一閃
「おいお前まさか……」
その声音は今までの弥富のものとは違っていた。
弥富の台詞の意味。それを斟酌するのに一秒とかからない。
彼女の視線の先、そこには弥富の想い人たる智也がいるのだ。
会場は笑いと興奮と歓声で満ち溢れている。疑いようのない大盛況だ。智也はそれらの喝采をいっぺんに引き受けて、観衆に笑顔を振りまいていた。
この光景を、見過ごせるはずがない。
今までのやり取りを、この下らない茶番劇を。
笑って看過できない人物が、ここにはいる。
「はい。今から演壇に行って、自分の思いを告白しに行きます」
「……」
予感の通りだ。やはり弥富は壇上で智也に告白するつもりのようだった。
いやでも……。そんなことをすれば……。
「いや、それは絶対やめた方がいいだろ」
「そうですか? そんなことは無いと思いますけど」
「このタイミングはまずい。パニックになるぞ絶対に」
「……いいじゃないですか。どうせお祭りみたいなものです。この場を利用しない手はありません」
「いやだからって……」
こんなタイミングで智也に告白だなんて、冗談じゃねえぞ……。
今まさに、智也が春日井に対して告白を決行したところなのだ。その直後に弥富が告白なんてしたら、この場はどうなるか……。すごい空気になるに違いない。パニックというか時間が止まる。ついでに言うと息の根も止まる。春日井によって。弥富と俺の息の根が。……なんで俺も始末されちゃうんだよ。
だが、弥富の決意は思ったよりも固いもので。
「私は行くつもりです。もう決めたんです。誰にも止められません」
「いや、止まれよ。落ち着け、考え直せって」
お前アレか。見ちゃった? もしかして昨日、鉄血見ちゃった? 止まるんじゃねえぞ……ってか。バカ野郎。止まれ。どう考えても今じゃない。
「告白にもタイミングってものがあってだな……」
「そんなことは分かっています。でも今言わなきゃ、きっと後悔します」
「こんなタイミングで告白する方がよっぽど後悔するぞ。タイミングはまだいくらでもある。この場の雰囲気に流されるなよ」
確かに告白するには絶好の機会かもしれない。イベントにかこつける分、精神的ハードルだって低くなるだろう。けれど弥富にとってはまったく真逆の話だ。
「雰囲気に流されているわけじゃありません。私はただ……」
そこで弥富の言葉が詰まる。何か言いにくいことを言おうとしたのか。出かけた言葉はすぐに仕舞われた。
その言葉の続きが何だったのか、俺には分からない。
けれど分かることだってある。弥富は今、興奮状態になっているのだ。
場の雰囲気のせいか、二人の告白のせいか。弥富の口調はときどき上ずっていた。
きっと冷静じゃない。落ち着いて考えればチャンスはいくらでもあるはずだ。
いずれにせよ、今は大人しくしていた方がいいに決まっている。それだけは確かだ。
「とにかく、今はダメだ。もし今行けば、きっと失敗して――」
「――そんなの分かんないじゃないですか!」
弥富の声が響く。
瞬間、周りの注意がこちらに集まった。
「……げっ」
ざわつく会場。その中心には俺と弥富。
みんなに見られている。周りからの視線、視線、視線――
しまったな……。
さすがにこんなやり取りをしていれば注目も浴びるか……。やべえぞこれ。どう言い訳したもんか。
「……そこのお二人さん、もしかして何か言いたいことがあるんじゃないですか?」
司会役の生徒が調子のいい声でそんなことを言っていた。
集まる視線の数がぐっと増える。次のターゲットに選ばれてしまったようだ。
どう考えても分が悪すぎる。何とかここは上手い言い訳を……。
「あ、いや……。俺は特には……」
「――私はあります」
静寂の中でよく通る声だった。
立ち上がった弥富がそう宣言する。観衆の注目が弥富に向いた。
「……おい。本当に行く気かよ」
まだ間に合う、そう思って再び制止するよう声をかけたが……。
「行きます、もちろん。これ以上は――見ていられなかったので」
――震えていた。
声も、身体も、震えていた。
弥富のその言葉に、俺は返すべき言葉を見失う。
「…………」
沈黙を肯定と捉えたのか、弥富は俺を一瞥してから演壇の方へと足を進める。
その後ろ姿を見ながら、俺は彼女の言葉を反芻した。
――見ていられなかった。
そう言った彼女の表情。鬱屈としていた。
どこか沈んだ面持ちで、何かを逡巡するかのような、悩んでいるかのような。
そう感じさせる声音と顔色で、彼女は演壇の方へと向かって行った。
もう弥富は演壇の上に立っている。
そのすぐ隣には智也がいて、弥富のことを見守るように注視している。
……弥富のことを、なぜ俺は止められなかったのだろうか。
今ここであいつに告白させたところで、幸せな結末は訪れないだなんて、分かりきっていたのに。止められなかった。無理にでも止められたはずなのに。沈潜し、結論を出す前に、俺の思考は弥富の声によって中断される。
「……や、弥富、あず、さです」
途切れ途切れの声。自信なさげな瞳が泳ぐ。
声を振り絞り、思いを言葉にせんと息を漏らしている。
息遣いはリズムを失って、荒立つように早まっていた。
「私は、その……。ここで、言いたいことが……」
今にも消えてしまいそうな声を何とか紡ぐように。繋ぎ止めるように。
声を出して、言葉にして。
震える手をぎゅっと握りしめ、覚悟を決めるかのように。
弥富は、緊張の中で一人思いを綴り続ける。
「その……、す……す……」
もし、ここで弥富がすべてを話せばどうなるだろうか。
智也への思いを、未だに諦めきれない彼への思いを、この場で吐露してしまえば。
考えなくても分かる。その先に待っているのはきっと――
「すき……な………えっと、その……」
黙ってこの光景を見ているしかないのだろうか。
指をくわえて事の成り行きを眺めるしかないのだろうか。
弥富の相談はまだ生きている。あいつのためにできることは何か。最善の方法で、最高の可能性で、あいつの願いが叶うようサポートすることが俺の宿命だとしたら……俺にできることは何か。
このまま弥富がすべてを話すことが最善の方法か。
この場で弥富が思いをぶちまけることが最高の可能性なのか。
――違う。そんなはずはない。
そうじゃないことは分かりきっている。
問題はどうするか。何をするかが問題だ。そうだ。もう時間はない。あいつの暴走を中断させる方法は何かないのか。
俺もなにか宣言するか? あの演壇に行ってあいつを止められないか? だが演壇に行ってどうする……? 何を喋る? 何を語る? 何をして引き留める?
「…………っ」
最善手がない。考えがまとまらない。こうしてる間にも時間は刻々と過ぎている。とにかく時間がない。今は考えるより動くのが先だ。まず立つんだ。そうだ、立って、何か気の引くようなことを言って、それから――
それから――俺は……。
「――あのっ、いいですか!?」
衝撃を受けるように。
後ろからこだました震えた声は、確かに俺の思考の途中に割り込んできて。
視界の先で叫んでいたのは――
「――弥富さんに、い、いっ、言いたいことがあるんですっ!」
俺と同じ恋愛相談部の部員、鳴海莉緒だった。