豹変
正体見たり。
沈黙が肌に刺さって痛い。張り詰めた空気の中では呼吸することさえ辛かった。
そうなった原因はもちろん俺だ。どう考えても今のは流れ的に『俺が恋愛相談部に入部するよ!』とか言う展開だったのに。俺がそれをぶち壊した。
……見ていられなかったのだ。
恋愛相談部に入部するよ、と声をかける方がむしろ簡単だった。そうした方がお互い幸せな展開が待っていることも予期できた。
だが、俺はそうしなかった。なぜなら。
――加納琴葉は、猫をかぶっている。
そう思ったからだ。自信はあった。
「……どういうことかな?」
戸惑いで震えているのか、怒りで震えているのか、少なくともその震えた声は今までの加納さんの声とは違うものだ。
「いや、なんだ。言葉通りの意味だ。演技はやめろってことだよ」
「……演技?」
「そう。今までの作り笑いも、気迫こもったお涙頂戴の悲劇も、全部嘘だろ?」
「……どうしてそういうこと言うの?」
加納さんは目に涙を浮かべていた。一瞬、やってしまったかとビクつくが、もう後には退けない。言葉を継ぐしかない。
「俺も分からなかったよ。さっきまでは。加納さんのこと本気で心配したし、同情した。恋愛相談部に入って俺が問題を解決してやれるかな、とさえ思ったよ」
だが、最後の最後で気付いた。何かが引っかかった。それは違和感に近かった。
俺は畳みかけるようにして言葉を重ねた。
「でもさすがにおかしいだろ。加納さんと俺は初対面だよな? こんな俺を勧誘して、目的がないって方が無理ある話だ。なんで加納さんは初対面の俺を勧誘したんだ? 今日までに勧誘する時間はいくらでもあっただろうに」
俺の言葉に、加納さんは俯いて聞いているだけだった。
「なんで加納さんはあの時間に、あの場所にいたんだ? なんで加納さんは他の奴をここへ勧誘しないんだ?」
問う。待つが返事はない。加納さんは俯いたままだ。
それは無言の肯定と受け取られても仕方のない行為に他ならない。
痺れを切らした。言葉にすることをやめられなかった。
「だいたい、こんな冴えない俺なんか勧誘して何を企んでたんだ。俺が加納さんに釣り合うわけないのに……。つーかラブコメじゃねえんだから、こんな展開ありえるわけねえだろうがあっ!」
……もう最後の方は自分でも何を言っているのか分からなかった。
でも言いたいことは言った。ラブコメなんて現実にはあり得ないのだ。
こういう展開はアニメやゲームで散々見てきた。腐るほど見てきたお約束だ。だがそれはあくまでも二次元の話。現実じゃない。物語とか虚構とか、そういう類の話なのだ。智也も言っていたではないか。現実とは違うのだと。
だからこそ感じ取れた違和感かもしれない。まるで量産型ラブコメの一話を見ている気分だ。お前は理由もなく主人公を好きになるハーレムアニメのメインヒロインかっつーの。
……ふぅ。
どうだ、言ってやったぞ。俺はドヤ顔を高笑い交じりに披露する。化けの皮を剥がされた気分はどうだ? ねえねえ、いまどんな気持ち? どんな気持ちよ?
――とか思っていたのだが。
「……ひどいよ。柳津くん」
――あれ?
加納さんは目に涙を浮かべたまま、俺を見ていた。
真っ直ぐと、その瞳を俺に向けて。
……綺麗な瞳をしている。
これはもしかしなくても、アレか。
俺の、勘違いか。
本当に加納さんは嘘偽りなく、ただ俺を勧誘していただけなのか……?
だとしたら、俺はただ彼女を泣かせているだけ……?
冷や汗が頬を伝う。中学三年の頃、『女殺し』というあだ名を付けられていたことを思い出した。あのあだ名付けたやつ天才かよ。めちゃくちゃ先見の明あるだろ。
……いやいやいや。
落ち着け柳津陽斗。落ち着くんだ。ここで俺が謝ればそれまで。俺は学校一の美少女を泣かせたクソ野郎として学校中にその名を轟かせることだろう。もう事実なんですけど。
であれば、俺は自分の立場を突き通す他ない。男に二言はないのである。
「な、泣けばいいってもんじゃ……! す、すべてお見通し、な、なんだからなっ!」
なぜか俺の方まで泣きそうになっていた。俺の未来ある高校生活が音を立てて崩れていく音がした。
……やってしまった。なんで俺はこんなことを。初対面で色々おかしかったとはいえ、こんな可愛い子が俺を騙す理由がどこにあるというのだ。可愛いは正義ってマジなんだな。
加納さんは本当に純粋な女の子なのだろう。たとえ初対面の俺に対しても、こんなに優しく、こんなに真摯に接してくるのだから。間違っていたのはどう考えても俺の方だった。反省以外の何物でもない。
ここで俺が恋愛相談部に入ると言ったら、彼女は怒るだろうか。怒るに決まっている。彼女は俺に傷つけられたのだ。そんな解決法があってたまるか。
「…………」
加納さんは沈黙していた。俯いていて表情は読み取れない。もう完全に俺が悪者っていう雰囲気だ。雰囲気というかただの事実。
加納琴葉はスクールカースト最上位に君臨する生徒。友達たくさんで交友関係も多数。明日には彼女が全てをぶちまけて、俺のもとにアサシンが飛んでくるのは太陽が西から昇るより明らかだ。これでいいのだ……ってんなわけあるか。
何かフォローをしなければ明日の俺がヤバい。たぶんさっき音を立てて崩れたのは未来の高校生活なんかじゃなくて明日の俺自身。これでは中学時代の俺に逆戻りだ。なんなら中学校の時よりもひどいことになる。
……せめて、やっぱり謝罪を――
「フフッ……」
笑い声。
聞いたことの無い声音で奏でられた笑い声だった。
思わず身震いした。この部屋には俺と加納さんしかいない。……誰の声だよ、今の。
突然のホラー展開に俺は辺りを見渡す。やっぱりこの部屋には二人だけである。
「……加納さん?」
気付けば、加納さんは肩をがくがくと震わせていた。もしかして泣いているのか。表情はやはり俯いていて見えない。
「あの、加納さん……?」
そう声をかけた瞬間、俺は異変に気付いた。
同時に、加納さんはゆっくりと顔を上げた。
息を呑む。
――彼女は、笑っていた。