第九百七話 暗躍する狂月・前編
「――あーあー。酷い有様だぜこりゃあ……」
「ニンゲン、タクサンドウイン。ソノケッカ。アワレアワレ……ハッハッハ」
午前五時の砂漠には、夥しい数の死体が転がっている。人間であろうと魔物であろうと、等しく死んでいるのには変わりなく。
それが知らない誰かの養分になることも、また変わりないのだ。
「さて、こちらの戦況はどうかな?」
「っ……モードレッド様」
「モードレッドサマ、シタイ、タクサン。シンエンケッショウ、タクサンデキル。ガッハッハ!」
ペリノアとライオネルは、突如背後に現れた主君に対して、傅き首を垂れる。今はウィーエルに行っていたはずでは、という疑問は口にしてならない。彼に対してそのような言葉は禁句だ。
モードレッドはそんな二人を横目に、凄惨な戦場跡を眺める。そして満足そうに手を叩いた。砂漠の気候に相応しい、乾いた音である。
「……いい怨嗟に満ちている。やはり戦争は素晴らしい……」
「モードレッド様、手筈通り深淵結晶の生成に移ります。よろしいですか?」
「ああ、その通りにしてくれ。直に他の連中も来るだろう、協力するように」
「アナタサマガオッシャルナラバ。デハイクゾ!!」
「命令すんのはワタシだ、このグズが」
互いに悪態をつきながら、ペリノアとライオネルは砂漠の先に進む。
そして彼の言った通り、カムラン魔術協会の魔術師が、転移魔法陣を通して続々と合流する。彼らがこの悪臭渦巻く戦場に対して何を思うかは、知る所ではない。
モードレッドは余計な接触をしないように、少し離れた高台からその様子を見ていた。死体が次々と魔法陣に運び込まれ、数回瞬きをする間に黒い結晶体へと変貌する。
しかし死体というのは、既に生命エネルギーを使い果たした後なので、深淵結晶への変換効率はそこまでよくない。それでも十万を超える数がいる為、効率はある程度カバーできるとも考えられる。
「いずれにしても誰かが使ってやらねば、本当にこの者達が生きた意味がなくなるというもの……」
モードレッドは持論をそう締め括り、思考に一旦区切りをつける。
そして、あたかも退屈そうに、溜息をついた。その手には黒槍ロンゴミニアドを呼び出して。
「どれだけ悲惨と呼ばれる戦争であっても……私にとっては空虚だ。この槍に吸わせてやりたい程の血を持つ者は、まだ表舞台に現れない」
「だったら、私がそれになってあげてもいいんだよ?」
突如背後から声がした。自分に気配を感じ取らせずに、ここまで近付いてこれたものだと、モードレッドはまず褒めた。
それから振り向いて、声の主を視界に収める。砂嵐は以前激しかったが、徐々に明るみになってきた太陽が彼女を照らす。
「……」
「あ~らその目……私の美貌に見惚れちゃった? ふふ」
彼が目を引かれたのは胸部であった。身長は小さく顔付きも幼い、幼女と呼ぶべき体格であるのに、胸がそれに似つかわしくない程に巨大であった。着用しているワンピースが密着しており、布が引っ張られることでより際立つ。
スカートから覗く生足も美しい。そもそも、こんな砂漠に来るような服装ではない。その事実こそが彼女の異質さを引き立たせているのだ。
しかし、そこまでであった。砂漠という環境においては異端、彼は彼女のことをそうとしか思えなかった。
「……つくづく低俗な容姿だな。それで私を誑かせるとでも」
「……あ゛?」
「その姿形で誑かせることができるのは、自分の腕前を猛進する愚者だけだ。真に高貴な者は、そのようなまやかしに引っかからないよ」
「……どの口をほざく、人間が」
「おや、本性が出たようで。それならば、君に与えてやるのはこれで十分だろう――」
<SHOGGOTH>
「……!? そ、それは……!?」
「お前、どこでそれを……やめろ、やめてくれ!!!」
幼女が懇願するのも気に留めず、彼は詠唱を続ける。
<醜悪たる生命の根源、悍ましい厄災よ、いざ帰らん、愛すべき、ああ愛すべき、我らが故郷に、剣が如き漆黒の霊脈>――
<遍く喰らう者よ>
高らかに唱えた後、目を開けて周囲を見回す。
すると幼女は大量の脂汗を浮かべて、後ずさっている所であった。
「は、ハハハ……今回は私に免じて見逃してやる! だが覚えてろ、我々の悲願が成就した時……!」
「お前も、お前の国諸共消し飛ばしてやるからな!! その時まで高みの見物を決めていればいいさ……ははは!!!」
何とも型に嵌った負け惜しみであった。
幼女は真顔を決め込む彼に一方的に言い放ち、砂嵐の中に消えていく。
見送った後に、再び彼は溜息をつく。今度は失望の意が込められていた。
「……気配の隠し方は上手だったのだがな。どうやら君もこの槍に喰わせてやれる程ではないらしい」
「さて……」
気を取り直した彼は、黒い転移魔法陣を生み出し、その中に進んでいく。
「けほっ、げほっ、おおぅえっ……!!!」
「……メリア様!! 森林地帯は安全って、そういう話ではなかったんですか!?」
聖教会の司祭の一人が、目の前を走る少し豪華な服装の司祭に向かって、そう叫ぶ。
「え、ええ……少し予定が狂っただけですの!!」
「本当に信用していいんでしょうね!! この辺で待っていると、風の魔石が――」
そう司祭がぼやいた直後に、突風が巻き起こった。
超常的な生物が作為的に仕込んだ、そのような規模の大風。でなければ何の準備もしていない人間が吹き飛ばされて、木に激突し絶命するなんてことは有り得ない。
「きゃっ……! 皆さん、何かに掴まってください!」
「言われなくてもおおおおぉぉぉ……!!!」
聖教会全員が風に耐える姿勢を取った直後――
上空に緑の物体が飛んでいくのが目に入った。屈みながらでも見える、魔性の輝きを誇った輝石。
「あっ、今魔石が! 魔石が西の方角に飛んでいきました!」
「何ですって! 総員、移動するぞ!!」
「――わああああああああーーーっ!?」
いくらハンスが風魔法をかけてくれていたと言っても、この風には流石に翻弄されるばかり。巨人を剣で斬り伏せた後、エリスは暴風に煽られ宙を舞っていた。
(エリスちゃんー!! アーサーがいないー!!)
「そ、そうだよね……!? はぐれちゃった!?」
一緒に剣を握りながら振り下ろしたのだが、それでも離れてしまった。これが極まった風属性の力とでも言うのか。
「一体どこに……の前に着地だー!!」
(ぎゃーっ!! 落ちるーっ!! コントロール頑張ってー!!)
自信の魔力でちまちま方向転換しながら、エリスは森林の中に無事着地。木には何度か掠っていたので、葉や枝が鎧のあちこちに付着している。
「ったぁ~……とりあえず、五体満足でよかった~……」
(そうだね……ん?)
「どうしたのお姉ちゃん……」
(エリスちゃん、正面に誰かいるよ……?)
「えっ……やだもう……」
ギネヴィアの言葉を受け、警戒を強めるエリス。
剣を構えながら正面に進むと、確かに人影がいたのだった。
「どこだ……どこにある!? クソッ、周囲に同化しててわかりずれえ!!!」
「だけど確かにこの辺に落ちたんだ、俺は見たぞ!!」
「……ッ!! あった!! 勢いで地面に埋まってやがる……!!」
女王を模した紋章は聖教会のもの。ローブを羽織った集団が、血眼になって地面を探している。
そしてどうやら目的の物が見つかったらしい。司祭の一人が土に汚れた手で、緑色に光る球体を抱えようと四苦八苦している。
「ぎゃあっ!!!」
「気を付けろ!! 巨人から落ちた魔石なんだ、魔力で膜を張らねえと!!」
「そもそもが大きすぎる――これ、俺達全員揃っても足りるのか?」
「メリア様に指示を仰ごう。あの方なら何かご存じのはずだ――」
(――風の魔石!)
(確かに今回は額に付いていた……!)
(取られたらまずいことになる――!)
「たあああああああっ!」
正義感だけを武器にして、清純な華は入って立つ。
剣を両手ですらりと構え、魔石を掘り起こす司祭達をすっと見下ろす。その目には侮蔑も少しばかり添えて。
「な、何だお前!! 何をしに来た……」
「あっ……お前が女王陛下か! エリザベス様が捕らえよとお触れを出していた!」
「丁度いい、こんな小娘なら一捻りに――」
されたのは司祭達の方であった。
「あ……? あ――?」
「その場の思い付きで捕らえられる程、わたしは弱くないよ」
的確に敵の急所を見切り、そこだけを斬り裂く。飛び散る鮮血は様々に舞っていき華が咲いたよう。
白銀の鎧に一部が付着する。人体を斬った実感もそのままに、エリスは再び元の態勢に戻った。
「……そこっ!」
「きゃあっ!?」
茂みに向かって剣を向けながら、鋭い魔力を送るエリス。予想通り隠れていた人物――聖教会のメリアが姿を現した。
「むっ、おまえは! カタリナのブランドに喧嘩売ってきたやつ!」
「いっ、命だけはお助けくださいまし! この通り!!」
意味もなく綺麗な土下座を披露するメリア。エリスはそれを一切気にせず、魔石の所に向かう。
「うっわでっかいな~……採れ立てほやほやの魔石」
(どうやって運ぶ? 皆呼ぶ?)
「呼ぶ方向で行きたい……な……」
魔力を器用に操り、エリスは魔石を宙に浮かべる――
「――これはこれは。様子を見に来たら、思わぬ所で奇遇なことだ」




