現実と向き合って
イシュミルからの急報を知ったカリナが、急遽ジルマンと別れてから半日は経過していた。
とうの昔に陽は落ちて真夜中。
手持ちのランタンなど役に立たず、月の明かりでもなければ、夜中に飛行するのは自殺行為だ。
不幸にも昼間とはうって変わって雨模様。しかもかなり激しい嵐に見舞われていた。
伸ばした手の先すらはっきり見ることが出来ないその暗闇の中、カリナは先の吸血鬼との戦いの際に獲得した能力の一つである『夜目』と『空間把握』を頼りに砦に向かって飛び続ける。
「はぁ―……ッ、ハぁぁァ――……ッ」
呼吸は荒く、喉が痛くて声も出ない。
雨で濡れた体が冷えて寒い。
鳶と同じ様に常に羽ばたく必要はないのだが、それでも体力が落ちていた。
能力を駆使しても夜の闇が方向感覚が狂わせる。
徒歩なら砦まで10日はかかる距離だ。いくら人並み外れた身体能力を持っていても果てしなく遠い。
空を飛ぶことである程度は地形を無視する事はできる。
だがそれも高度に限界があり、標高の高い山は越える際は途中で降りて越えるか、回り込んで飛ぶ必要があった。
長時間の夜間飛行によって体力的にも精神的にも消耗しているカリナに、4500もの討伐軍がいつ攻めてくるか分からない状況が更に追い詰る。
その不安から涙が溢れてきた。
(大丈夫……。こんなに大規模なら準備に時間がかかるはず。きっと間にあう……!)
それを根拠のない空元気で自分を励ましながら全速力で飛び続けていた。
だが現実は無情だ。
擦り減った体力は既に限界。それを気力を振り絞って補っていたとしても、距離と速度、そして時間はカリナに味方しなかった。
徐々に高度が落ちていく――
ベチャッ――
「あ、あれ……?」
聞き慣れない音と共に、止まっていた思考が不意に動き出した。
殆ど開かない目で周りを見ると、泥にまみれて地面に倒れ伏していた。
そして、いつの間にか気を失い墜落していたことを悟る。
同時に、全く体が動かない事も理解してしまった。
道のりはまだまだ長いのというのに――
「ウゥッ………。クッ……。もう嫌ダ…。もう、いやダヨ…………」
ここにきてカリナの心は折れた。
急がないといけないのは解ってる。
早くしないと恩人が、仲間が、大事な人が危ないという事も。
理解しているのだ。
もしそれが叶うなら何でもする。
だが、どんなに頑張っても、それが叶わないと思い知らされた。
誰からでもない。現実にそう突きつけられた。
「納得できない……納得できない――ッ!!」
そう、納得できない。
やるべきことも、何をするかも理解しているのに、何故させてもらえないのか。
この身に宿った強大な力をもってしても、たった一つの願いも叶えられない。
「うあぁぁぁアアァァ――――ッ!!」
嵐の中で空に向かって叫んだ。
自棄になり魔力を高めていくのを、無意識に理性が押さえつけた。
空気が震え、地面が揺れる。
体内で膨張する魔力が逃げ道を失い、圧縮されていく。
今それを解放すれば、吹き出した魔力は高濃度の魔素となってこの地域を魔物が棲む世界へと変えてしまうだろう。
それを理解しているけど解放したい。
それを理解しているから解放しない。
(全部壊してしまいたい! 全部捨ててしまおう!)
(本当に壊したら駄目! 捨てたらもう戻れない!)
狂気と理性が鬩ぎあう。
「――ボクは魔王! 魔王になったんだよッ! 誰よりも強い力と魔力を持ってるんだッ! だったらこの力で――ッ!!」
「――この力を……。 ちゃんと考えて使わないと……」
そう一言呟くと、カリナは再び翼を広げる。
もう力は残ってない。それでも、ここで諦めたら絶対に辿り着けないのだと。
自棄になっても現実は変わらないのだと。
まるで巣立ち前の雛鳥のような拙い羽ばたきだったが、いざ飛び立とうとした時ふと閃いた。
(もう体力はないし、気力も尽きてるけど――)
でもまだ残ってる力があるじゃないか、と――
「――ウィンドブロー!」
自分に風魔法をぶつける。
同時にカリナは空高く吹き飛ばされた。
大成功だった。
人をも吹き飛ばす突風を翼が受け止める。それは普段の何倍も速く、高く飛ぶことが出来た。
(いける……。これなら行けるっ!
体力も気力もないけど、まだボクは魔力が残ってる! 絶対に間に合わせるから!)
現実に向かって言い放つと、空高く舞い上がっていた。
*****
殆ど休憩なしに飛び続けて1日が経った頃――。
ついに砦を視界に捉えた。
「そんな……。嘘だ、よね……?」
間にあわなかった――そう思った。
まだ離れたこの位置からでも分かる。
砦を取り囲む大勢の兵士達と、そこから発せられる魔法の強い光と爆発音。そして立ち込める煙。
堅牢で頑丈な門が壊され、外壁は見るも無残な姿と成り果てている。
近づけば近づくほど、絶望的としか思えない。
「ば、爆発音が聞こえるという事は、戦闘が続いてる――まだ間に合うっ!」
その光景に我を忘れ、思わず『狂化』が発動しそうになる自分を抑えつつ、更に速度を上げて門前を陣取る敵兵達の真上を飛び越える。
「上空に魔物が! 撃てェェェェェ――ッ!!」
敵兵の何人かがそれに気づいて矢を放ってくる。
だが、この速度を正確に捉えられる訳がない。
難なく砦の外壁まで辿り着くと、外壁の上では戦闘が繰り広げられているのが見えた。
「いる……! まだ誰かいるよッ!」
その言葉は誰に向かって言った訳ではない。
だが、ここに来て漸く掴みかけた『希望』だ。
叫ばずにはいられない。
外壁では逃げ惑う子鬼族達を追い散らす敵兵達によって制圧されつつあった。
だが、押し寄せるそれを堰き止める様に不自然に広がる空間。
その中心には、人よりもやや大きな体格と、そこから更に巨大な剣を持つ戦鬼。
「ロトスさん―――――ッ!」
嘗てはカリナはそれと対峙して追い詰められた事もある。
最も信頼できる眷属の一人、戦鬼のロトスだった。
「な、なんだ! 新手の魔物かッ!?」
「よぉ遅かったな我が主様! 折角の祭りに間にあって何よりだぜ!」
「お祭りじゃないよ! 心配で心臓が止まるところだったよぉ!」
ロトスはカリナの声のする方に顔を向けると、いつもと変わらない豪快な笑顔を見せる。
突然のカリナの登場に動揺する敵兵達をよそに、戦鬼の相変わらずの態度だった。
カリナは顔を膨らませながらも、眷属の無事に安堵した。
「なんだ? 少し見ないうちに随分とでかくなってないか? 魔力量も半端なく上がってる気もするが」
「色々あって大きくなったんだよっ! それよりも皆は無事っ? 誰もやられてないよね?」
「さぁな! 俺は子鬼族共を率いてここで死守ってたからな! ……っと、また魔法が来るぞ! 全員伏せろ!」
同時に地鳴りが響いてくる。
砦の外を見ると、その視線の先、敵軍の遥か後方に金色に輝く精霊の姿が3体――
「時空の精霊王……っ!?。 もしかして……ッ!?」
ハッと、カリナは空を見上げた。
頭上には雨雲を突き破って飛来する幾つもの岩石――。
その魔法は、人が考えた史上最悪の戦略魔法――。;
「流星の尾ッ!! こんな距離でッ!?」
それは城砦や都市を破壊する時に用いられる戦略魔法、流星の尾。
超強力な破壊力と広大な範囲をもって、文字通り全てを破壊する。
だが、制御が非情に難しく、下手をすれば放った本人すら命の危険を晒す。
それ故にこの魔法は禁じ手――禁魔法に指定されていた。
確かに至近距離で撃てば精度は高まるだろう。
だが、間違いなく放った本人も魔法の効果範囲に入っている。
「おい……、おいおいおい――ッ! これはヤバいんじゃないのかッ!?」
「に、逃げようぜッ! 早く……早く逃げるぞッ!!」
「逃げるってどこにだよ!」
異変に気付いた兵士達からも怒鳴り声が聞こえてくる。
たとえ禁魔法を見たことはなくとも、地鳴りと迫りくる流星が何であるか、そしてその結末を察知しているのだ。
それに対してロトスと子鬼族達は落ち着いていた。
「まずいな……これ以上は壁が持たねぇ……!」
「ギャヒヒヒィ――ッ!!」
「壁もだけど、その前に子鬼族の心配もしてあげて!」
悲壮感溢れる敵達とは違って楽観的に話すロトス。
同じくロトスの配下達にも動揺は見られない。
なぜなら、ここには魔王がいる。
臆病で下手をすれば人間の子供よりも非力な子鬼族だが、魔王がいるだけで勇気が湧いてくるのだった。
魔王の為に戦い、死ぬのは本望である。
尤も、それをカリナは望んではいないが――。
「大丈夫、この距離ならまだ間に合う――と思う……よ?」
正直自信はなかったが、先程まで包まれていた絶望感に比べれば何と言う事もない。
流星の尾は真っ直ぐ此方に向かってくるがまだ距離があるだから。
降り注ぐ流星の数はざっと見て30個以上。
フレアレーザーでも撃墜できるが、半端な威力で撃墜すると砕けた岩石が降り注いでくる。
たとえ小さな石であっても直撃すればただでは済まない。
だからと言って全てを粉々にするには時間はない。
風魔法で落下位置を逸らすのも考えたが、広範囲に及ぶ被害から免れるとは思えなかった。
何か手立ては――
「――考えてる時間もないね……。
ちょっと、本気を出すよっ! 灼熱の精霊王―――ッ!!」
一旦は折りたたんだ翼を広げると、カリナの魔力を糧に精霊王が顕現する。
膨大な魔力を得た精霊王は、既に外にいる精霊王達の比ではなかった。
だが違いは大きさだけではない。
「な、なんだあの色……」
カリナが呼び出した精霊王を見て、一人の兵士が呟いた。
その精霊王は錆びた鉄のように黒くて赤い。
精霊王そのものは滅多に見る事の出来ない代物であるが、どのような精霊であるかは、体から放たれる輝きの色で判別することができる。
だが、カリナが呼び出したそれの正体を知る者は誰もいなかった。
「火焔の閃光にて敵を薙ぎ払え! フレアレーザー!」
使用する魔法は紛れもなく上級魔術師でも使用できる戦術魔法、フレアレーザー。
ただ、呼び出された炎の精霊王はカリナの魔力を糧にして黒く変色し、禍々しい気を放っていた。
そして精霊王から放たれた白金に輝く熱線は、迫りくる流星の群に飛び込んだ瞬間、それを全て音もなく蒸発させる。
「な、ななな……なんだ今のは――――ッ!」
「不発……。そう、魔法が不発しただけだろ絶対!」
「だが確かに『フレアレーザー』と聞こえたぞ!」
目の前にいる敵の存在を忘れ、外壁や砦の外から驚きの声が上がってくる。
そして、それを見逃す愚を犯すロトスではなかった。
「今だ! 投石ィィィィ―――!!」
「「ギャギャギギァァァァ!」」
ロトスの掛け声に答えて子鬼族達が足元の石を地上に向けて投げつける。
子鬼族の中には魔法が使える個体もいるようで、所々からファイアボールも降り注いでいた。
「ぐあぁ! に、逃げろ――ッ!」
呆けていた対応に遅れた兵士達が、たまらず後退していく。
早々に壁にとり付くのを諦め、我先に後方に下がっていった。
「はうぅぅ――……っ」
魔力の大半を精霊王に注ぎ込み、カリナは腰が砕ける様に座り込んだ。
だが休んでもいられない。
敵の戦略魔法を防げても戦力を削ったわけではないのだ。
幸い、カリナの力を垣間見て聊か士気が落ちているようだが――。
「ロトスさん、お兄さんはどこ!?」
「『さん』付けは止めろって。――大将なら人間達と一緒に砦の中の敵を掃討中だ。門がぶっ壊されてからワラワラ入ってくるからな」
「わかった、じゃあ引き続きここをお願い!」
よかった、この分だとソウヒもガエンもきっと無事だ。
カリナはそう考えて、この場をロトスに任せる事にする。
「ああ、任せておきな!」
敵に回すと手ごわい戦鬼も味方に回るとなんとも頼もしい返事だった。
ロトスはカリナを見送った後、眼前の敵兵達に向かって叫ぶ。
「俺達の主様の力を見て、まだやろう奴はかかってこいやぁァァ――――!」
「「グァアア―ーッ! ギャアッ! ギャアアアッ!」」
ロトスに続くように子鬼族達も吠えた。
その迫力に押され、そして何よりカリナの力の一端を垣間見た事で、数で圧倒していた兵士達の指揮は更に萎えていく。
「に、逃げろ! 狂った魔物共に殺される――ッ!」
「て、撤退ッ! 撤退ィィ!!」
程なくして外壁はロトスと配下によって奪回に成功したのだった――。




