まもるべきもの
不意に外から聞こえてくる物音に気がつき、司令官の思考が遮られた。
「なんだこんな夜更けに……おい、静かにしろ!」
外に向かって怒鳴りながらも、少々騒ぎくらいは大目に見ようと視線を机に戻す。
明日は早朝から砦の中まで押し込む。つまり兵士達にとって今日が最後の夜になるかもしれないという事だ。
どんな熟練の兵士であっても、平静でいられる訳がない。
司令官の声が兵士届いたのか、外の騒ぎはすぐに静かになる。
だが、様子がおかしい。
いつもなら怒鳴り声一つ上げれば部下が飛んでくるか、そうでなくても返事くらいは返ってくる。
不審に思い外の様子を見ようと席を立った、その時――
「こんばんは」
目の前に見覚えのない娘が入ってきた。
成人前の小娘のようではあったが、見惚れてしまう程に整った顔と艶のある桜色の長い髪、そして白い肌。少し吊り上がった目と耳でハーフエルフだという事が分かる。
少なくともこんな戦場にくるような傭兵には見えなかった。
「貴様、どこから入ってきた!」
司令官はゆっくりと腰を椅子に戻しながら、机の下に忍ばせている短剣を手に取る。
敵国の間者や盗賊が雇った暗殺者と言う可能性は十分に考えられる。
娘はとくに何かをするといった素振りは見せないが、情事に誘って油断させたところを、という事は十分に考えられる。
なにせ、これだけの容姿なのだ。寧ろそちらを警戒する方が自然と言うものだろう。
そんな警戒に気付いていないのか、カリナは司令官の言葉を無視しして無遠慮に天幕の中に入った。
やはりな、と心で呟きながら武器を手に大声で司令官が叫ぶ。
「貴様、どの国の間者だッ!!」
「かんじゃ……?」
「貴様は何者で、何しに来たかと聞いているッ!」
「あ、さっきから随分と大きな声を出してますが、ここに来た時に結界を張ったので声が漏れる事はありませんよ」
その言葉を聞いた途端、司令官は周囲の異変に気が付いた。
随分と大声を張り上げているのに誰一人として中に入ってくる者はいないのだ。
そして、森の中なのだから風の音や木々の声が聞こえてきてもおかしくないのに、それすら聞こえてこない一切の無音。
「はじめまして。ボクはカリナと言います。そこの砦に住む魔物達の主です」
*****
「……魔物の主だと?」
「はい。貴方がここを指揮する方だと思い、やってきました。」
砦を襲われた事や、やられた眷属達の事を考えると怒りが沸き上ってくるが、あくまで営業スマイル。
感情的になっては纏まる話も纏まらなくなる。
勿論、相手に纏める気があればの話だが――。
「グスタフだ。賊討伐軍の指揮を執っている」
司令官――グスタフは素直に名前を明かした。
一瞬「得体に知れない者に名前を知られるのはどうか」という考えもあったが、相手が名乗った以上こちらも名乗らない訳には行かない。
「それで娘よ。貴様は今自ら魔物の主と名乗った。嘘偽りがないのなら我々の敵という事だが?」
「はい。間違いありません」
その様子から嘘をついているようには見えない。
寧ろ堂々とした態度は、余裕すら感じられる。
(もしこの娘が本当に魔族だとしたら、この容姿から察するに上級魔族か……。しかも固有種とは厄介な)
魔族は人の姿に近づくほど、強力な力を持つようになると言われている。
上級魔族ともなれば、その脅威度はB級指定魔獣クラス。更に固有種ともなればA級指定魔獣クラスという事になる。
個人でなんとかなるレベルではなかった。
そこまでの考えが至った瞬間、グスタフは直感する。
天幕に入った瞬間に張られた結界といい、これまでの戦いで戦略魔法を防いできたのはこの娘の仕業ではないかと。
だとすれば、迂闊に手を出せない。相手はアルガットきっての戦略魔術師が放つ魔法を2度も防ぐ大魔術師と言う事になる。
信じがたいが、そのような人間離れした荒業を、こんな小娘がやってのけるとは――。
下手をすれば伝承に伝えられるS級指定魔獣クラスの魔族ではないかと心配になってきた。
その直感が外れて欲しいという願望を抱きながら、カリナの背中から生えた翼が目に映った。
「そ、その翼は……本物なのか?」
「勿論。でも触ったらだめですよ、くすぐったいので」
本当に触らせてくれとか言われたらどうしよう、と思いながらも、それを面に出さずにカリナは笑って答える。
冗談を交えながら、堂々とした態度で臨む事で信用を得るのは商人の基本だ。
だが、その余裕ある態度に、グスタフは内心冷や汗を流していた。
目の前にいる――見た目の上では小娘が、いつ牙をむいてくるのか分かったのもではないからだ。
そんな疑心に駆られ、グスタフは不自然なほどに態度を変えて接してくる。
「それで、カリナ殿はこの度はどのような用向きで?」
「はい。最初は砦を攻撃した事を抗議するつもりでした。けどボクは争いを望んでいません。このまま戦わず、すぐ帰ってほしいのです」
予想に反してまともな答えが返ってきた。
特に何を言われるかを推測していたわけではないが、魔物の主と名乗るくらいなのだから悪魔的な取引や要求を持ちかけてきても不思議ではない。
それを聞いてみれば、戦いたくないという。野蛮な魔物の主が平和主義とは拍子抜けだ。
次第にカリナを過大に評価していたと思い込んでしまう。
それが彼の油断を生んでしまうのだった。
先ほどの友好的な態度から、一気に貴族の顔に戻っていく。
「それは出来ぬ相談だ。第一そこは我が国の領内。盗賊や魔物が棲み付いているのなら討伐軍を編成するのは必然――」
「ボクたちが周りの村を襲って迷惑をかけているというのですか?」
カリナの大きな瞳がやや細くなる。
「現に我が国の行商人達が近くの街道を封鎖されて通行できないという通報が多数寄せられている。貴殿達の仕業なのだろう?」
「行商人? それは奴隷商人の事ですよね? 奴隷制度の全てを否定する気はありませんが、中には他国から盗賊に連れ去られた人もいます。
奴隷商人たちはそれを知りながら、罪のない人たちも売買の対象にしているというのはどうなんでしょうか」
「それは……我が国でも取り締まっておる」
グスタフは言葉を詰まらせた。個人的には奴隷の扱いに思うところが無いわけではないのだ。
「ここ数か月だけで、奴隷を連れた一行に幼い子供が混じっているのを何回も見ました。ボクが直接保護した事もあります」
実際、そのような子供たちの末路がどうなっていくのかは知らないが、間違いなく碌でもない目に遭わされるだろう。
そう考えただけでも、自分達の活動は間違ってないと言える。
「話が逸れたな。問題は君達が我が国の領地内で不法に拠点を築き、活動していることだ。法に則り行動するものとして引くことは許されない」
「確かに、ここはアルガット領内です。ボクだって基本的には法律を守ってるし、眷属達にも無暗に人に迷惑を掛けないようにさせています。
でもグスタフ様も分かってるのでしょう? 一度市街地を離れれば、そこはもう無法地帯だって」
領地を治める立場――すなわち貴族達は領民に対して「皆を護る為、法を遵守し、税を納めよ」と言う。
確かに基本的には護ってもらえるのは確かだ。冒険者を始めとした旅人や行商人であっても通行料を払う事で無法者から護ってもらえる。
それが盗賊に出くわしたときに運よく居合わせていればの話だが。
村の外は無法地帯――
カリナの話は一般身分であれば常識だ。
結局、自分の身は自分で護らないといけないのだ。
「それに、魔族のボクに法律を説かれても――」
「ならば、話をするまでもありますまい。貴殿と私は敵同士。和解したければ砦から退去すればよい。さもなくば殲滅あるのみ」
「殲滅ですか……」
一度言葉を詰めると同時にカリナは『威圧』を発動する。
正直、本気で脅迫するつもりはなかったが、ここで勢いをつけてしまえば相手から譲歩を引き出すことが出来ると考えたのだ。
途端にグスタフの顔が青褪め、額から冷や汗が浮かんできた。
屈強な戦士であってもカリナの『威圧』を受けて平静でいられるものは少ない。
「ここにいる兵士さん達は4000人くらい。その人達の命がグスタフ様に掛けられているのは、ご自身が理解してると思います」
「グ……ッ」
(この娘、魔術師と思っていたがここまで強烈な能力まで使えるとは……)
見た目と発言で油断した、とグスタフは後悔した。
「もう少しハッキリと伝えます。今なら見逃してあげるから帰ってください!」
「そ、それは出来ないっ! 我らの任務は貴様らを撃退する事なのだからなっ!」
『威圧』を受けたグスタフは、その影響で全身を強張らせながらも裏声で叫ぶ。
これだけの規模の軍隊を預かっているどいう事は、それなりに責任を担っていると言う事だ。
簡単に撤退など出来る筈がない。
だがカリナには関係ない。
もし戦闘になればソウヒやガエン、そして眷属達も皆が傷つく。
それだけは許せない。
「はぁ……。分かりました。じゃあ――」
キンッ
乾いた金属音が一瞬鳴り響く。
「ここにいる兵士さん達は、これから全員ボクの餌です」
*****
次の瞬間、天幕が吹き飛ばされたと思うと、娘は翼を広げて叫んだ。
『流星の尾――ッッ!』
「な……。流星の尾だとぉ!」
娘の叫び声に思わず天を見上げた。映った視線の先は普段と変わらない静かな夜空――ではなくなっていた。
夜空に切りこみを入れる様に、細長く白い1本の線。それはまさしく流星の尾――
その流星は真っ直ぐにこちらに向かってくるのが分かった。
「き、ききき貴様ッ! 何をしたのか、何をしてるのか分かっているのかッ!?」
「勿論、分かってますよ」
これが交渉決裂による自棄なのか、元々そのつもりなのかは定かではない。
にっこり笑うカリナだが、グスタフには狂気としか映らなかった。
「総員起床! 起床――ッ!」
慌てながらも兵士達に呼び起こそうと叫ぶ。
だがその呼び掛けに応じる者はいない。
何故ならカリナが張った結界によって、完全に音が遮断されているのだから。
「クソォ――ッ!!」
グスタフは結界の外に向かって走る。
結界の範囲は恐らく天幕の周囲、つまり数メートル程だ。
走れば数秒で出られる筈だった。
ゴンッ!
「ぐあっ!」
顔面に強い衝撃をまともに受けて倒れ伏した。
鼻血を出しながら顔を上げると、透明の薄い壁がそこにあった。それが例の結界であるとすぐに分かる。
それはつまり、音だけではなく完全に外界と遮断されているという事だ。
「今外に出ると危ないですよ」
背後から軽い口調で娘は吐く言葉が非情だった。
カリナの言葉は、要約すると「ここから兵士達が焼かれていく様を見ていろ」と言っているに等しい。
それは最早、戦ではない。戦闘にすらなっていないのだ。
「クソッ! 今すぐ止めろっ! 止めてくれッ!」
「それは出来ません。 貴方に任務があるように、ボクにだって皆を護りたい気持ちがあるんです」
「発言を撤回しよう! そして今すぐ撤収するッ! もう二度と攻撃などしないッ!」
グスタフは跪いて必死に叫ぶ。意地を張っている場合ではない。任務にしがみつく場合でもない。
理解した。この娘はとてつもなく強大な力を持っている事を。
そして後悔した。我々は触れてはいけないモノに触れてしまった事に。
もし、今一度許しをもらえるのなら、何でもしようと心に誓う。
「――本当に?」
「約束しよう!」
ほんの数秒だが、真剣な眼差しで見つめ合う――
流星の尾メテオフォールはもうすぐそこまで迫っていた――
「まあ、もう間に合いませんけどね!」
「な……ッ!?」
―――――――――――――ッッ!!
次の瞬間、周囲は無音の中で炎に包まれた――……。




