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第九百三十七話 路地裏シュラハト

「さて……着いたよ、兄さん」

「感謝する。これはチップだ」

「ありがとさん……」



 ヴィクトールはヴォンド銅貨を御者に渡し、馬車を降りた。そして馬車は小走りに町を去っていってしまう。



「……? 忙しいのか」

「~?」

「他人の事情なぞ、とやかく考えることはないな……行こう」




 影に入っていたシャドウは、降りると当時にマントに変身し、ヴィクトールの肩に覆いかぶさる。



 それを待ってからヴィクトールは足を進めた。グラドの町、自分の生まれた故郷に、堂々と正門から入る。











(……っはあ。グラドは、グラドは本当にだめなんだ……価格吊り上げちまったけど、あの兄ちゃん感じ良かったから許してくれるだろ)



(しかし、一体全体どうしてなんだ? グラドっていうか、ケルヴィンに近付くと、圧迫するような空気感に襲われる。ケルヴィンの連中や、あの兄ちゃんは普通にしていられたのが不思議だが……)



(そんなこと……考えなくてもいいか。ああでも、またケルヴィン方面に行きたいって客が来るかもしれねえし……)











 久しぶりに訪れるグラドの町は、表面上では変化が見られなかった。大規模な事件に見舞われたりはしていないので、当然とも言える。



 だが外面が変わっていないだけであって、町に住まう人間は確実に変化していた。





「~?」

「ん、これは美味い匂い……」



 通りを歩いている最中、肉が焼ける香ばしい匂いがしたので、ヴィクトールはその方向に釣られて歩く。








 その先にあったのは――




「これは……炊き出しか?」

「いらっしゃ……おお! 誰かと思えばヴィクトール様!」




 鍋をかき回していた男性が、ヴィクトールの姿を見ると、顔を上げて挨拶する。そして近くで調理をしていた人々を呼び寄せ引き合わせた。






「ああ、おいたわしやヴィクトール様。貴方様のご活躍はグラドまで届いております」

「前の戦い……エレナージュのリネス侵攻の際に、身を呈して化物に立ち向かったとか! 新聞にて拝見しましたぞ!」

「そうか……」




 あの後すぐにアルブリアに帰還したので、大陸で自分達のことがどれだけ知れ渡っているかは知らなかった。もしかするとイザークの身バレもここから来たのではと考える。




「あとは魔法おんが……あっ、いえ何でもないです」

「……? ところで、これは今炊き出しをしている所か?」

「そうであります。最近一層難民が流れ込むようになりまして……」





 その辺りはヴィクトールがアルブリアに行く前にもよく見られていた光景だ。変わっていたのは、そういった緊急事態を前にした、人々の心持ちだった。





「ヴィクトール様の活躍を見て、私達も意識を改めたのです。自分達にできることをしていこうと……そういった意気のある人間が集まって、炊き出しをするグループを結成したんです。週に何回かしかできないのですけれど……」

「いや、週に何回かできるだけでも十分だ。毎日だと支援をする側の心が壊れてしまうからな」



 ヴィクトールは今にでもその行いに加勢したい心持ちでいたが――一瞬思い留まり、話の間置いていた旅行鞄を手にする。



「一度荷物を置いてから戻ってくる。俺も手伝おう」

「なんと有難いお言葉! ウィルバート様とは……いやいや」

「弟に何かあったのか?」

「な、何でもございません。お待ちしております! にかっ!」




 話をしていた女性を含めた複数人に笑って送り出されたので、ヴィクトールは素直にその場を後にする。








 そういうことがあった為、ヴィクトールは屋敷に到着するのが少し遅れたのであった。




「只今戻りました、父上」

「うむ。元気な顔が見れて何よりだ、ヴィクトール」




 到着したのを受けて、ヴィルヘルムが二階から姿を見せる。前に見た時と変わらない、縮れた黒髪の温厚そうな顔付きだ。






「ウィルバートはもう帰ってきておられるのですか?」

「あいつは……今は別の用事で忙しいのだ。挨拶するにしても、もう暫く時間がかかるだろう」

「左様でございますか」



 もっとも今は、弟の対面以上に重大なことがある。



「父上、私はこれから町の方に出て参ります。炊き出しが行われているので手伝いをして参ります」

「む……そうか。お前がしたいと決めたことなら、存分に手伝ってきなさい」

「有難きお言葉。では、荷物を部屋に置いて参ります」




 すたすたと自分の部屋に向かって歩いていく。その背中は、早く手伝いに行きたくて溜まらないようにも見えた。






「ふふふ……」



 そんな様子の息子を見て、ヴィルヘルムは微笑みをこぼす。近くにいた、老年の執事が彼に話しかけた。



「旦那様……ヴィクトール様は成長されましたな」

「ああ、本当に。私の望み通りに……育ってくれた。母親が死んだ時はどうしたものかと思ったが……」






 二人はあの冬の日、彼が喉が潰れるまで泣いたことを鮮明に覚えている。母親に執着していた様子を近くで見ていた。



 そうしていつしか、執着の対象が母親から父親に置き換わった。息子なりに死による空白を埋めようとした結果なのだろう。



 父の期待に添えないと絶望することもあった。だがそれを乗り越えて、息子は帰ってきてくれた――






「父上? そちらで何をしておられるのです?」








 感慨に耽っていた二人の時間は、その声によって、一瞬にして引き裂かれる。




「……ああ、ウィルバートか。今ヴィクトールが帰ってきたのだよ」

「兄上が? ……ですが、お姿が見られないようですが」

「部屋に荷物を置きに行った。その後は、炊き出しの手伝いに行くのそうだ」





 階段を降りながら近付いてくる()に、ヴィルヘルムは事情を説明する。




 彼の服装は、腕も足もすっかり隠れた、黒いローブ姿であった。日光をそこに当てようものなら、吸収されて()()()()()()()()、深い深い漆黒。




 隣にいた老執事は何も言い出せなかった。言う必要はなかったのだが、必要があっても()()()()()()()()()何を言えばいいのかわからなくなって、結局言えないだろう。




 彼の容姿は、一見した限りでは、どこかあどけなさを残す十五歳の少年である。






「……ヴィクトールは、僕の所には来ないのか?」

「用事が忙しいと説明すると、町に出ると言いました」

「ふうん。その用事を蹴ってまで僕に会いに来ないんだ。()()()




 彼は甚く不機嫌であった。自分の兄に該当する人物が、自分を優先しないことが、この上なく気に入らないのだ。




「じゃあ何から始めようかな。取り敢えず、夕食に蛙でも入れておけ。ベッドには棘を仕込もう。あいつはきっとピアノを弾きにいくだろうから、そんなもの壊してしまえ」




 ()()()()()()()()、黙って頷き彼の命令を聞く。



 だが同時に決してそんなことはしないと、できないと心に思い留めていた。










「……ふう。まさか正面から入って裏口から出ることになるとは」

「~」




 ヴィクトールとシャドウは部屋に荷物を置いた後、述べている通り裏口から屋敷を出た。動きやすい魔術繊維のトップスとサスペンダー付きのズボンに着替えた後、尋ねてきた侍従の案内によるものである。




「理由は聞くなと言われたが……それでも気になるものだ」

「! ~?」

「ま、時間があったらな……」




 今は取り付けた約束の方が何よりも大事なのだ。積もる話はそれ以降でもできるからというのが、ヴィクトールが自分の中でまとめた結論だった。








 そんなわけでヴィクトールは、炊き出しが行われている場所に再度戻ってきたのである。






「待たせたな。……何故泣くんだ」

「もっ、申し訳ありません……!! まさか本当にいらしていただけるとは思わず……!!」




 膝から崩れ落ちた女性は、涙を流しながらも気合で立ち上がり、調理をしている場所にヴィクトールを招き入れる。




「俺はそこまで信用されていなかったのか?」

「いいえ、不安だったのですよ。ヴィクトール様はケルヴィンでもその名が知れ渡る程の英雄。もしかすると知名度のあまり、屋敷から出られないことを危惧していたのです」

「英雄か……」





 もっと英雄に相応しい奴が友人にいるのだがな、と思う。騎士王とかビームに夢中な騎士王とか少し色気に興味がある騎士王とか。





「……俺は英雄ではない。ただやっているのは、皆が英雄として戦えるように、その策を練ることぐらいだ」

「それも立派なことであります。知略で名声を勝ち取った英雄も、世界には数多くいるのですよ」






 炊き出しのメニューはシチューだった。寒い日にはとても温かく美味しい。



 シチューに入れる野菜や肉を、シャドウが変身してくれたナイフで器用に切っていく。その片手間にヴィクトールは他の調理員と話をしていた。






「だとしても、俺にはむず痒い称号だ」

「ご謙遜されるのですね」

「俺と同じぐらい……俺以上に素晴らしい奴の存在を知っているからな」





「もう歴史に名を残すような偉業を成し遂げている奴もいるし、歴史そのものの奴もいる。歴史なんて関係なくとも、ただ真っ直ぐに物事に取り組む奴だっている」



「彼奴等を見ていると……血筋に囚われているような俺なんて、ちっぽけに思えてくるのだ」








 ふと気付いて振り向くと、調理をしていた全員がヴィクトールを見つめ、話に耳を傾けていた。手がすっかり止まっている様子の者もいる。




「……このシチューを待っている者が数多くいるのではないか」

「はっ! すみませんでした、続行いたします!」

「全く……」










 二十分も集中していれば、列に並んで配布を待つ者には、あらかたシチューを配ることができた。これで一旦休憩かと思ったが、案外そうでもなく。




「ヴィクトール様、これから路地裏の方にシチューを配りに参ります。ついていらしてください」

「ああ、構わないが……強制なのか?」

「先程ヴィクトール様は自分を過小評価されていましたが、本当にこの町の者は貴方様を尊敬しておいでです。その理由は路地裏に行けばわかります」




 小太りの女性に力強く説得されて、ヴィクトールは頷かざるを得ない。もっとも声をかけられた時点で、一緒に行こうとは思っていたが。









 そして天幕を出る際に盛大に見送られ、ヴィクトールは路地裏にやってきた。両側が建造物に圧迫された瞬間に、この周辺の特異さに気付く。




「これは……ギターの音色だな。それも魔力回路が通っている」

「やはり、ヴィクトール様なら気付かれますか」




 どんどん歩いていき、やがて広場に到着すると、その音色は明瞭になる。








「ん……炊き出しだ。わざわざこっちまで……ありが、ええっ!」

「ヴィクトール様だ……! ヴィクトール様がいらしてくれた!」

「おーい皆こっちだ! シチューとヴィクトール様があるぞー!」






 一番最初に目に入ったのは、ギターを演奏していた男性。彼は匂いに気付いて自分と目が合うと、広場全体に呼びかけた。




 そして広場では、同じように楽器を練習している者が数多くいたのだ。男も女も少年も少女も。ケルヴィンの土地柄上異種族はおらず人間だけだったが、皺の多い老人もいた。




 呼びかけに応じて、彼らはシチューを貰っていく。その指先はとてもかじかんでおり、寒さの中で手先を使う楽器の練習なんてしたらそれはそうだろうと、ヴィクトールは心の中で息をついた。






「……路地裏は魔法音楽が好きな方の溜まり場となっているのです。一時もこの音色から離れたくない、そのような方々が多いのです」

「金よりも楽器を優先するタイプか。わからなくもない」




 自分が所属するバンドのリーダーは、もしも実家が裕福な家系ではなかったら、絶対にそうするだろうから。




「実際に困窮している方もいらっしゃるのですが……ケルヴィンに関してはそちらの傾向が、ここ最近強くなってきました」

「表立って魔法音楽を楽しめないことと関係があるのだろう? この路地裏の周囲には結界が張ってある。音を漏らさないようにする為のものだ」

「ヴィクトール様……本当に何もかもお見通しなのですね」




 一緒にやってきた女性は、はぁと溜息をつくと、近くの石塀に腰かけた。








「確か……対抗戦の、武術戦が終わったあたりからでしょうか。元老院は魔法音楽を強く規制し、店を取り締まったのです。同様に少しでも関与が疑われる者は投獄されていきました」

「投獄だと……? 些か度が過ぎているのではないか?」




 ケルヴィンでは魔法音楽への風当たりが強いことは薄々予想していたが、よもやここまでとは思ってもいなかったヴィクトール。そして武術戦といえば、『パワフルカラフル』の一件があったことを思い出す。




「武術戦では、俺達が演奏してその場を切り抜けたんだ。そこにはウィルバートも居合わせた」

「ウィルバート様が? だとすると、何か関係が……いえ、何でもありません」

「……」




 そしてケルヴィンと魔法音楽で忘れてはいけないのが、グランチェスターの町おこしの一件だ。彼らは魔法音楽の国内における規制を、諸外国にも適用しようとしたのだ。




「……ウィルバートは俺が嫌いだ。実際、武術戦でも俺に決闘を挑んできた。だとすると、嫌いな俺が嗜んでいる魔法音楽も、同族として嫌った可能性があるな」

「……」

「だとすると元老院はウィルバートを庇ったということになるが……内容がかなり露骨に思えてくる。たかが一個人にそこまでするのか……?」

「する程の存在で……あるようです」




 女性はどこか恐れを見せながら、小さな声で答えた。






「ウィルバート様は……その……なんて言いましょうか。前から生徒会長を務めていらっしゃっていて、人を導く素質を見せていましたが。元老院が彼を次の指導者として推していきたいようです……」

「そうなのか……ウィルバートが父上の後を継いで、大賢者になる可能性もあるのか」




「俺は血を認められていないも当然だな、ははっ」







 同じことを女性も思っていたようで、どのようにそれを切り出せばいいのか迷っていたが――



 ヴィクトールは明るい声でそれを笑い飛ばしたのだ。思いがけない行動に、女性は目を丸くして驚く。




「ヴィクトール様……」

「いいんだ。俺は血筋以上に大事なことを、魔法学園で見つけてきた。それこそ魔法音楽だってそうだ」






 ふと正面を向くと、ヴィクトールの近くに子供が寄ってきていた。揃って彼のことを目を輝かせて見つめている。






「あの……ヴィクトールさま。きーぼーど、ひいてくれる?」

「ぼくたち、ヴィクトールさまの、きーぼーどききたい……」




 既にシチューを食べ終わったのか、口の周りに白い液体がついている。恐らく弾いてもらう為に急いで食べたのだろう。






「いいだろう。楽譜があればそれを演奏するし、なくても暗譜しているのを何曲か弾こう……そういうことだ、先に帰ってもらってもいいか?」

「はい、承知しました。寧ろ他の職員も連れて演奏を聴きに参ります」

「そこまでする程のことではないが……まあ、父上とかにバレない程度にな」

「逆にヴィルヘルム様もお呼びしたい心持ちであります……!」

「……貴様等、俺に対して向けている感情が大きすぎるのではないか……?」

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