セルカと指輪と伝染する悪夢③
自由都市フレイルは、その名の通り、政策として「自由」を掲げている。その対象は多岐にわたり、人の往来に関しても、目的として「観光」が認められるくらいには寛容である。
観光客向けに販売されている街のガイドマップ、その中央に目立つように少し大きめに描かれているのは、フレイルが誇る観光名所の一つ「フレイル中央広場」通称「回廊庭園」。
それは、大きな六芒星に少しずれて小さい六芒星が重なっているような、あまり庭や公園としては一般的ではない形で描かれていた。もちろんそれだけでも観光客の興味を惹くに足るものではある。しかし、「回廊庭園」が観光名所たる所以はその奇抜な形だけではない。
本来の「回廊庭園」の用途は大規模な魔法の行使。具体的には、転移魔法や最上位の回復魔法といった「使用者一人では魔法の完成に必要な『マナ』をまかないきれないような魔法」を行使する為に作られた場所なのである。
そのため、敷地内では、魔法に必要なマナを放出するために一年を通して迷宮原産の色とりどりの花々が咲き乱れている。より効率的にマナを貯めるためにと考えられた花々の一種の魔法陣的意味合いを持つ規則的な配置も、結果的にその美しさに拍車をかけていた。
そういう理由もあって、「回廊庭園」は、朝夕は迷宮を行き来する冒険者、昼間は観光客や憩いを求める街の人々と、『マナ』の濃度が高くなりすぎるため立ち入りが禁止されている夜間を除き人の往来が絶えることはない。
時は折しも冒険者たちの出勤ラッシュ前。未だ人影もまばらな花畑の片隅、袴姿の女性を象った石像の下でひと組の男女が談笑していた。
「いや~楽しみね、どんな写真が撮れたかしら」
「写真?」
「そ、写真。おととい通信があったでしょ、あの受付の人から」
「あったけど、写真なんて話してたっけ?たしか『セルカが巡回依頼覚えてるかテストしたいから言わないでおいてほしい。』みたいな話だったと思うけど」
「だいたいそんな感じよ。よく覚えてたわね」
「で、それが写真とどう関係するんだい?」
「その『テスト』なんだけど、なんだか面白そうなことになりそうな予感がしたのよね。だから、そうなったときには写真を撮っておいて欲しいってお願いしといたの」
「はあ、それで写真なわけね……。でも、面白くなるって保証はないじゃないか。依頼覚えてるかテストするだけなんだし。そもそもセルカが覚えてるって可能性も……まあ、それは無いか」
「大丈夫大丈夫。私、こういう予感ってほとんど外したことないのよね昔から。面白そうなことになると特に」
「できれば、そういう勘は迷宮で使って欲しいんだけどなあ……」
「なめちゃいけませんね~迷宮でもちゃんと働くわよ。面白いこと限定だけど」
「(リシアにとっての『面白い』が、僕らにとっても『面白い』といいんだけどね)」
小さく苦笑する男を見て、女性はニシシと笑う。
彼女の名前はリシア=トリフィン。
彼女がまとうのは黒のロングコート。その右肩には三日月と三本のススキを象った紋章が刺繍されている。
一般に、黒い装備は斥候系のクラスをはじめ多くの冒険者に人気が高い。しかし、彼女のロングコートはあまりにも黒かった。光さえ吸い込んでしまいそうな闇色のコート。その圧倒的存在感は隠密に全く向いてはいなかった。
実際、こうしてチームメイトを待っている間にも、まだ駆け出しと思しき冒険者がちらちらとこちらをうかがっている。彼女がそちらにすこし目配せすると、あちらはすぐに顔を背ける。その結果として、自分の顔の赤さを見せつけることになってしまっているのだが。
その様子を見た男はやれやれとため息を吐く。
彼はアルマース。このチーム「たいあたり検証班」の頭脳にして、一番の苦労人である。
調子に乗ってウィンクをかましはじめたリシアと、彼女の視線の先にいる末期的に横顔が赤い青少年を見て、彼は天を仰ぐ。
「(また一人犠牲者が……)」
彼の嘆きは深い。
ほどなくして哀れな新人くんは仲間達とともに転移回廊の中へ消えていったが、使用した転移陣から察するに、転移先はおそらく、今日自分たちの担当する迷宮と同じ『リルムの社』。
そもそも、二人がいるのは「回廊庭園」にある十二枚の羽根のうち、南西の大羽根。羽根一枚につき転移陣は一つしかないので、顔色まで判別できるような距離にいるということは同じ転移陣を使う可能性が高いということでもある。
つまり、行き先がかぶってしまうのはある意味必然と言ってもいいのだが、そんなことは彼にとって何の慰めにもなってはいなかった。
「(中で会っちゃったら、絶対めんどくさいことになるよなあ……こうなったら、今日は駆け出しじゃなかなか来られないような奥の方を巡回しよう。……あの新人くんの身の安全のためにも)」
アルマースがそんな苦労人らしい決意をしたころ、ついに二人の待ち人が現れた。
ところで、チラリズムという言葉を知っているだろうか。
それは一瞬間の奇跡に付けられた名前であり(意訳)、その見えるか見えないかの微妙な境界線そのもののことである(意訳)。
それはまさしくチラリズムであった。
よほど浮かれているのか、上機嫌に踊り場でくるっとターンをキメながら階段を下りてくるセルカ。その背中では何かがひらひらと揺れている。こっちに背中を向けたのは一瞬だったし、ちょっと遠くて自分にはよく見えなかったのだが……隣のリシアは違うかったらしい。
「流石ね……私の期待を全く裏切らないわ……くっ、がはっかは、はぁっはぁ」
リシアが酸欠でむせる。おそらく、そこそこ視力かいいリシアにはあの物体が見えたのだろう。体をくの字に折り、腹筋の崩壊に抗っている。
頑張れ腹筋!負けるな腹筋!
あっ倒れた。どうやら抵抗むなしく、腹筋は敗北してしまったらしい。地面に倒れピクピクと痙攣するリシア。
「(何や、あのひらひらした物体Xは何なんや!?)」
リシアの腹筋を一撃で持っていった物体Xに戦慄を覚えるアルマース。
突然ノックアウトされたチームメイトの姿を見て、原因であるセルカも急いでこっちに駆け寄って来る。
……物体Xを背負ったままで。
背中からチラチラと姿を見せる物体X。
見えそうで見えないもどかしさと、怖いもの見たさの好奇心がアルマースの心の中を渦巻く。
そのあいだにも、セルカと共に物体Xがこちらに近づいてくる。
本気を出した冒険者の脚力は高い。すぐにセルカは負傷者の元へたどり着いた。
「リシア!!大丈夫かリシア!!」
セルカは倒れ伏しているリシアを助け起こすように屈み、その肩を揺さぶる。と同時に、その背中と物体Xを惜しげもなくこちらにさらす。
そこにあったのは、紫色の液体を下半身に飛び散らせ驚愕の表情を浮かべるセルカ――の写真だった。
「ぶはっ!!ゴホッゴホッ」
思わず吹き出してしまう。
「(なんで!?なんで依頼受けるだけなのにこんな写真撮られてんねん!!)」
自分たちにとっては、今日の依頼はいわばイージーミッション。窓口で揉めるような難しい依頼ではまったく無い。セルカは巡視依頼のことを忘れてた可能性が高いが、それだけで謎の液体をぶちまけられたりはしないだろう。
正直、つっこみたいところは山ほどある。あるんだけど……。
「(甘い、甘いわ!笑いに飢えたリシアは倒せたかもしれん。しかーし、この西国生まれで鍛えられた自分の腹筋を崩壊させるには、少し力不足や!!)」
そう、何を隠そうアルマースは、ボケかツッコミどちらかこなせて当たり前、の笑いの聖地、西国の出身であった。(一応、隠してるつもりではいるので普段は生地の方言を使わないようにしている。)
幼少期を笑いと共に生きてきたアルマースは笑いに厳しい。リシアが悶絶した写真にも耐えきり、なぜかドヤ顔である。
しかし、彼はまだこの写真の真の恐ろしさに気づいてはいなかった。
そして、奇跡は、起こった。
突然、辺りを吹き抜ける生ぬるい風。
その奇跡の風に導かれ、ひらひらと重力に逆らって写真がめくれ上がり、その下から真打が姿を現す。
「(もう一枚あった……だと……!)」
現れたのは、檻に閉じ込められ『ゴミの漬物』と張り紙されたセルカの写真。
そう、元々この写真は二枚でワンセット。ジト目さんのサービス精神が生み出した、二段構えのトラップであった。
「それは、卑怯やわ……(ドサッ。)」
まさかの二段オチにたまらず地面に崩れ落ちるアルマース。その顔は、腹痛に歪みつつもどこか満足げだったという。
背後から聞こえた異音に振り返ったセルカが見たのは、二人目の犠牲者の姿だった。
「ア、アルーー!!」
そして響き渡る唯一の生存者の叫び声。
……こうして、ある意味フレイル屈指の実力を持つ冒険者二人を地に沈めた写真たちは伝説となった。