咆哮
カリナとゴードンを見送った後、シウラはエリオンを連れて急いで宿に向かった。宿の中ではそんな騒ぎがあった事も気づかず、メリルがソウヒを問い詰めていた。
「どうしてそこで押し倒さなかったの!」
「い、いやそれはちょっと……」
「甲斐性がないのね! そんなのでカリナを任せていいのかしら!」
「……精進します」
そんな声が聞こえてくる。シウラは軽く頭痛を覚えながら二人の間に割って入った。
「お取込み中申し訳ありません。メリル様」
「どうしたのシウラさん?」
(助かった……)
ソウヒは内心ホッとしている。メリルはカリナからソウヒとの関係――といっても殆ど兄妹のような関係だが――を聞いてたようで、ソウヒに実際はどこまでいってるのかを問い詰めていたのだ。
シウラの後ろで泣いているエリオンにメリルは気が付いた。
「あら? あなたはエリオン君よね? そんな恰好になって……ルネはどこかしら?」
「母様ぁ……母様がぁ…」
顔中を涙で濡らしてうわごとのように呟くエリオンの様子を見て、メリルがシウラに事情を聞いた。シウラは簡潔に状況を説明して最後に躊躇いながらも、カリナとゴードンが先行した事を告げる。
カリナが飛び出した事を聞いてメリルの顔が青ざめた。いくら人並み外れた強さで緊急の事情があったとしても、大事な娘が一人で魔獣と戦うために森の中を行動するなど信じられなかった。
「ソウヒさん、シウラさん! すぐに追ってください。 私は冒険者ギルドで緊急に依頼を発行します」
「「分かりました!」」
「ぼ、僕も……僕も行く!」
3人のやりとりを見て、エリオンも声を上げる。それをメリルが諭すように――
「エリオン君、お母さんは今、魔獣に追われてとても危ないの。もしお母さんを助けられてもエリオン君が怪我でもしたら、お母さんはきっと後悔すると思うわ。
これからみんなでお母さんを探すから、一緒に待ちましょう」
「そんなぁ……母様ぁぁぁッ!!」
エリオンはメリルの言葉で泣き始める。メリルはエリオンを抱きしめながら眼で二人に合図する。それを察して二人はこっそりその場を後にした。
「さあ、冒険者ギルドに行きましょう! お母さんを探す準備をしないと!」
「はい……」
エリオンを励ますように声を掛ける。だがエリオンの声に元気は戻ってこなかった――
*****
「はぁ、はぁはぁ……、もう、しつこいったら!」
エリオンの母親、ルネは森の中で毒づきながらひたすら走る。
エルフと猪剛族はどちらも森で暮らす種族だ。どちらも森の中を行動するのはお手の物だったが身が小柄な分だけエルフの方が勝れている。
ルネは足を止めて呼吸を整える。既に十分引き離していたが油断はできない。猪剛族の鼻はとても鋭く、多少の距離が離れていても臭いを頼りに追ってくるのだ。
非力で体力のないエルフが猪剛族に追いつかれた時、待っているのは死か、或いは死ぬ方がマシと思える絶望のどちらかだ。
助けを呼べない悲壮感と捕まった後の絶望感が体を蝕む。だがここでつかまる訳にはいかない。村でエリオンが帰りを待ってるはずなのだから。
左右から囲むように猪剛族の気配が近づいてきた。気配は獲物を追い込むように包囲を狭めてくる。敵の視界に捉えられる前にその場を離れた。
「も、もう…っ! 本当に……しつこい……!」
体力はもう限界だ。このままでは本当に捕まってしまう。そしてその時が刻一刻と迫ってきていた。
――グオオオォォォオオオンッ!
背後から聞こえる猪剛族の咆哮、それに気を取られてルネは足元の注意を怠ってしまう。
「――あぁっ!」
木の根に足を引っ掛け転倒した。すぐに立ち上がるがその瞬間――
――ドガァァァッ!
「ゥ――ァ――ッ!?」
背中に伝わる衝撃で呼吸が止まり意識が暗転する。同時に地面に叩き付けられた衝撃、そしてルネの背中に猪剛族が熨しかかってきた。
「い、いやあああぁぁぁぁぁああ――ッ!!」
ルネは恐怖と絶望から大声で悲鳴を上げる。猪剛族は服を引きちぎり、暴れるルネの頭を押さえつけてきた。
それでも抵抗をやめないので今度は後頭部を殴りつけた。抵抗が弱くなるまで一頻り痛めつけた後、猪剛族は残った服を全て剥ぎ取る。
「あぁァ……い…タ……痛イィぃ――ッ」
後頭部を強打されて頭を押さえて唸る。そこに近づく気配――……。
「ぁぁぁぁ……た……助けぇ―……」
鈍痛で頭が朦朧としながら奇跡に縋る。だが現実に現れたのは残り2匹の猪剛族と、そして――
「そ、そんな……まだいたなんて…」
――4匹目の猪剛族が現れる。先程の咆哮は獲物の注意を引き付けるものではなく。仲間を呼び寄せるものでもあったのだ。
ルネはもう逃げられないと観念して抵抗する事をやめた。これから始まる現実に涙を流して呟く―――
「ェ…………エリ…オン―……」
――そして蹂躙が始まる。
*****
ルネは目前で繰り広げられる光景が信じられず、目を見開いていた。
4匹目の猪剛族が現れるなり、突然仲間割れを始めたのだ。その猪剛族は斧を手にルネに熨しかかっている猪剛族の頭をかち割ると同時に、強烈な蹴りで吹き飛ばした。
やられた方の猪剛族は力なく転げ、近くの木に激突してそのまま絶命した。
更に4匹目が驚く行動をとる。外套を脱ぐと裸同然のルネに被せたのだ。
「え……っ!?」
ルネはこの瞬間、この猪剛族は自分を庇っている事を悟る。だがその理由は分からず、戸惑うことしかできなかった。
4匹目が残りの2匹に向かって――
「グォォォォォオオオオオオオ―――ッ!」
その場の空気がビリビリと揺れると同時に地面が盛り上がるような強烈な咆哮を浴びせた。
2匹の猪剛族達はその迫力に押されて後退する。それらと対峙しながら振り返ることなく4匹目が言葉を発した。
「そなたがあの童の母親か?」
「え……ぇえっ!? 猪剛族が言葉を話すなんて……」
「……某は上級猪剛族のゴードンだ。 質問に答えよ」
「は、はいっ……童がエリオンというのなら、私がその……母です」
未だ意識がはっきりしない中、言葉を話す猪剛族に助けられ、ルネの頭が混乱していた。そのせいかゴードンの問いに素直に答えた。
「気をつけろ。敵はこの2匹だけではない。この騒ぎでもう1匹くるぞ」
「……え?」
ゴードンはその嗅覚で接近する気配を感じていた。その強大な気配にゴードンでも身が震えるのを感じる。そして彼はその気配の正体を知っていた――
「間違いないだろう。これは戦鬼だ」
その名前を聞いてルネの顔が青ざめていく。B級指定魔獣のそれは小さな村程度ならひとたまりもなく蹂躙する凶悪な魔物。到底一人で立ち向かえる相手ではなかった。
「な、何かの間違いなのでは……?」
「某もそう願う」
その願いが届かないのはゴードンには分かっていた。やがて2匹の猪剛族達の背後から現れる人型の魔物。猪剛族より一回り小さく、エルフより少し大きめの体格の魔物は、
ゴードン達を見るなり獲物を見るように笑って見せる。
「へぇ?上級猪剛族とは珍しいじゃん。だがお前ら、こんなとこで大声張り上げやがって」
戦鬼が人語で話しかけてきた。
「某はゴードン。連れがこいつらに襲われていてな。此奴らを追い払えばすぐに退散する故、手出し無用で願いたい」
「そうかい?」
そう言うなり、戦鬼は背中に掛けてあった大剣を引き抜き――
――バクンッ!
「……え?」
「むぅ……」
ルネもゴードンも動きが捉えられなかった。戦鬼の体が一瞬ブレたように見えたと同時に2匹の猪剛族達の首を両断され、あっさり絶命した
戦鬼はゴードンに改めて笑いかける。
「これでいいだろ? 上級猪剛族の固有種なんて珍しい獲物は初めてだ。誰にも邪魔はさせねぇ」
「そうか、だが連れは――」
「ああ、そうだったな」
――ガッ!
戦鬼の大剣がルネの首の直前を通過する。何が起こったのか理解が追い付かない。だがゴードンの腕から流れる血を見た時、自分が殺されかかった事と、この魔物にまた助けられた事は理解できた。
腕に走る激痛で顔が歪むゴードン。その様子を見て戦鬼が機嫌を悪くしたように――
「おい待てよ! そいつは足手纏いなんだろ? なに庇ってるんだ!」
「……そなたのような者でも『庇う』という言葉を持ち合わせているのだな。だがその意味は分かってないようだ」
「なんだと?」
「強き者がその身をもって弱き者を護る、それが庇うという事。そして今、この弱き者を護る強き者は某だけだ」
「何だそりゃ…」
ゴードンの言葉を聞いた戦鬼は白けた顔をする。「弱肉強食」が魔物達の掟なのだ。目の前の敵が気にくわないなら倒せばいい。それができないのなら逃げるしかないのだ。
「あ、貴方、何故そこまでして――」
ゴードンの背後からルネが声を掛けた。
「某の友が童の頼みを聞きそなたを探している。それに力を貸すことが某の役目」
「貴方の……友?」
「そなたは知らんか? 名をカリナと言う」
「……ッ! あの子が――!」
ルネには信じられなかった。狡猾で利己的な外の世界で育ったダークエルフが何故こんなことを? と考えを巡らせる。だが答えを得る事は不可能だ。これまでカリナの気持ちを解ってこなかったのだから。
利き手に力が入らない。武器で戦うのは不利だった。そう悟ったゴードンが戦鬼に言い放つ。
「戦鬼よ! 最早某が相手では不足であろうが唯では倒れぬ! 貴様と刺し違えてでも某の役割を果たして見せよう!」
――グァァァァァァアアア―――ッ!
武器を捨て雄叫びとともに戦鬼に向かって突進した。その咆哮を受けた戦鬼は狂喜して迎え撃つ。
「いい気迫だ上級猪剛族! だが殴り合いで俺に勝つつもりかァ―!」
――ガッ! ゴッ! ガンッ!
2体の魔物は防御も回避もすることもなく、体格差など関係ないように殴ったら殴り返し、殴り返すと更に殴られる。お互いの体に拳と蹴りが入る度にそれを上回る力が込められていく。
だがその戦いも長くは続かない。重い一撃をもって打ち込むゴードンだが、それを物ともしない戦鬼を相手に次第に均衡が崩れていく。
「うははははぁぁぁぁッ! どうした上級猪剛族! そんな事じゃそこの女は護れんぞ!」
「――――ッ!!」
ゴードンは答えない。実力に差があるのは分かっていたこと。だから冷静に自分ができる事をやるだけだ。
――ガンッ! ドガッ!
戦鬼の猛攻が続く。ゴードンの体が腫れ上がっていく。そしてついに膝をついた――
「ム……ムゥ……」
最早、力尽きたゴードンは立つこともできなかった。ルネはゴードンの背中に手を当て叫ぶ。
「もうよいのです! お逃げください! 今貴方が倒れれば、私はあの子になんとお詫びすればよいのですか!」
「心配ない。 某の役目はそなたを護ることだ」
「何故ですか! 貴方はあの子の何なのですか」
「ゴードンさんは、ボクの大切な仲間です!」
二人は顔を見上げた。目に映るのは宙に浮かぶ黒髪褐色の少女。その背中には暗く光を放つ翼が広がっている。
「ゴードンさん、ごめんなさい遅れてしまいました」
「強き者カリナよ……某の役目、果たして見せたぞ……」
「あの子が……カリナさん……?」
カリナは地面に降り立つと、二人を庇うように戦鬼の前に立つ。
「後はボクに任せてください!」




