ボロ温泉の先客
三人で雑談を交わしつつ、代り映えのしない風景のなかを歩くことしばらく。
曲がり角を曲がった先に、異様なボロさを醸し出している平屋が現れた。
電灯がついているので誰かいるのだろう。へぇ、こんなボロい建物にも人が住んでるんだなぁとか失礼なことを考えていたら、先生がそこで足を止めた。
「ここだ」
俺たちも足を止める。ここだと言われたのでここらしい。ふむ……。うまく説明できる自信はないが、端的に言って電灯がついていなければ廃墟と間違えるレベルのボロさだった。
木造の平屋。年季が入った木の壁は本来の色から遠くかけ離れているであろう焦げ茶色に染め上げられている。屋根にはもっさりツタがのっかっていて、窓ガラスはしっかり割れていた。これ……ボロすぎるだろ。地震とか大丈夫なんだろうか。速攻で崩れそうなんだけど。
あまりのボロさにドン引きしつつ建物の中へ。玄関には別の先生が待機していた。美人な女の先生だ。先に向かったという二人の引率の先生だろうか。軽く挨拶をして、さらに奥へ。
「ここからは自分たちでな」
廊下の途中、先生が俺たちに声をかけた。
「奥に広間があって、そこから男湯と女湯に分かれてる。三人がここに集まり次第、俺と一緒に林間学校に戻ろう。だから勝手に帰らないように。一応三十分の時間は設けてるが、多少オーバーしても構わない。まぁ、ゆっくり風呂に浸かってこい」
一通り説明を受けたところで、先生と別れて広間へと向かった。
歩みを進めるたび、ぎしぎしと床から悲鳴が上がる。にしてもボロい。ボロすぎる。アレか。鴬張りかこれ。もしかして忍者対策?
加納と鳴海も、建物のボロさに驚いているようだった。あちらこちらを眺めながら「ボロっ」とか「きたなっ」とか言っていた。ここまで古びていると逆に感動するんだよな。よくぞ倒壊せずにまだ残ってくれた……! という気持ちにならなくもない。
広間に着く。想像よりもかなり広い部屋だ。
「……ん?」
部屋を見渡したときである。端の方で、一人の生徒が放心しているのが見えた。
「「…………あっ」」
声が重なった。
椅子に座ってこちらを見ている女子。見覚えのある姿である。
そこにいたのはギャル――春日井美咲だった。
「美咲だっ。さっきぶりだねー。……ここ、来てたんだ?」
「うん。まあね。もう今から帰るところだけど」
春日井は加納の問いかけに答えると、座りながらぐっと伸びをした。どうやらリラックスモードだったらしい。……ちなみに、だが。春日井の格好は上にシャツ一枚下はハーフパンツという何とも挑戦的な格好であることを追記しておこう。
おかげで首筋から胸元、太ももから足にかけての曲線美が露わとなっている。おま――。おいおい、こんなのダメだろ規制しろ規制! エロ過ぎるわ! 俺には刺激が強すぎるっつーの! こ、効果は抜群だぞ……。危うく俺のポケットなモンスターがかたくなるところだったぜ……。
「――何じっと見てんの? キモいんだけど柳津」
「あ、いや……。悪ぃ」
ゴミを見るかのような目で俺をにらみつける春日井。柳津陽斗の社会的地位ががくっと下がった。これ以上下がったら俺ひんしになっちゃうよぉ……。
バカみたいなことを考えていたら、加納が一歩前に出ていた。部屋を見渡しながら春日井に問う。
「それより、もう一人来てるって話を聞いたんだけど、友達?」
広間には俺たち以外に誰かがいる様子はない。まだ脱衣所の方にいるのだろうか。
問われた春日井の方を見る。
一瞬顔をこわばらせたかのような表情になって……。それから。
「え? あ、うん。まぁね」
加納から視線を逸らすように、そう言った。
――なんだ? 歯切れ悪いな。
友達ってわけでも無いビミョーな距離感の奴とでも来たのだろうか。同じ風呂に入れる時点で俺の中では友達も同然だと思うのだが、春日井にとっては違うらしい。友達のハードル高いな、おい。……俺なんかアレだぜ? 都合がいい人、と書いて友達って読むんだぜ? 悲しすぎるだろ。
「まぁとにかく。私は帰るよ」
「え? いいの? 一緒に来た人、置いてって大丈夫?」
まるで何か焦っているかのように、そして俺たちから早く遠ざかりたいと思っているかのように。春日井の言葉はやけに早口で、そして刺々しい。
椅子から立ち上がって、そして玄関の方へ向かう春日井。
「先生には私から言っておくから大丈夫。とにかく、もう行くから」
「あ、うん……。そう?」
俺たちの脇を通って、本当にそのまま帰るみたいだった。
と、俺の隣のところまでやってきて、春日井はぴたりと足を止める。
じっと俺の横顔が凝視されている。
え、なにこれ……。
「…………」
なんですか……。なんか顔についてますか……。
めちゃくちゃ見られてる。はっきり言ってなんか怖い。もしかして今から殴られるのかなぁ、いやだなぁ、なんてびくびくしていたら、春日井の顔が徐々に近づいてきた。
「柳津さ」
「……え?」
耳打ち。それも加納や鳴海たちに聞こえないような声量。
「もしかして……柳津が……」
「……な、なんだよ」
「…………」
沈黙が怖い。春日井の顔がすぐ近くにあるもんだから息とか当たってちょっとエロいなぁとか思ったが、そのエロさを台無しにして余りあるほどの冷たい声のトーン。……いやマジで何なの? 俺なんか悪いことした? ねえ?
「……いや、やっぱり何でもない」
たっぷりの時間を経て、春日井は諦めたような調子で顔を遠ざけた。何だったんだ今のは……。普通に焦ったんだが。でもよかったぁ……。何でもないらしい。なんかよく分からんが無罪放免のようだ。
「――あとはあの子から聞いて。どうするかは、柳津に任せるから」
去り際、春日井の言葉。
横目で見た彼女の表情は、いつになく陰っている。
まるで、重く思い悩んでいるかのように。
「……はぁ? 任せるって、何のことだよ――」
と、全てを言い切る頃には、春日井は広間から出てしまっていて……。
広間に残された俺たちはただ、しばらくの沈黙を決め込むしかなかった。
「どうしたんだろ、美咲。体調でも悪いのかな?」
「だとしたら、ちょっと心配だね……」
加納も鳴海も、心配そうに春日井の背を見送る。
彼女の態度の意味も、最後の言葉の意味も結局分からないまま、俺たちはそれぞれの浴場へと向かうのだった。