第4話 「美しき挑戦者! おいでませカンフーレディ」
中国の山は高い。並の人間ならば足を踏みいる事も許されない神の領域、その中の一つである高山「婆任愚山」では、甲高い女性の叫び声が、辺り一面に響き渡っていた。
「はいっ! はいっ? はいーっ……!」
様々な掛け声に乗せて、一人のうら若き女性が中国拳法の型を繰り返す。気合いと共に発せられる突きや蹴りは風を切り、型と言えども十分な威力が込められた必殺技である事が分かる。
「はいはいはい!」
極めつけに、彼女は木に向かって飛び蹴りを放つ。足が木の幹に触れた瞬間、彼女の両足がまるで磁石のように木に吸い寄せられていく。
「はいいぃぁぃーっつ!」
あらぬ声と共に、彼女の両足が木を蹴り、対面する木へ勢いよく飛んでいく。これぞ究極奥義「三角飛び」の完成であった。彼女は嬉しさのあまり、つい懐から携帯電話を取り出し、電話帳から師匠の名を呼び出した。
「もしもし? チンジャオ老師! アタシです! みるくです! ついに奥義を……」
嬉しさに我を忘れて話す彼女、名は「長崎みるく」という。拳法に磨きをかけるちょっとおませな女の子であったが、彼女は老師の重い口調に、異変を感じ取っていた。
「チンジャオ老師? ……はい……分かりました。すぐ戻ります!」
彼女は通話を切ると、携帯電話を胴着の中へ戻す。そして両手足を使って木にしがみながら降りると、チンジャオ老師の元へと駆け出した。
【ここでキャラクターテーマソングのご紹介です】
◆◆◆◆◆
タイトル「わたしがウワサのカンフーレディ」
作詞:コッペパン鈴木
作曲:コメット笹川
編曲:グラップラー河合
うた:長崎みるく(長崎みるく)
(イントロ)
セリフ「はいっ! はいやー! はいっ! はいっ! はいっ!」
セリフ「おばちゃん! 肉まんとウーロン茶、あといちごのショートケーキね?」
(イントロ)
ナレーション「中国は、はるばる遠い神秘の山から、神秘の技と神秘の美貌、あと神秘性を秘めた神秘のスーパーガールがやってきた!」
ナレーション「彼女は『長崎みるく』。さあ、今日は自慢のカンフーで、どんなおてんば見せてくれるんだい?」
キュルキュルキュルキュルキュルキュル
ドーンドーンパーンパーン
スチャカチャカンパパパッパー!
◆◆◆◆◆
「ろうしー!」
「おお、みるくや」
丸太小屋に到着するなり、みるくはドアを勢いよく開ける。エアコンがバッチリ効いた個室では、老人が一人、デスクトップPCに向かってマウスを動かしていた。
「何ですか老師、またドスケベなサイトでも見ていたんですか?」
以前、老師は白昼堂々と成人向けサイトを見ているところをみるくに見つかり、一週間口を聞いてもらえなかった事があった。大変気まずかった。
「ち、ちがわい! いいからこれを見ろ!」
「なになに……」
老師が見せたのは動画投稿サイトだった。そこには先日放送されたばかりの、平和なリポート番組が放映されている。
「これお昼の番組じゃん……あ、リーさんだ! 日本でお店出してるって本当だったんだ!」
テレビに映し出された兄弟子、コック・リーの姿を見るなり、みるくは嬉しそうにはしゃいだ。正直顔は好みでなく、共通する趣味もないためまともに口を聞いた事も無かったが、彼が修行の合間に作ってくれた料理を、彼女は出前料理の次ぐらいに愛していた。
「あー、リーさんの作るフレンチトーストとかまた食べたいなあ」
「みるくや、まだ話は終わっておらん。ほれ!」
言われて見ると、動画の雲行きが怪しくなる。突如見知らぬ男性がカメラに大写しされると、彼はカメラを前だと言うのに、差し出される料理を口にしては文句を垂れていた。みるくは日本語も中国語も理解出来るので、日本語音声にご丁寧に中国語字幕まで付いた動画に、だんだんと腹を立てていた。
「な、何よあいつ! リーさんの料理をけなすなんて……あのクセになる味が分からないのかしら!?」
老師は「クセになる味は一般受けしないんじゃないか」と喉まで出ていたが、殴られるのは嫌なのでここは沈黙を貫いた。言いたい事も堂々と言えない、子弟の逆転した関係が哀愁を呼んだ。
そうこうしている内に、動画は予想外の進展をしていた。リーが客の態度に激怒、急にリングを用意すると、おもむろに試合を仕掛け始めたのだ。これにはみるくも大はしゃぎ、「そんなヤツやっちゃえ!」と声を上げるが、謎の男の猛攻を前に、リーは敗れた。
「そんな……リーさんが……」
「そうじゃ。リーはこの、謎の格闘家に敗北した」
「ウソよ!」
みるくはマウスのカーソルを動かすと、リーのKOシーンを何回も見返した。
「はー、アッタマきた! あいつ『拳三十郎』とか言ったわね! ぶちのめす!」
みるくはモニターを前に、両腕を小脇に構え、軽くシャドーボクシングを始める(腕がピョコピョコ動いて可愛い)。そんなみるくを見て、老師は溜め息を吐いた。
「……運命か……」
日常生活では聞き慣れない言葉に、みるくは老師に振り向く。
「え? 何か言いましたか?」
「みるく、お前のご両親は元気かね?」
老師の問いに、みるくは首を傾げた。
「えっと、私の両親は……日本人で父は死去、母は仕事で中国へ。そこで近所のおじいさんに預けられ、見事拳法の才能を開花させたカンフー美少女。それがあたし長崎みるく……」
「みるく、どこに向かって何を喋ってるんじゃ」
みるくはテレビの影響か、時折大袈裟な身振りで身の上話をするクセがある。これを放っておくと勝手に歌まで歌い出すので、老師は早々に止めた。
「そしてみるく、その話はウソじゃ。お前の父は生きている」
老師の言葉を、みるくは一瞬何を言っているか理解出来なかった。
「え、私のお父さんが生きているって……」
「言葉通りじゃ」
「じゃあ……何でお母さんはお父さんを……」
「ノーコメントで」
みるくは反射的に老師の腹を殴り付けた。
「ぐっ……時が来れば話すよう、お前の母親から言いつけられてきたが、今がその時みたいじゃな。真実を知る覚悟はあるか?」
「老師……ひどいよ、ここまで来て下がれるわけないじゃん」
「よし、良い眼じゃ」
老師は話も聞かず、パソコンを再び操作すると、パワーポイントで作られたファイルを、まるでプレゼンテーションの如くみるくに見せ始めた。
【長崎みるく なぜ? なに? 物語】
【ある日、長崎てんぼす、そう、あなたのお母さんは、ひとりの男性と知り合いました】
【男は身長2メートル近くあり、きょたいに見あわない俊敏さを持ち、りんごをにぎりつぶすほどのパワーの持ち主でしたが、これはてんぼすに「もったいないし、きたないから止めなさい」と注意されてきました】
【そんなふたりの間には、やがて玉のようなベイビーが生まれました。それがあなた、長崎みるくちゃんなのです!】
「そんな……これが本当のお父さん……?」
みるくは、ファイルに貼り付けられた見知らぬ大男と、なぜか丸文字でひらがな中心に、流暢な日本語で綴られた文章に驚愕していた。
「じゃあ何よ……あたしの死んだお父さんって……」
「ああ、この男か」
老師がパソコンを操作すると、みるくが見慣れた、眼鏡をかけた気弱そうな男が出てきた。
「これはフリー素材(※)じゃ」
※フリー素材……版権フリーの写真や音楽のこと。条件が細かく分かれる事もあるが、基本的には製作者の許諾や使用料を必要としない。これに顔出ししている男の人や女の人は本当にえらい。
「言われてみれば……」
みるくは以前、雑誌の広告(コンビニのアルバイト募集)で父にそっくりな男を見かけた事があったが、思い返せば構図やアングルもほぼ同じであった。
「じゃあ……じゃあその、あたしの本当のお父さんって誰なのよ!?」
「格闘家じゃよ、それもとてつもなく有名な」
老師がマウスを2、3回ほどクリックすると、一人の男が現れる。先ほどの紙芝居の絵で描かれていた大男だろうか、首の太さが顔と同じくらいに太く、衣服の上からでも、発達した筋肉は隠し通せていなかった。
「拳殴蹴……希代の格闘家にして、数多の子を残していったと言われる男じゃ」
「幾多の子って……どうしてそんな……」
「一説には『最強の遺伝子を残すため』と言われているが、真相は不明じゃ。事実、お前の母親の前からも、僅かな交際期間をもって姿を消している」
まだ年端もいかないみるくにはショックだった。自分が嘘を吐かれて育てられていた事、本当の父親の正体。しかし、みるくはある疑問を覚え始めていた。
「……何であたし老師のもとで修行してたの?」
「それはな、わしがお主の中に、『武』の才能を見出だしたからじゃ。まだ子供だったお主を……」
「ちがうちがう! その前にうちのお母さんとどういう接点があったのよ!? あたし達日本人、あなた中国人、ここ中国。こわいこわい!」
言われて、老師は押し黙る。その表情は明らかに返答に詰まったものであり、みるくは真相を突き詰めた事を確信した。
「もういいでしょう。みるく、今こそ全てを話します」
透き通るような美声に二人が振り向く、小屋の入り口には長崎みるくの母、長崎てんぼすの姿があった。
「お母さん!?」
「話は聞かせていただきました。みるく、とうとうここまで来ましたね……」
母がゆっくりと歩み寄る。あまりに突然で、みるくは「ずっと立ち聞きしていたのか?」だの「今日平日だけど仕事はどうしたのか?」だの「ここまで来たのはそっちの方だろ」だのと思ったが、母には逆らえないので口にするのは止めた。
「今老師が言った事は本当です。あなたが父と信じてきた男は父ではありません。名も知らない、ただのフリー素材(タイトル『微笑みメガネ』)です」
「やっぱフリー素材なんだ……」
「そして、あなたの本当の父親は拳殴蹴。名前の通りパンチとキックが大好きな無法者でしたが、私と彼は激しい恋に落ち、夜のチャイナでドンジャラホイ。するとあら不思議、天使のような赤ん坊が……それがみるく、あなたなのです」
みるくは茫然とした。が……。
「いや、そこまではさっき聞いた部分だから……もうちょっと追加情報を……」
「みるく、あなたの本当の名前は『拳一花』と言います。もっとも、あの人がいない今、その名前に縛られる事はありません」
「え、いや縛ってよ。『イチカ』ってカッコいいじゃん。『みるく』の百倍じゃん」
思わずみるくは反論した。今までさして意識しなかったが、比較対象があるとなれば話は別だ。自分の名前に違和感を覚えてしまったのだ。
「しかし『イチカ』は、あの人があなたを戦士として宿命付ける忌まわしき名前……せめて戦いには無縁でありたいと、私は百倍かわいい名前『みるく』と名付けました。ほら甘そうだし」
「何が戦いに無縁よ! 今こうやって、あたしカンフーの修行までしてるじゃん! ここまでさせておいて『戦いとは無縁』だって?」
「それは、あなた自身が選んだ道です。あなたは覚えていないでしょうが、幼少時に、私はある選択をあなたにさせました」
言われて、みるくは老師の方へと振り向く。
「老師! さっき『武の才能』がどーのこーのって……まさか無理やり……」
「いや、それはない。『武』の道は長く険しいもの、そんな修羅場に子供を入門させるわけにはいかない。だからワシは『選択』をさせた……『武』の道を取るか、あるいは無事平穏な暮らしを取るか……」
老師は一枚のフリップを取り出す。そこには拳法着を手に取り、お菓子をたくさんもらう少女の姿があった。
「思いっきり物で釣ってるじゃん!」
「意思は意思じゃ。ワシはお前に鉄のような意思を感じたのじゃ」
「お菓子で動くゆるゆるの意思じゃない! じゃあ何よ、私は好きでもないカンフーを仕込まれてきたって事? もっと普通の人生を歩めたって事!?」
「みるくや……ついでに言えばワシが教えていたのはカンフーじゃない。功夫だ」
老師がフリップを取り出すと、「功夫」の2文字が力強く書かれたボードが出てくる。
「イサオ? クンフーじゃないの!?」
「限りなくカンフーに似た拳法でな、日本人のイサオさんが考案した武術じゃ。いやー、これがまったく門下生が増えなくてなあ……ねえ?」
「はいあなた」
老師は母親の手を握ると、にっこりと微笑んだ。
「え、ちょっ、何でそんなお母さんになれなれしいの……まさか!?」
「はい、二人はデキてます。なー、てんぼす?」
「はいあなた」
「いやぁー! そーいうの聞きたくなかったー! もっとプラス方面のサプライズが欲しかったー!」
間髪入れずに、老師は自分の顔面に手をかけると、メリメリメリと顔を剥いだ! そこには何と、ダンディーな大人の顔があった!
「えー!?」
「みるくちゃん、騙していて悪かった。僕は日本のとある製薬会社の社長をしている、玄人翔と言う者だ」
「プラス方面のサプライズきたー!」
そう言って、さっきまで老師だった男は急に背筋を正し、改めて名刺をみるくに渡した。みるくはどうすれば良いか分からなかったが、とりあえず名刺を受け取り、代わりに町に降りた時に撮ったプリクラを一枚渡した。
「で、でも。何で日本の社長さんが、中国でジジイのフリなんか……」
「僕はね、みるくちゃん。中国のカンフー映画が大好きでね、よく主人公を指導する拳法の達人(8割ジジイ、2割はヒゲ)がいるだろ? あんな人生を送れたらいいなって……いや、別に君へのセクハラの言い訳じゃないんだが」
「ああ、確かにあの手のジジイはスケベが多いけど……だからって、わざわざ中国にまで来て……」
急に翔とてんぼすは表情を曇らせた。
「あー、その事なんだがみるくちゃん、実はここ本当の中国じゃないんだ」
「へー、大体そんな事だろうと思ったけど、日本か何か?」
「……うん、日本」
先に言い当てられると、翔はどこか悔しそうに唇を尖らせた。
「とーにーかーく! あたしが今まで変ちくりんな環境で育ったのは分かった! だけど、何でこのタイミングで話したの?」
みるくの言葉に、二人はバツが悪そうに顔を見合わせる。そして、てんぼすが意を決して口を開いた。
「みるくや、物事には節目というものが存在します。学校ならば夏服と冬服、扇風機の出し入れ、延びてきた庭木の刈り取り……分かるわね?」
「うん」
「しかし、どんなものでも終わりはやってきます。子供はいつまで経っても子供ですか? 否、子供はやがて大人になり、そして自分が為すべき事を探し、見つけ出さねばなりません」
「今まで学校にも行かせず、カンフー漬けにしていたあたしに何を今更!?」
そうだ、いくら何でも都合が良すぎる。大人の趣味に付き合わされ、いざとなって「後は自分でやれ」とは、なんたる無責任ぶりだろうか。
「そこでみるく、リーを思い出せ」
翔の言葉に、みるくは兄弟子のリーを思いだす。彼は武術鍛練の傍ら、よく料理を作り、そして口癖のように語っていた。
「オレ、自分の店を持つのが夢なんだ。みんなに料理をふるって、それで『おいしい』って笑ってもらえて、お金をいっぱいもらう。素晴らしいじゃないか」
彼には目標があった。叶えるべき夢があった。何一つ疑問を持たないままワイヤーアクションに勤しんでいた自分とは、決定的な差があった。
「そうだ、みるくよ。今こそお前の夢を叶える時が来たのだ」
夢、みるくの夢。武道一筋で、何一つ世間に触れられないまま育ってきた、彼女の夢……それは!
「……あたし、町に降りたい」
「そうね」
「そうだそうだ!」
すかさず二人は、みるくの気が変わらない様に相槌を重ねた。
「よくぞ決心したみるく! とうとうこの時が来たようだな!」
突如翔が叫ぶと、彼は再びジジイの仮面をつけ、取って付けたように猫背になると、ぷるぷる震えながら小屋の外へ歩き出した。
「翔さ……いや、老師?」
「そうじゃ。本当にお前が外でやっていけるのか、このワシが直々に試してやろう!」
なんという運命だろう。親のように慕い、武術を授けてくれたチンジャオ老師に、その拳や蹴りを突き立てねばならぬとは、心やさしいみるくは、突然の事に躊躇した。
「出来るわけがない! 出来るわけないよ老師!」
「やるんじゃ! ワシとの戦いは、いわば卒業試験! 走り幅跳びに例えるならば、ホップ・ステップ・ジャンプのホップなのじゃ!」
ホップ! 老師は軽々しく言うが、そのホップが、みるくにとっていかなるものか、ああ、神はなんて残酷なホップを彼女に与えもうたのか!?
「だけど……」
「みるく! いい加減にしなさい!」
みるくの迷いを断ち切るように、てんぼすが口火を切った。
「お母さん!」
「みるく、あなたの老師への思いやりも分かります。しかし、そんな思いやりが、時に人を傷つける事をあなたは学ばねばなりません」
みるくはハッとなった。てんぼすは何かを勘違いしている。そもそも老師への思いやりなど、あんな茶番を見せられた後には無いも同然だというのに!
「いいですかみるく、あなたが今の今まで騙されてきたように、翔も今まで騙し続けてきました。そんな関係が今終わろうとしています。決着が、メリハリが、あなたにも翔にも必要なのです!」
今「騙す」ってハッキリ言ったよね!? そんなツッコミよりも、みるくはてんぼすの話も一理あると思った。確かにこのまま別れれば、自分は痛いカンフー少女で、老師はもっと痛いカンフー老人である。
ならば最後の最後くらい、本物になってみようじゃないか。それこそが母・てんぼすの示した、自分と老師の奇妙な青春への決着なのだから。
「こい! みるく!」
「はいぃぃぃぃ!」
みるくは小屋に仕掛けてあった滑車に体を吊るすと、キレの良いワイヤーアクションでそのまま外へと飛び出した。
「さあ始まりました! チンジャオ老師VS長崎みるく、宿命の師弟対決です!」
向かい合う老師とみるくを見るなり、てんぼすはいつの間にかマイマイクを取りだし、動きやすそうなシマシマのワイシャツと長ズボンに着替えていた。
「お母さん!?」
「せっかくの娘の晴れ舞台よ、私だってこの日を待ち望んでいた。『レフェリー免許』も既に取得済みよ!」
「てんぼすさんや……」
「安心して老師、今日はあなたにとっても忘れられない思い出になるわ」
そう言って、てんぼすはいたずらっぽくウインクしてみせる。そしてポケットからスイッチを取り出す。
「てんぼす?」
「これは、私からのサプライズプレゼントよ、あなた」
てんぼすがスイッチを入れた瞬間、辺りの空気が震え、地面が隆起する。三人の立っていた場所は鉄のリフトに押し上げられると、林を抜け、瞬く間に青空の下に晒される。
「お母さん! やり過ぎだよ!」
辺りを見ると、巨大スクリーンを吊るしたハリアー機がみるく達を囲む。スクリーンにはテレビ中継だろうか、どこかの客席が映し出されていた。
「さあ世紀の一戦、クンフーの女神はどちらに微笑むのか、最初で最後のクライマックスだ!」
時は来た。もはや逃げ場もない。あとはどちらの功夫が上かここで決めるだけである。
老師とみるくの視線が合う。言葉はいらない。語り合うのは鍛え上げた拳で十分だ。
どちらが先かは分からない、もしかしたら同時だったのかもしれない。二人は大地を踏みつけると、まるでロケットのように前方へと飛び出し……。
「ねえー、それからどうなったの!?」
はしゃぐ子供達に、チンジャオ老師は笑って語りかける。
「あとは知っての通り。お前達の偉大なる先輩、【長崎みるく】こと【拳一花】が勝ち、街へ降りて行ったのじゃ」
その一言に、子供達は歓喜に包まれた。英雄、拳一花の戦闘記録は、最強に憧れる子供達にとって最高のおとぎ話である。
「さあ、お話はそこまで。明日も早いでしょ? みんなもう寝なさい」
「はーい、てんぼす先生」
子供達は老師の側に立つ女性に一礼すると、小屋を後にし、それぞれ自分達の宿舎へと戻っていく。それらを見送った二人は、顔を合わせて微笑んだ。
「あなた、またおんなじ昔話」
「子供はな、飽きないんじゃよ。自分の中の感動をがあって、それを何度でも何度でも反復させる事ができる」
「若いわね」
「君もね」
チンジャオ老師は顔のマスクを剥ぎ取ると、聡明な若社長「玄人翔」へと戻った。
「しかし、みるくが出ていってからもう半年か……月日の流れは早いものだな」
「そうね。もうコンビニじゃ肉まんの季節よ。わたしこの間食べたばっか」
そう言うと、てんぼすは翔に軽くもたれ掛かった。
「……ねえ、あなた。この道場なんだけど……」
「またその話か。これは止めないよ。本当にジジイになるまで続けてやる」
「ううん。せっかく門下生も増えた事だし、道場を大きくしてみたらどうかしら?」
翔はハッとなった。確かに最近は一花の活躍により、「功夫」を習いにくる若者が増えた。しかしいくら私有地の山で道場を切り盛りしても、土地には限界がある。
「……世界進出か。しかし、その為には、僕は旅をしないといけないな。会社や道場を君に任せる事になるが……」
「あら、会社での評価は私が上よ? 道場にしたって、あなたと腕はそう変わらないと思うけど」
「いや、そうじゃなくって、君を一人にするのは……」
言葉を遮るように、てんぼすは翔に口付けをする。それも子供には真似できないやつだ。
「そっちこそ、浮気なんかしたら承知しないからね」
「フフフ、それもそうだな……」
そして二人は、小屋のカーテンを閉めると、夜のチャイナでドンジャラホイ。まだ見ぬ明日への希望に夢を馳せるのであった……。
「みんなー! 今日の三十郎は面白かった? じゃ、まったねー!」