三
ふたりはまっすぐに駅を目指した。カラフルな建物の間を早足に進んだ。
途中カイは空を見上げてこう言った。
『なんだか雲ゆきがあやしい。雨が降りそうだよ』
見ると、先ほどまできれいに晴れわたっていた空が、いつの間にか暗い影のさした灰色の雲に覆われていた。それにつられてあたりが暗く、空気がひんやりとしてきた。やがて強い風が吹きはじめ、いたるところから風の低いうなり声があがった。
突然、カイは立ち止まり、耳としっぽをピンと立てて黙りこんだ。ソラも立ち止まり、不安そうな顔でカイの様子を見た。カイがこのような格好をするのは、決まって何か良くないことが起こる前なのだ。そのうち、カイが怪訝な面持ちでソラに言った。
『ソラ、走れるかい?』
「……走れるけど、どうして?」
『雨が降る。かなりの雨がね。行くよ』
言うや否や、カイは身をひるがえして走り出した。ソラは驚いて、慌ててカイの後を追った。
「どこ行くの?」
『神殿さ。あそこなら雨宿りできる。ここからなら駅よりも近い』
「でもまだ雨降ってないし、そんなに急がなくても……少しくらい濡れたっていいじゃない」
ソラは息を切らしながらそう言った。だが、カイは足の速度を緩めずこう返した。
『普通の雨ならね』
「え……」
『見なよ、あの雲。普通じゃない』
雲は先ほどよりも増してにごり、そのまま落ちてくるのではないかと思うほど地上に近くなっていた。灰色だったのがより濃くなり、黒みを帯びていた。当然のように、日の光が通る隙間もなく、巨大な黒い雲影が地面に落ちていた。確かにそれは普通ではない光景だった。
ふとソラの鼻先に冷たい液体がぶつかった。たちまち、ポツポツという音が辺りの地面から鳴り出した。雨が降りはじめたのだ。ソラは水滴を受け止めるように、片手を広げてかざしてみた。すると、彼女の手のひらはその水滴を浴びて、みるみる黒く染まっていった。
「黒!」
すぐに、ソラは手を引っこめて叫んだ。
「黒い雨!」
『急いで!』
ふたりは力の限り速く走った。雨は次第に強くなり、ふたりが神殿に着いた頃には、バケツをひっくり返したように激しくなっていた。地面は黒一色に染まり、建物の壁には黒い筋がいく本ものびた。街全体が巨大な闇にのみこまれていくような、恐ろしい光景だった。
神殿には同じように『黒い雨』から避難した人々が多くいた。涙を流している者やパニックを起こしている者がおり、内部は騒然としていた。ひとりの司祭の男が人々に乾いたタオルを配っていた。ソラはそれを受け取り、念入りに雨水をぬぐった。
『何年ぶりだろう。黒い雨なんて』
カイがソラに濡れた毛を拭いてもらいながら言った。
「パパやママ、大丈夫かな」
ソラは心配そうな顔でつぶやいた。
『大丈夫だよ。濡れなければなんともないんだから』
「……そっか」
雨水をぬぐい終えると、ソラはあらためて神殿内を見まわした。人々は皆青ざめた表情で、騒いだり噂話をしていた。何人かの修道女が大きなモップを持って、黒く汚れた大理石の床を磨いていた。よく見ると、その床にはところどころに太い金色の線があった。
「ねえ、カイ。この線なんだろう?」
『これは図形の線だよ。六芒星が床に描かれてるんだ』
「ろくぼうせい?」
『ふたつの三角形を組み合わせた、星みたいな図形だよ』
壁にはロウソク型のランプがかかり、淡いオレンジ色の光をはなっていた。丸い天井には3つの窓があった。3つともステンドグラスがはめこまれており、白い鳥・黒い鳥・金色の鳥の姿がそれぞれに描かれていた。
ふと、けたたましい音がどこからか聞こえてきた。生き物の鳴き声のような音だった。同時に地面がゆれた。人々は悲鳴をあげながらバタバタと座りこんだ。
『ソラ、ここで待ってて!』
カイは矢のように駆け出し、外の柱廊玄関へ出た。
外は嵐だった。風が轟と渦巻くようにふいて、ときおり稲妻が雲を走った。黒い雨はなお降りそそぎ、全ての建物と地面をのみこんでいた。
真っ暗な空に見えたのは二羽の鳥だった。全長五メートルを超える巨大な鳥。クチバシは鋭くとがり、翼は大きく広がり、尾は幾重にも長く連なっていた。一羽は黒く、もう一羽は白い。双方とも風をもろともせず空中にとどまり、互いを威嚇しあっているようであった。
『聖天使と悪魔王……!? どうしてここに!』
カイは驚愕し、目を見開いた。
『大変だ……戦いが、殺し合いが始まる!』