奴隷商人と盗賊団
エリオンの件から数日が経過していた。
あの日以降、カリナの反応が薄くなっていく。
どんなに鞭をいれても、声を上げる事もなければ苦痛で顔をしかめることもしなくなった。
奴隷商人が力を込めていく。音を上げないのが気に入らないのだ。
次第にエスカレートしていくが、ついに商人の方が先に音を上げ相手にしなくなった。
その時にはカリナの体に無数の傷がついていたが――
「ん?あれは…」
奴隷商人が、前方から走ってくる一団を見つけた。
どうやら同業者だ。
「おう、どうしたんだ? そんなに慌てて」
その一団の主には見覚えがあった。
先日出会った、奴隷商人ことイシュミルだ。
「アルガットへ向かっていたら盗賊に襲われた! 何人かを囮にして何とか逃げてきたところだよ!」
「なんだと!? どの辺りだ!」
盗賊が奴隷商人を襲う事なんかあるのだろうか?
もしそうなら、奴隷を買い取ってもらえなくなるのではないか?
カリナがそう考えていると、イシュミルと目があった。
一瞬だけ、イシュミルが邪悪な笑みを見せる。
「この先の分かれ道を左に曲がった先だ。そっちは危ない。多少遠回りになるが、右に曲がって山脈を超えたほうがいいな」
イシュミルが商人に道を教えると、「今回は大赤字だ!」と悪態ついて去っていった。
イシュミルの説明通り、確かに分かれ道があった。
左側は川沿いルート、右側は山脈ルートだ。
奴隷商人はイシュミルの助言に従い、山脈ルートを選択する。
それが罠であるとも知らずに。
*****
「よし、そこで止まれ!」
奴隷商人とカリナ達奴隷。その前に立ちはだかったのは――
「と、盗賊だと…?」
既に周辺は盗賊に取り囲まれていた。左右に10人ずつ、後ろに10人、そして前方1人
「1人…?」
カリナは呟いた。
どう考えても罠だ。罠じゃなければ相当腕が立つか、単なる馬鹿。
そして、目の前の相手はとても馬鹿には見えない。
「その奴隷どもを置いて行ってもらおうか! 今なら命だけは助けてやる! 警告はこの一度のみだ!」
前方の盗賊リーダーが叫ぶ。
「ふざけるな! どれだけ金が掛かってると思ってるんだ! 男どもは時間を稼げ!小娘、お前は俺の護衛だ! 見事守り切れたなら専属護衛にしてやる!」
カリナを含め、奴隷達全員が命令に従うつもりなどなかった。
武器を持った相手に素手で立ち向かうなど出来るはずもないし、そもそも従う義理はどこにもないのだから。
(専属護衛? 専属奴隷の間違いでしょう?)
いくら魔法が使えると言っても、大人数を相手にできる程のものでもない。それ以前に今は魔力封じの鎖で繋がれているので、魔法も使用できない。そして、もし逃げ切って専属護衛とやらになったとしても、今後この男を護衛するだけでいいなんて事は絶対ないだろう。
ただ時間は欲しかった。護衛するように見せかけ隙を見て一か八か逃亡する。成功する確率なんて考えない。それ以外の手立ては思いつかないのだから。
「よしついてこい!」
カリナの鎖を引きながら商人が最も包囲が薄い処――前方に向かって走り出した。
盗賊リーダーは慌てることなく槍を構える。
カリナは思いっきり飛び蹴りを繰り出した。
――前方の奴隷商人に向かって。
「ぬおぉぉぉぉっ!?」
「むっ!?」
後ろから押される形でバランスを崩しながら加速する奴隷商人。盗賊リーダーは予想外の驚きながら槍を繰り出し、そして――
「グフゥッ!」
そのまま奴隷商人を貫いた。そこに一瞬隙が生まれた。
(――今だっ!)
千載一遇のチャンス、盗賊リーダーの脇を抜き去り、猛スピードでダッシュした。
*****
後ろは振り返らない。振り返る分だけ遅くなる。
とにかく走った。走りながらカリナは考えた。
(逃げたところで当てがない、ここはフォルンとアルガットの国境で、どっちに逃げてもボクにとっては生き難い……)
前者はハーフエルフを言うに及ばず、後者は更にひどい現実が待っている。
(…お母さんの里は? ……無理だ。逃亡奴隷のハーフエルフというだけでお母さんに迷惑が掛かる!)
考えるだけ無駄だったようだ。
未来なんてものはもうどこにもなかったのだ。
それが分かっていながらカリナは走るしかない。
だが体力ももう限界だ。
ここまで殆ど食べ物を口にしていない。
僅かに出された食事は腐ったスープのみ。
まともな料理は一度も貰えなかった。
やがて足が動かなくなる。
そんな時、前方から――
「おーい!」
なんとなく間の抜けた声が聞こえてきた。奴隷商人のイシュミルだ。
「上手くいったようじゃな! 一団にお前さんがおったのを見て、急いであいつ等を呼んだんじゃ!」
イシュミルはそう言いながらカリナに近づいた。
「近づかないで! お願い、見逃してッ!!」
身構えるカリナは必死に懇願する。
イシュミルは一旦足を止めて、両手を広げながら敵意がないポーズを取った。
「待て慌てるな。お前さんの悪いようにはせんから、な? まずは話だけでも聞いてくれんか?」
それでもカリナの警戒が解けることはない。もう後がないのだから当然だ。
「どちらにせよ、そんな体じゃ遠くに行けんじゃろ? うまく逃げても魔獣共の餌になるのがオチだと思うが?」
「………くっ!」
図星だった。
この奴隷商人に、もう立ってるのもやっとの状態であることを見破られている。
「どれ、一休みのついでだと思って、少しの間だけでも話に付き合ってくれんか?」
小太りの体でどっかりと座り込み、カリナが落ち着くのを待った。
(この人は奴隷商人。信用したらダメ…ッ!)
半信半疑でイシュミルを見る。座り込むその姿に敵意は感じられない。
むしろ本当に助けたいという意思が感じられる。
だが、それが嘘である可能性も否定できない。
カリナはどうしていいのか分からなくなった。
「分かった。少しの間だけ……」
そう言って距離を取りつつ座り込んだ。
*****
「あれが盗賊じゃない…? じゃあ何なんですかっ!?」
イシュミルの説明にカリナは声を上げた。
身なりはどう見ても盗賊だったし、奴隷商人が相手とはいえ所有物――すなわち奴隷を奪おうとしていた。
誰がどう見ても、身ぐるみを剥がしにきた盗賊の一味だ。
「疑うなら、直接聞いてみるといい」
イシュミルがカリナにそう応えた。後方から声が掛かる。
「俺たちは奴隷解放団だ」
振り向くと先程の盗賊達がやってきた。そこには今日まで共に連れられてきた奴隷達の姿もある。
(しまった…っ! もう追い付かれてしまうなんて!)
もう逃げる術が残されていない。覚悟を決めて集団と対峙する。
「俺は団長のガエン。こっちは副団長のソウヒだ。よろしくな。」
無精髭を生やした盗賊リーダーが名乗った。
「あの……奴隷解放団ってなんですか…?」
「その名の通り、盗賊に売られた奴隷達を開放し、望むなら故郷に帰す義賊さ!」
ガエンと名乗った男が爽やかに答える。
(なるほど、自分達が捕まえた人達を奴隷商人に売り、後で助けてその恩も売るという事ね)
「でも、ボクお金なんか持ってないです。元々お父さんと行商をしてたので故郷もないし…」
「金なんていらねぇさ、義賊だからな! 身寄りがないなら俺らの里で働くかい? 君のような境遇の子も何人かいるぞ」
(……胡散臭い)
この世はどんな事においても金が絡む。
様々な以来を引き受ける冒険者ギルドだって、助けてもらったら金を要求される。
それを無償で助けましょうなど、信用できるはずもない。
「な、なんの目的でそんなことを? 働くって何をするんですか?」
結局働くということは、体を売れということなんだろう。
奴隷よりはマシな待遇かも知れないが、絶対に遠慮したい。
「あぁ、その説明を始める前に…。手当てをしてやれソウヒ」
「ああ、まかせろ!」
ガエンの隣に控えていた真面目そうな――猿顔の青年が前に出た。
「え…?」
不意に近づいてくる青年を見て恐怖が蘇る。
鼓動が少しずつ早くなっていく――
「 あ、ああぁ……」
先日盗賊たちに襲われた記憶――
――倒れる父親
――すぐに姿が見えなくなる
――次に見たその姿は既に亡骸で
――自分を見る男達の眼が恐ろしくて
――体に手が触れて……体に手が触れて……体に手が触れて……!?
――手が……手が……手が…手が…手が…手が手が手が手が――――ッ!!
「いっ嫌ぁああああぁぁぁあぁぁ――――――――――ッ!?」
弾け飛ぶように青年から離れた。同時に無意識で威圧を発動してしまう。
周囲が凍り付いた。
「だ、大丈夫だッ! 怪我の手当てをするだけだって!」
「ぃ、いやだ……。 近寄らないでッ!」
錯乱状態のカリナにソウヒの声は届かなかった。
そして狂気が目を覚ます。
【エクストラスキル:狂化を発動します。】
カリナの体に力が湧き出し溢れだす。
「な…っ!? 狂化だと!! ソウヒ、すぐに下がれ!」
ガエンがソウヒに命令する。
ソウヒは何が起こったのか理解できず、カリナの急激な変化に対応できなかった。
「――――――――――――――ッ!!」
カリナの手足に繋がれた魔力封じの鎖が弾けた。
自由を取り戻したカリナが近くのソウヒに飛びかかる。
―――――ガンッ!
ガエンが割って入り、カリナの攻撃を防いだ。
「下がれっ! 早くしろっ!」
改めてソウヒに命令するが、身が竦んで動けない。
そこに周りの男達が引きずってなんとか後退させる。
「おい、お前ら近づくなよ! こいつは下手な魔獣より凶暴だ!」
盗賊リーダーは武器を構えカリナと対峙する。