三時のおやつ
小学二年生のとき初めて三時のおやつという言葉を知った。同級生のたかちゃんに「昨日お母さんと一緒にアップルパイを焼いて三時のおやつに食べたの。」という休日の話を聞いたことがきっかけだった。
おやつを三時に食べたことは話の流れから理解できたが勘違いしたことがあった。『たかちゃんすごい!一分でアップルパイを食べ切ったんだ!』と。なぜこんな勘違いをしたかと言うと、その時授業で時計の正確な読み方を習ったばかりだった。三時五分を三時と答えると違うと言われたため、三時と言われたら私の中では三時丁度を意味したのだ。
そこで頭の中で思い浮かべた映像は三時を時計を見ながら待ち、三時になった瞬間食らいつくように一分間で素早くガツガツとアップルパイを食べ、三時一分になったらお母さんにお皿を下げられてしまう、というものだった。
しばらくそれが頭から離れず疑問を抱えたまま学校生活を送っていた。
秒針について習うとさらに想像はひどくなった。三時〇分一秒は三時ではない、と。なんてこった。某漫画の『食べる姿を人に見せるとは下品である』という教えの家系で育った坊ちゃんが舌を自在に操り、一瞬でお皿の上に乗った料理を平らげる話のようではないか。トレビアーンと教育係を涙ぐませることができる優雅な食事マナーである。
さすがにそれは無理だと子供ながら感じていたが、うちの家は分からないことを分からないというと大概、父と姉に阿保馬鹿スボケと言われて笑われたため恥ずかしくて聞くこともできなかった。母はというと姉の勉強に付きっきりで部屋を覗くと追い払われたのでこっそり聞くことも適わなかった。後で知ったのだが姉は国語力が低く、宿題もしなかったため母が見張りつつ教えていたのだそうだ。
答えは三時のおやつに対する違和感を忘れ、フードファイター顔負けのおやつタイムの想像が頭から消えたころ、幼馴染の家に一人で遊びに行ったときに身をもって知った。
三時のおやつだが二時台に食べても良いし、三時一分になってもお皿ごと取り上げられることもない。
ちなみにおやつは御八つと書く。午後二時から午後四時までの間を昔は八つ時と呼んだことが言葉の由来なのだそう。なるほどね。
これが私の三時のおやつの思い出である。