思った。
「梓ちゃん」
「はい?」
加納が改まった声で弥富に声をかける。
「直接のサポートは無理かもしれないけど、できることは私たちもするから」
「うん。そうだね……。私も、応援してる」
何ができるかは分からないが、弥富の気持ちを無下にはできない。
確かに最初、智也に告白したいと聞いた時は驚いた。友人として、弥富の相談は受け入れ難いとも思った。
だが俺たちは『恋愛相談部』である。恋路を応援する部活動なのだ。取り巻く関係がどんなものであろうとも、俺たちは弥富の味方であることに変わりはない。
俺も、加納も、鳴海も、弥富を応援したい気持ちに変わりはないのだ。
だから――
「そうだな。俺もできることはする。明日もイベントは盛りだくさんだからな。何かサポートしてほしいことがあれば、今のうちに教えて――」
「――いえ、もうサポートの必要はありません」
「……んぁ?」
変な声が漏れた。
え、いまこいつ、何て言った?
「もう恋愛相談部の皆さんには頼らないって決めたんです。そもそも私がここに残っていたのは、温泉に来るって言ってたハルたそを待っていたからで、皆さんとの協力関係の解消をしようと思っていたからなんです」
「え、あ、はい……? どういうこと? ……もう、いいの?」
「はいっ。あとは全部一人で、この気持ちにケリをつけるつもりです」
「……もう、俺らいらないってこと? リストラ?」
「はいっ。お役御免ですっ!」
「「「えぇー…………」」」
恋愛相談部の三人そろって、呆れた声が漏れていた。お役御免ってお前……。
えっ、じゃあ本当に俺らいらないってこと? マジで?
「こんなところで変かもですけど、皆さんにはお世話になりました」
そう言って弥富は深々と頭を下げて……いるのだろうか。謎の沈黙が訪れているが女湯の様子を見ることはできないので状況もよく分からない。
分かったことは一つ。弥富の恋愛相談が解除されたということだけ。
恋愛相談部は、今日でお払い箱ということらしい。
「え、何もしてないんだけど……」
せいぜい今朝の仲介役くらいだろうか。やったことと言えば。
それ以外弥富のサポートらしいことは何一つしていない気がした。マジで何もしていないのだ。俺たちは。……えっ。いいの? 本番はここからだよ?
まぁ本人がいらないって言うんなら、こっちから無理にサポートすることも無いんだが……。
「……みなさん、ありがとうございましたっ」
朗らかな声だった。冗談でなく、本当にこのタイミングで弥富の相談は終わるらしい。なんだか拍子抜けである。それに問題は何一つ解決していない……。別に張り合いたいわけではないけれど。
相談者がこう言っているのだから、これで良し、ということだろうか。
弥富がこれからどういう顛末を迎えようが、それは弥富個人の問題になるだけであって。
俺たちは頼られない限り、口を出すことはないだろう。
「まぁ、お前がそれでいいのなら……」
――これで、終わり。
晴れて俺たちは相談から解放され、残りの林間学校を心置きなく楽しめるということらしい。
もう気に病む必要もない。弥富のことは心のどこかで応援すればいい。
弥富がそう望んでいるのだから。そう願っているのだから。
だから。俺たちはようやく――
「……ん」
前兆などない。
それはふいに訪れた気付きだった。
「ちょっと、待てよ……」
小さく独り言つ。
考えてみれば、小さな違和感のようなものでしかないのだが……。
湯気のようにゆらゆらと思考が分散していく。
思えばもう何分湯船に浸かっているだろうか。かなりの時間が経っているはずだ。
そんななか、俺の頭の中に浮かんでいたのは、小さな疑問だった。
「なんで……。あいつは……」
じゃあ春日井は。
春日井美咲は。
――なぜ、あんなにも苦しそうな表情をしていたのだろうか。