ふたりの噂
バーベキューの片付けをせっせとこなし、時計を見ればもうすぐ午後三時。
広場で解散の合図が為され、この後は自由時間だと伝えられた。
さて。自由時間か。
自由時間とか言われても、困ってしまう。
――人間は自由という名の刑に処されている。有名な言葉だ。誰が言った台詞なのかは知らないが至言である。つまり、自由であるということは不自由であることと同義なのだ。何が言いたいのかといえば、自由時間とか言われてもすることが無かった。
近くにいたクラスメイトが仲間を集めてバドミントンをしようとか言っている。このクソ暑い中よくやるもんだ。彼らの体力が底知れなくて怖い。本当に同い年なんだろうか……。
林間学校にはスポーツ用具がある程度揃っており、自由時間は好きに使っていいと聞いた。だがそんなものを俺が好き好んで使うはずもないので無用な情報だった。
おじいちゃんレベルの体力しかない俺は、迷わず宿舎棟へと戻る。
智也と犬山は広場に残るかと思っていたが、涼しい部屋で休憩したいと口を揃えて言った。
というわけで、三人そろって部屋に帰還。バーベキューの臭いが染みついた臭いシャツを脱ぎ捨て、替えのTシャツに着替える。
それからはしばらくスマホをピコピコしていた。実にゆったりとした時間である。
林間学校の趣旨に真っ向から反対する行為だが休息は大事だ。ソシャゲの定期イベントもあるし、どこへ行ってもスマホの無い生活は考えられない。……とか思っていたのだが電波が全然飛んで来ない。おいどうなってんだ。
最近のゲームはネットに繋がっていないとロクに起動すらできない仕様だ。ゲームはもちろん、ネットが使えなければスマホの大部分の機能は死んだも同然である。Wi-Fiなんていう便利な設備がこのボロ部屋にあるはずもない。つまりこの環境においてスマホはただのゴミという訳だ。現代っ子を完全に殺しに来てるな、マジで。
うーん、どうしよう。本当にすることがなくなってしまった。
ここは智也に構ってもらうか……。
「……暇だな」
「そうだな」
――かくして、会話が終わった。いやもうちょっと喋れよ俺たち。
張り詰めたような沈黙とかそういうのではなく、弛緩しきったゆるい雰囲気が部屋の中に立ち込めている。窓の外からはぽかぽかとした陽気が感じられ、うっかり気を抜けば眠ってしまいそうだった。
「そういえば」
うつらうつらしていると、智也が間延びしたような声で口を開いた。俺か犬山か、どちらに向けられたものか分からないので相槌は打たない。
「琴葉ちゃんのこと、どう思ってるんだ? ぶっちゃけ好きなのか?」
ふん……。どうやら俺ではなく犬山に向けての発言のようだった。なんせ俺はあいつのことなんて何とも思っていないからな! 当然、好きなわけもない。そういう素振りを智也にした覚えもないので、今の発言は俺に向けられていないことが容易に分かる。
恋バナか、青春だなぁと思っていると、
「おい、聞いてるのか陽斗」
「俺かよ……」
はい、俺でした。まあそりゃそうだよね。犬山には小牧っていう彼女がいるんだし。
「ちょっと言ってる意味が分からなくてシカトしたんだよ。加納が何だって?」
「琴葉ちゃんのこと、どう思ってるのかって聞いたんだ」
「ゴリラ女」
他に表現のしようがない。あいつに対する憎悪の気持ちは「嫌い」だとか「憎い」だとか陳腐な言葉で片づけられるものではなかった。かといって俺の語彙力が加納の本性を表せるほど豊かでもなかったので、表現としてはやはりこれに落ち着くわけだ。シンプルかつ的確に加納の性格を表しているだろう。
自分の表現に満足していると、犬山が驚いたような声を出してこちらを見ていた。
「え? 加納さんってあの加納さんだよな? ゴリラ、ってどういうことだ?」
純粋な瞳だった。……あーそっか。犬山って加納の本性知らねえんだっけか。うわぁ、めんどくせぇなこの状況。
「あー、いや。なんというか。アレだ。あいつの胸すごいだろ。ゴリラって感じだろ。だからゴリラ女」
「あぁ……。確かに加納さんの胸すごいけど……。でもゴリラっていうのはかわいそうだろ」
「まあ確かに」
素っ気ない返事が漏れる。ごもっともな意見だった。
だがあいつの本性を知らないからこそ、そういう感想が出てくるわけだ。こいつも加納の本性を知ったら、きっと俺のことを理解してくれるに違いない。かわいそうだと思うのが、加納でなくて俺になるに違いない。
「そうだな。ゴリラはやめて乳牛とかに改めるわ。指摘サンキュー」
「おう……。よく分からんけど、それもどうかと思うぞ……」
ゴリラなんて口走ったせいで犬山と益体の無いやりとりをしてしまった。この反省を踏まえてこれから加納のことは乳牛と呼ぼう。そうしよう。
続けて犬山は智也に尋ねる。
「ごめんな、途中で口挟んで。何の話だっけ?」
「ああ、陽斗の話だよ。ここ来る前に、陽斗が琴葉ちゃんのこと気にしてるみたいだったからさ? それで――」
「おい待て。そんなこと言ってな――」
いぞ。と言いかけたところで言葉が詰まった。なぜかといえば智也の言うようにそんな発言をした記憶があったからだ。あぁなんか言ったな俺。なんて言ったっけ。
「琴葉ちゃんとお近づきになりたいみたいな……? そんな感じのことを言ってたんだよなぁ」
「まじか。ひゅーひゅー」
……そうだった。弥富の相談に協力すべく、そんな嘘をついたんだった。くそ、厄介なことになったな……。何とか釈明したいが、下手なことを言えば智也に弥富が相談者であることがバレるかもしれない。かといって変な噂は御免だ。加納のことが好きだなんて天地がひっくり返ってもあり得ない。
どう説明したものか……。
「――でも、その噂って結構有名だよな?」
「「え?」」
犬山の発言に、俺と智也の声が重なった。
「は? 噂?」
思わず聞き返す。言っている意味がよく分からない。
「……なんだ? 知らねえのか? まあ柳津が知らないのは分かるけど」
「いやちょっと待て犬山。何の噂だよ。俺って噂になってんの?」
聞いたことがない。俺の噂……。え、マジで俺の噂ってなんだよ。
「いやだから……。柳津が加納さんのこと好きだって噂だよ」
「はぁ?」
本当に知らないのか、とでも言いたげな顔で犬山は淡々と答える。
「なんでそんな噂が……」
「そりゃ一緒に部活してるからじゃねえの? 加納さんと鳴海さん、それから柳津の三人で放課後楽しそうに会話してるって専ら噂だぞ? んで、柳津は確実にどっちかの女子のことが好きで、そのうちフラれるってシナリオらしい」
「そんな噂があったのか……知らなかったなぁ」
「つーかシナリオ仕立てなのおかしいだろ」
しかもフラれるというエンド。まあ実際フラれるんだろうけど。鳴海ならまだしも、加納に告白とかありえなさ過ぎてアリエンティ。(死語)
「俺はその噂知ってたから、てっきり柳津は加納さんのことが好きなのかと」
「んなわけねえだろ……」
これだから噂は良くない。本人のいないところで好き勝手言ってくれたもんだ。
でもまあ加納って実際めちゃくちゃ可愛いし、鳴海も全然引けを取らないわけで。そんな美少女に囲まれた空間で、好きにならないはずがないと思われるのは分からんでもない。傍から見たら当然のことなんだろう。いいなぁ。俺もそっち側に行きてぇよ。
「俺は別に加納のことなんて好きじゃない。智也に言ったのもアレだ……まぁ、友達的な意味で仲良くなりたいって意味だよ……、うん、マジで」
「そうなのかー? 怪しいなぁ」
「同感だなー」
うっぜぇ、こいつら……。自分たちは彼女いるからって調子に乗りやがって。
こういうイベントに恋バナはつきものだと理解しているが、それにしたってエンジンかけるのが早すぎだ。普通夜だろ夜。早ぇよ。別に夜だったらいいって意味でもないんだけどさ……。
まぁ恋バナが始まったところで、俺に鉄板ネタがあるわけでも無い。そもそも俺は誰かを本気で好きになったことがあるんだろうか。
――どうだろう。
少し、考えてしまった。答えははっきりと出なかった。
もうこの時点で俺はとても悲しい奴なんだと悟ったが、それ以上に空虚感のようなものが胸を支配していることに気付く。人を好きになることは、簡単なようで実はとても難しいことのように思える。俺にできるのだろうか。そんなことが。
――くっそ、なんか気持ちわりぃこと考えちまった。
それもこれも、全部Wi-Fiが無いせいだった。早く終わってくれよ自由時間。
ため息をこぼしながら、俺は腕時計を見て次のイベントまでの時間を計算するのだった。