「その12 私の心を解放なさい」(1)
「あのー、森岡師匠。気のせいかしら?私を束縛するヤカラで、なんか遊んでません?」
ラムシゲがジト目で見下ろしながら、森岡師匠に問う。
森岡師匠は、じゃれつくのをストップし、顔を上げてラムシゲのほうを見ながら、爬虫類だか猛獣だかみたいな瞳を2回、パチクリすると、突然、ピロピロ動いてる真っ黒い蔦の真中あたりにカプついた。
噛み千切るわ、食い散らかすわ、引き千切るわ。
森岡師匠は、ものすごいスピードで黒い蔦をむしゃぶり尽くしてゆく。
その様相は、直径2cmほどはあろうかという真っ黒いイカ墨スパゲティを汚らしく早食いしているかの如く。
お~、フードファイト。
あー、あー、血色の良い可愛いほっぺにも、気持ち悪い黒い蛭の切れ端みたいのが“お弁当”的にくっついてピクピクしてますよ。
あー、ほらー。
綺麗な真っ青のジャージの襟のあたりにも、なんか黒い染みが飛んじゃってるしー。
真っ黒い蔦を一通り喰い尽くすと、森岡師匠は満足気に、ちょっと肉球のあるその小さい右手で顔のまわりの飛び散った黒い断片なんかを掃除し始めた。
ブラウンのショートカットヘアの脇からヒョコっと見えてる三毛色の猫耳が、左右別々に円を描くように動いている。
一通りの掃除を終えた森岡師匠は、再びラムシゲの「うげ~」的な引き攣った顔を見つめながら、また2回だけ瞳をパチクリし、それから、ほんとに小さな鼻の両穴を大きく広げた。
――――― げぷ。
ラムシゲの瞳を真っ直ぐに見つめながら、森岡師匠は目を細めて、幸せそうに眠る仔猫のように微笑む。
おー、なんとゆー少女だ。
猛獣の瞳孔さえ見なければ、かなり可愛いお姿なのに。
げぷ、しちゃいましたか。
そーですか。
「ほほぅ。生身の身体であれを喰らい尽くすか。」
ティンクルが綺麗な曲線を描いた自分の顎を撫でながら、感心している。
「ぃゃ……。なんとゆーか……。ほんとにありがと。森岡師匠……。」
ラムシゲは、露骨にそーとードン引きしてる。
「黙れ、下郎。」
ラムシゲの内心を知ってか知らずかわからんが、そーゆって、森岡師匠は、そっと右手をラムシゲのほうに差し出した。
「え?なに? どーゆーこと?」
ラムシゲの疑問に答えることもなく、森岡師匠は鼻息を2回、噴出する。
「え?なに?分かんないよ~……。ひょっとしてお金とかとんの?」
「この痴れ者が! お手だっぺよ、お手!」
荒ぶる森岡師匠。
「え?お手? え、どゆこと??」
「アホか、お前は。お手すればいーけん、お手を。」
ティンクルが脇から優しく?忠告する。
「え?お手って、犬がするアレ?」
ラムシゲの疑問に、ティンクルが大きく頷く。
「……。……。ども。ありがと。」
あまり触りたくなかったが、猛獣の瞳でず~っと見つめてくる森岡師匠にぞっとし、仕方なく、ラムシゲは「お手」をする。
あらカワイイっす♪
急いで写メ撮ろうとして間に合わないライプニ。
森岡師匠は、ちょこんと置かれたラムシゲの左手を見つめて満足気に頷き、ラムシゲに向かって再び目を細めた。
笑ってる……?
かと思うと、急にプイと横を向いて、ライプニの「お手」を払い除けると、再び、のそのそと元いた席に戻ってゆく。
シュールだ。
赤いチェックのスカートをちょこちょこ尻尾で揺らしながら、うんしょ、うんしょと、椅子によじ登る後ろ姿は、非常に愛嬌に満ち溢れてるんだがな~。
元の椅子にちょこんと座った森岡師匠は、両足をぷらんぷらんさせながら言う。
「また、困ったら師を頼るといいっぺ。師はいつも貴様らを見守ってるっぺ。」
誰も返事しないね。
つーか、死霊の一種を喰っちゃったんすけど、あのひと。
お腹、だいじょーぶっすか!?
ライプニは、逆にある種の畏敬の念まで感じてしまった。
「で、何の話だったっちゃろか?」
気を取り直したよーに、ティンクルが切り出す。
「私のセルフィンプレコの話だよ。なんかいろんな邪魔が入っちゃったけどー。」
チラリとライプニに視線をやるラムシゲ。
急いで視線を逸らすライプニ。
「で、どーだったん?何とかプレコのほうは引き取ってもらえたん?」
ティンクルの質問にラムシゲが答える。
「うん。まーねー。到着した頃には背びれが水面から出てたけどね……。ほら、強いから、セルフィンプレコは。まー、そんな感じでメチャクチャな状態でショップに到着しちゃったこともあってさー。なんか、引取りお願いすんのがスッゴイ気が引けてねー。」
「なんでよ?」
「うーん……。なんか、自分の無責任な飼育のツケをショップさんに押し付けちゃってる気がしてさー。行く前は、『セルフィンプレコあげるんだから、リング濾材でも安く売ってよ~』とか言っちゃうくらいのつもりもあったんだけど……。途中でパッキング漏水トラブルもあったりで、店員さんの目の前に来たら、なんか無意味に焦っちゃって。『ホント、すみません、すみません』とか謝っちゃうんだよね。それで、別に聞かれてもないのに、なんか言い訳しなくちゃとか焦っちゃって、最後には『ぃゃ、夫が転勤でどーしても飼えなくなっちゃって~』とか苦しい嘘までついちゃって……。あれ、不思議だよね。」
ほろ苦い、ラムシゲの思い出だ。
「自分の本当の気持ちを理解できるよーになった……、というのも大袈裟っちゃけど、今のお前なら分かるっちゃろ?」
「まーねー。結局、『一度、熱帯魚を飼い始めたら、最後まで飼い続けるべき』ってルールとか、『無責任な飼主とか思われたくない』とか、そんな気持ちがあったのは間違いないよ。もう冷静さを失っちゃうくらいなんだから、深層心理にそーとー浸透しまくってたんだろね。」
「そーゆーこっちゃね。生き物が好きだったりすればするほど、そーいった倫理観に染め上げられちゃうけん。だいたい、熱帯魚飼育しよーなんて思うヤツの大半が生き物好きだけん、早いうちに誰かが教えてやらんといかんのよ。『熱帯魚飼育とは何たるか~』みたいな哲学をね。」
退屈そーなライプニとは逆に、ラムシゲは真面目に聞いてる様子。




