第974話 絶対零度の覚悟
<午後二時 中央広場出店区画>
「ハァ……ハァ……!」
「……カル! カルディアス!! 私がわかるかい!?」
教師ハンナはその図体を大きく揺らし、汗だくになりながら走ってきた。その場所はウェイブ魔術協会の天幕である。ここに所属している教え子パーシーに、緊急事態だから来てほしいと頼まれたのだ。
事情を話すとすぐに裏側に通される。厳重に結界が張られたその部屋には、一人の青年が横たわっており――
「ハンナ先生! おいカル、先生も来てくれたぞ!! さっさと起きろ!!」
「~~~!!!」
ウェイブ魔術協会に所属する魔術師パーシーと、そのナイトメアであるソロネ。どちらも起こそうと彼の身体を揺らすが、別の魔術師に止められる。
「怪我人にそう刺激を与えるんじゃない! いくらお前の友達だったとしてもだ!」
「っ……」
「感情的になるのはわかるが、今治療をしているんだ。もうちょっと結果を待ってろって」
「……すいません」
パーシーは恩師であるハンナの声に反応して、彼が目覚めるのではないかと思ったが、その目論見は呆気なく散った。
「どうかお願いします、この子は私の教え子なんです……辛い過去を背負っているのに、こんな……」
「カルディアスと仰いましたね。パーシーに加えて、恩師である貴女も。やはり彼は……」
「はい、この子はイズエルトの王子で……最近行方不明になっていたんです」
ウェイブ魔術協会は、アンディネ大陸の東沿岸部を拠点にして活動している。そのこともあり沿岸線の哨戒任務を頻繁に行っているのだが、ある日異様な物体が発見された。
それは青年の肉体だった。全身を氷で覆われていたが、かなりの間海を漂っていたらしく、石に打ち付けたであろう窪みが所々に残っていた。少しだけ氷を溶かした所、傷口から血が流れ出した。傷口を凍らせて固めることで、体力の消耗を抑えていたのだ。
確証はなかったが、誰かが言った。彼は行方不明だったカルディアス王子ではないかと。そして対抗戦にヘカテ女王が訪問しているという話を聞いて、合流するべく彼を送り届けたのである。
「失礼する……ッ!」
「カル!! カル、ああ、どうして……!!」
「ま、待ってください、これだと狭い……!」
「ああすみません、私が大柄なものだから……一旦出ます!」
「申し訳ないですハンナさん……!」
ハンナが出ていくのと入れ替わりに、イズエルト王国王女イリーナと、参謀の氷賢者ことパーシヴァルが入る。真っ先に突入してきた女王ヘカテは、彼の肉体にしがみつき涙をこぼしていた。
「……一応心臓は動いていますが、ここから持ち直せるかどうか。ですがまだ希望がある以上、できる限りのことは行います。アスクレピオス協会にも現在協力を申し出ている所です」
「それなら私が行います……大切な息子の為だもの、いくらだって頭を下げるわ……」
「女王陛下、そのようなことをなさなくとも、アスクレピオスなら協力してくれることでしょう。彼らは信頼に値します」
氷賢者がそっと耳打ちをする。イリーナは弟の手を優しく握った。
「本当に!! 本当にこいつを見つけたのが俺達でよかったです!! あ、こいつって言っちゃった……」
「いいのよパーシーさん。貴方には何から何までお世話になっているわね……」
「感無量であります女王陛下ッ!!」
大きな声で敬礼をしたかと思えば、落ち着きがなくうろうろし出すパーシー。
「……パーシー、お前ちょっと外に出てろ。何もしないなら迷惑だ。心配なのはわかるけどよ」
「申し訳ありませんっ!!」
「アスクレピオスの方が到着したら、彼らにも入ってもらいます。なので……」
「我々がいたら手狭になってしまうな。女王陛下、イリーナ殿下。外で待っていましょう」
「……そうね。今私が祈った所で、何も変わらないものね……」
「……全てを託す。弟をどうか……」
「はっ! ウェイブ魔術協会の名に懸けて誓いましょう!」
こうしてカルディアスの治療を行う者だけが残り、他は全員天幕の外に出ていくのであった。
とりあえず移動した先は裏の森。ヘカテやイリーナがいる都合上、ここだと目立たないという結論になったのだ。
「おや、皆揃って出てきたのかい」
「ハンナ先生……俺もう不安で溜まらねえよ……」
「私もだよパーシー。ったく、一体どんな無茶したんだあの子は……」
揃って出てきたタイミングに合わせ、合流してきたハンナ。彼女の視線はヘカテに向けられている。
「実は……今回ばかりは、私もよくわかってなくて……あの子が独断で行動したみたいて」
「エレイネ事変の時はイズエルト軍を率いていたのですが、その時に忽然と姿を消したのだそうです。そこから三ヶ月も姿を見せず、見つかったと思えば……」
「くっ……何かよくないものでも見ちまったのかねえ。心当たりはあるかい?」
「……ウェルギリウス」
氷賢者がぼそっと呟いた言葉を、全員が聞き逃さない。
「ウェルギリウスだって? 大監獄の島じゃないか! そこで何か見ちまったのか!? どうなんだよ!!」
「ハンナ先生落ち着いてくれ! 教え子があんなことになって、憤る気持ちはわかるけど! 怒った所でどうにもならない!」
「うっ……そうだねパーシー、私どうにかしていたようだ……」
「俺だって動揺してるよ……知り合いを失うかもしれないって恐怖が、ここまで恐ろしいものだなんて」
「そう、そうなのよパーシーさん、ううっ……」
ヘカテは感情が噴き出してしまい、泣き崩れる。イリーナが支えるが中々起き上がれない。
「あの人も……私の夫、カルヴォートも……仕事に行ったかと思えば、海を漂って帰ってきた……カルの今の状況が、その時と全く同じで……!」
「母上……カルは今運び込まれて治療を受けております。発見された時点で息絶えていた父上とは、状況が違います……」
「そうなのよイリーナ!! ああ神よ、ウェンディゴ族を護られるカルシクル神……! 息子を助けてくださり、感謝いたします……!」
もはやヘカテは母親としての安心感に襲われてしまい、周囲を気にする余裕がなくなってしまっていた。
「……うっし!! 私はもう覚悟を決めた!!」
感傷的なヘカテに引っ張られまいと、ハンナは大きな声で気合を入れる。
「私は今の自分にできることをする! カルが、私が教えてきた全ての生徒達が、自慢できるような教師であり続ける! 世界の大舞台に立ち向かっていけるような子に育て上げるのが、私の役割だ!」
「カルはそのように育てた! だからあいつは大丈夫! 絶対に舞い戻ってきて、素晴らしい役柄を演じてくれるさ――!」
自分に言い聞かせるような覚悟を宣言した後、ハンナは立ち去ろうとする。
「パーシー! 久々にあんたの顔も見れて嬉しかった! 元気にやるんだよ!」
「あっ、ハンナ先生! 急にお越しいただきありがとうございましたー!」
彼女の切り替えの早さには、思わず感情的な気分も吹き飛んでしまうというもの。ヘカテも驚いて真顔になりながら、彼女の背中を目で追っていた。
「……先生はやっぱり凄いな。伊達に曲芸体操部の顧問やってない」
「俺も先生を見習って頑張らないと……ということで、俺は仕事に戻ります!」
「~!」
パーシーとソロネもヘカテ達に軽く挨拶をした後、仕事場であるウェイブ魔術協会の天幕に戻っていくのだった。
「……ふっ、ふふふっ……」
「元気は出ましたかな、女王陛下」
「ええ……お二人を見ていたら、ね。それにしても私、恥ずかしいことをしてしまったわ……」
ヘカテは立ち上がったかと思うと、顔を両手で覆う。頭頂部の王冠が光に照らされた。彼女の心を表現するように。
「カルの担任の先生と、カルのお友達。こうして会うことができたのに、私ったら挨拶もせずに自分のことばかり……」
「グルルッ!!」
「きゃあっ!?」
突然ヘカテの肉体から出てきたのは、ナイトメアの獣戦士マーク。そして主君を引っ張っていこうとする。
「はは、そう思っているなら行動に移せといった所かな? 私も賛成だ」
「そ、それはそうだと思うけど、一回離して! 少し準備をするわ!」
「ガウッ!」
「――」
早くしろよと言わんばかりに、マークはふてぶてしく待機する。そこにイリーナの保持している槍、ナイトメア・ニーアが出てくる。
「ニーア、ここから貴族天幕区に行くルートを割り出してくれ。なるべく人目を買わないような位置を通ろう」
「!」
ニーアは槍先で地面に傷をつかながら、独りでに動き出す。この線を辿れば難無く到着できるだろう。
早速それを追って移動開始――と言いたい所だったが。
「……あら? 氷賢者様が見当たらないようだけど……」
「突然向こうの方へと行ってしまわれました。何かあったのかもしれません」
「そうね……氷賢者様にしか見えない何かがあるのでしょう。あの方はいつもそうよ」
ヘカテは手を口元に当てて笑う。そしていくらか気持ちが落ち着いてきたようだ。
「ふう……ねえイリーナ。私は以前より、女王らしく振る舞えているかしら?」
「いつだって貴女は、私が尊敬する女王でありますよ。どうかされましたか?」
「あのね……ちょっと考えたの。カルディアスもカルヴォート様も、己の役割を最後まで全うしたんだなって」
イズエルト王国は代々女性が王を務める。故に男というのは、それを支えるのがいつの時代も求められてきた。
ある意味それは幸福なことなのかもしれない。生き方をある程度決められて、それに死力を尽くせばいいのだから。
「だから二人に倣って、私も自分の役割をとことん追求してみようと思うの。折角与えられたものなのだから……」
「母上……」
「グルルゥ! ガルル……」
「そうねマーク、私は女王をやるか不安だったわ。今でもほんの少し残ってる。でも……不安だって言ってるばかりじゃ、何も始まらないもの」
「皆、誰だってそうなのよ。求められている役割ができるか、最初はとっても不安。見様見真似で演技をしていくうちに、本当の『役』になれるんだわ」
「カルディアスもカルヴォート様も、きっと最初はそんな覚悟は定まっていなかった……でも立派に成し遂げている。私もそれに応える覚悟を決めないと、ね」
イリーナは黙って頷く。次期女王となる身、母の言葉は自分にとっての教訓でもあるのだ。
「はい……私も母上と同様に、王女としてできる限りのことを尽くす覚悟であります。国の歴史に並べ立てられるような、名役者を目指して共に精進いたしましょう」
「ありがとうイリーナ……さあ、ニーアも戻ってきたことだし。先ずは目の前のことをこなしましょう」




