おみやげには何を
いよいよ林間学校に行きます
忠節高校林間学舎は日本アルプスのなかでも北アルプスと呼ばれる飛騨山脈の南部に位置している。
高校自体が施設の管理を行っており、いわば忠節高校専用の学舎とでも言えばいいだろうか。夏の林間学校以外でも、たとえば卒業生が申請を行えばいつでも施設の利用は可能なのだという。
しかも利用料は格安。確か一泊数百円とかだったはずだ。……安い。安すぎる。今どき、青少年自然の家でももうちょっとふんだくると思う。
そんなわけで、忠節高校出身のOB、OGが少しでも旅費を抑えるために利用している……わけでも無いらしい。というか、ほとんど一般からの利用は無いという。
原因は明白だ。立地がクソなのである。
高速道路を利用しても、ここから車で三時間以上かかる距離。なぜそんな遠くの場所に学舎があるのかは知らないが、担任曰く、都会の喧騒から抜け出した自然豊かな場所だからこそ、のびのびと活動を行ってほしい、とのこと。要約すると『田舎に泊まろう』ということである。……おいマジか。心霊現象とか起こりそうで怖くなってきたぞ……。
さて、アホみたいな前置きはこれくらいにして、お待ちかねの林間学校活動内容を紹介しよう。
活動内容は主に、野外炊飯、レクリエーション、ハイキング(3000m級)、キャンプファイヤー、そして温泉。
うーん、なるほど……。このラインナップを見ると温泉(混浴希望)くらいしかウキウキするイベントがないですねぇ。でも逆に言えば温泉(混浴だよね?)があるから俺は林間学校へ行くモチベーションがあるともいえる。ありがとう、温泉(混浴でおねがいします)。
しかしアレだな。本当に子供だましみたいなイベント尽くしだなぁとか思っちゃうな。なんなの? キャンプファイヤーって。火を見て喜ぶとか小学生じゃねえんだからよ。高校生ともなれば火じゃなくてゲームで遊ぶんだぜ? 知ってた?
あとハイキング。これだけはホントに意味分かんねぇ。ハイキングってなんだよ、ハイキングって。――括弧内に3000m級って書いてあるんだけど? それもう登山通り越して山頂アタックじゃねえか。おかしいだろ。なに他のイベントに紛れ込んでちゃっかり体育会系イベント入れちゃってんの? 登れるわけねえっつーの。俺二階の自室に上がるのですらやっとなんだよ……?
「これは仮病使って休むしかねぇな……」
しおりに書かれたハイキングの欄。
そこにペンでバッテンを書きつつ、俺はコーヒーを啜った。
壁時計を見る。時刻は七時を過ぎたところ。
そろそろ行くかと思って立ち上がったとき。リビングの扉が開かれる。
「……え、兄ちゃんなんで起きてんの?」
瞼を擦りながら現れた遥香。少し驚いたような表情で俺を見た。
「おはよう遥香。今日から林間学校だからな」
「あぁ……。そういえば言ってたねぇ……」
そう呟き、遥香はキッチンの方に向かう。冷蔵庫からサイダーを取り出して、ぐびぐびと飲み干していた。……朝からすげえなお前。もしかしてゲップせずに山手線の駅名言えるんじゃねえの?
「そういうわけだから、今日はもう出る」
「あーそ。いつ帰ってくるの? 一か月くらい?」
「……俺は山へ修行しに行くのか?」
それを聞いて、何か月も山籠もりする僧侶の話を思い出した。ははぁ、そうか。てことはこのハイキングってのは修験道だったわけだ。林間学校のイベントにはもってこいだもんな。なるほど納得。……んなわけあるか。
「三日後な」
「あー。分かった。覚えてたら覚えておくね」
「それ、すぐ忘れる奴のセリフだから友達には使わない方がいいぞ」
全然信用ならない言葉といえば他にも色々ある。例えば『俺ぜんぜん勉強してないわ』とか『怒らないから正直に言いなさい』とか『本面談は選考ではありません』とかな……。最後のはネット上の就活生が言ってたやつなのでよく分からない。
まぁなんだっていいんだが。とにかく俺はしばらく留守にしているというだけだ。
三日間か……。短いようで長い気もする。
遥香のことも、少しだけ心配だ。
「俺がいないからって泣いたりすんじゃねえぞ」
「…………」
ん、あれ……。おかしいな。目測二メートルの距離でガン無視されてるぞ。え、聞こえてるよね? 俺の声が通ってないわけないよね? ――あ、睨まれた。死ねっていう目だ。良かった、聞こえていた。
「そういうの止めてくれない? マジキモいから」
「あーはいはい。悪かったよ」
まあこいつも思春期だからな。つまらない冗談は控えていくべきなんだろう。それにこのご時世、何を言ったらハラスメントになるか分からん。この前も加納に「爆乳」って言ったらなぜか殴られたし。……それはただのセクハラなんだよなぁ。
下らないことを考えていたら遥香が俺のことを馬鹿にしたような目で見ていた。
「まあいいや。おみやげだけ、よろしく」
「おみやげなんてあるわけねえだろ。話聞いてた?」
「そうなの?」
「当たり前だ。林間学校だぞ。学校に行くんだよアホ」
「林間学校なんて、どうせ遊ぶだけでしょ? 別に勉強しに行くわけじゃあるまいし」
「まぁそれはそうかもしれんけどさ……」
だからって土産はないだろさすがに。自然豊かな場所にあるらしいから、珍しい虫とか持ってくればいいのか俺?
続けて何か言い返そうかと思ったが、当の遥香はテレビをつけてもう俺の話など聞いていなかった。俺に負けず劣らずイベントごとに関心を示さない遥香である。
こういうのって、兄妹の修学旅行とか羨ましがるもんだと思うけどな。自分だけずるいーとか言って。まあ俺の場合は旅行に行っても大した思い出なんて出来ないから、中学に上がる頃にはそういう気持ちも冷めていたが。
「――土産話、でもいいよ」
ぽつり呟かれた遥香の言葉。その声はいつになく小さい。
驚いて遥香の方を注視してしまう。
「え、今なんて?」
「……うっさい死ね」
鋭い視線が突き刺さった。
あ、やべえ。普通に機嫌悪そう……。
死ねとか言わなくてもいいでしょ、めっちゃひどいこと言うじゃん。
怖くなったので退散することにした。
「んじゃまあ、行くわ……」
重たい鞄を持ち上げて、俺はリビングから出ると玄関の方へ。
いつもの登下校とは違う厚底のスニーカーに履き替える。
――今から、二泊三日、か。
本当のところ、遥香の声は聞こえていた。
土産話……。
それが用意するの一番ムズイんだけど。
「いってきます」
でもまぁ……。
少しくらい頑張ってみるか。思い出作りというやつを。