彼女の悪あがき
彼女は粘着質です。
俺はやれやれと肩をすくめ、コーナーポストで灰になってる加納に声をかけた。
「ていうか、別に俺にこだわる必要はなかっただろ」
「……はぁ?」
加納が俺のことをものすごい目で睨んでくる。こいつは俺が喋ると喧嘩腰で突っ込まずにはいられないのだろうか。俺を目で殺しに来ている。……やめろってその目。怖ぇって。
加納の威圧は無視して話を続けることにする。
「別に人員補充だけでもよかったんだろ。適当な友達でも連れて来ればよかったじゃねえか。だってお前そんなにモテるんだし。恋愛相談に関して言えば、誰かに頼る必要も……」
「……ないのよ」
ぼそっと何か聞こえた。小さすぎてよく聞き取れない。恋愛マスターの本当の意味を教えてから加納の声が小さすぎる。どんだけ凹んでんだよ。
「なんだって?」
「だーかーらー! 恋愛経験はないのよ! 告白してくる人はどいつもこいつも冴えない奴ばっかりだったから! 全部告白は振ってるから恋愛経験は無いのっ!」
思わず「うわぁ……」と声を漏らしてしまった。理由が普通に最低だった。
彼女の浮ついた話は噂でよく聞く。だが確かに、彼女が誰か特定の人と付き合ったという話は聞いたことがない。誰かに告白された云々みたいな話ばかりだった。なるほど、あくまでもこいつはモテるだけ。恋愛経験に関しては俺と土俵は一緒である。つまり雑魚。
恋愛経験がなければ、恋愛相談部としての本分を果たすことは確かに難しいに違いない。だからこそ加納は俺の情報を聞きつけ、俺を勧誘した……。そういう話だったのか。
ということで、加納の恐るべき計画の全貌が明らかとなったが、俺は彼女の計画が失敗に終わったことを心の底から安堵するのだった。完。
「……はぁ、やれやれ」
まあでも、それもこれも全部加納の自業自得である。情状酌量の余地はない。
判決は既に出ていた。もうこれ以上の議論は必要ないだろう。これにて閉廷だ。
「じゃあ俺帰るわ。頑張ってな、いろいろ」
なんだかちょっとした感動映画を見終わった後のような気分だ。少しだけ彼女を応援してやろうと思えた理由はそれだろう。こんな奴でも必死に自分を取り繕って生きているのだ。是非とも頑張ってほしい。強く生きてくれ。……さてと。さっさと帰ろう。
鞄を持ち上げて踵を返す。早足で扉の方へと向かった。
そんな俺の背中に声がかかる。
「待ちなさい!」
「待ちません。早く帰りたいので」
俺が歩みを止めることはない。この部室にいると頭がおかしくなりそうだからだ。ていうかもうこいつとは関わりたくない。怖いし。
一時はどうなるかと思ったが、俺が恋愛経験無くて助かった。完全勝利である。光風霽月。心がとても晴れやかだ。嗚呼、童貞で本当に良かった……。いや良くねえよ。
そそくさと歩き、扉に手をかける。いよいよ帰ろうとしたその時、気付いた。
――そうだ、入部届。
「ん? あっ、待てよ」
手元に入部届がない。鞄の中もポケットの中も探すが見つからない。
どこにやったものかと思考をめぐらす。
「……あ」
「ふふ、気付いたみたいね。まだアンタは逃がさないから」
「いやだから怖いって。なんなの? ストーカなの? ていうか入部届返せよ」
思い出した。そういえば入部届は加納に渡しているのだった。
加納は不敵な笑みを浮かべながら入部届を俺に見せつける。
「これを返してほしかったら恋愛相談部に入りなさい!」
なんだろう。なんだかすごい貧しい人を見ている気がする。……心が。
「いや、あのな。お前は十分頑張ったと思うよ? 俺のこと勝手に勘違いして、知らぬ間にストーキングまでして……。でもな、やってたことは最低でも、俺はお前を許そうと思う」
「なんでちょっと上から目線なのよ……?」
加納が不服そうな顔で俺を睨み付けているが知ったことではない。入部届なんて所詮は紙切れだ。職員室に事情を説明すれば予備の用紙くらいもらえるだろう。
俺はわざとめんどくさそうな顔を作ってから言った。
「それはお前にやるよ。俺はさっさと入部届を書き直して帰る。以上だ」
「ちょ――待って! もう時間がないの! 廃部の期限は今日までだから、本当にアンタに入ってもらわないと部活がっ!」
「あざしたー」
ペコリと頭を下げる。一応礼を言っておこう。何の礼か分からんけど。
再び部室の扉に手をかける。今度こそこいつとはさよならだ。
「待ちなさいっ!」
「…………くっ。しつこいぞ」
なんだよこいつ。どんだけ粘着質なんだよ。
こういう断っても絶対に諦めない女って、男には嫌われるよなぁとか死ぬほどどうでもいいことを考えてしまった。本当にどうでもいい。
俺はこの部活には絶対入らない。入るメリットが欠片もない。
だいたいこんな裏表の差がヤバすぎる奴と一緒に活動できるかっつーの。見てくれが良い以外およそ褒めるべきところが一つも見当たらねえじゃねえか。
人は見かけによらないという。……マジなんだなと思いました。悪い意味で。
さ、帰ろう。と部室を出ようとした俺だった。
――しかし、ここから思いもよらぬ展開が待ち受けていた。
『……全部嘘だろ?』
「え?」
思わず歩みを止めた。
自分の声が聞こえたからだ。
今この瞬間、俺自身が口にした台詞ではもちろんない。自分でしゃべって、自分で「俺の声じゃね!」って驚くわけはなかった。そんな奴やべえだろ。
だが明らかに、今聞こえたのは俺の声だった。
……どこからこの声が?