セルカと勇者と花の迷宮②
うっかり第二章の章設定をし忘れていましたので、修正しました。
てへっ(by葵♂)
その凱旋祭まで一ヶ月を切り、雑然とした活気もさらに増しつつあるフレイルの街。
しかし、誰もが浮かれていられるわけではなかった。
特に準備に携わる者たちの中には、目を回すほどの忙しさに追われている者も少なからず存在する。
そして、ここにも浮かれてはいられない者が一人いた。
肩を落としてトボトボと歩くカラフルな服装の男、検証班のセルカである。
「はぁ……」
溜息を一つ吐くセルカ。しかし、その様子はあまり忙しいという風にも見えない。小さな歩幅でうつむいて歩くその姿は、どちらかというと気落ちしているという言葉の方がしっくりとくるようにも見えた。
「まさか、まだ依頼が終わってなかったなんて……」
呟くセルカの手には一枚の紙が握られていた。その紙の一番上には「特殊遭遇モンスターリスト」と書かれている。それは昨日までのセルカが所持していた「通常遭遇モンスターリスト」ととてもよく似ていた。具体的に言えば、書式と筆跡までもが一致していた。
セルカはそのリストを自筆で書いてくれたのであろう無表情な受付嬢のことを思い出して、一瞬心が和んだものの、すぐに現実へと引き戻されて、うなだれる。
そのまま、セルカは今や遠い過去のような気さえする昨日のことへと思いを馳せた。
「いや〜今日はいい日だね〜」
「……そうですか。」
「今日はその心底興味なさそうな適当な相槌も耳に心地いいよ〜」
宴会が終わって、後回しにしていた依頼完了の報告をしに、僕は依頼窓口へやってきていた。
徐々に和らいできた冬の寒さと、溢れ出すような街の熱気。
珍しくリシアが酒に毒物を混入させなかったこともあって、久しぶりの嘔吐感が伴わない心地良い酔い。
何より、この三日間縛られ続けたしんどい依頼からの解放感。
生憎、ジト目さんはいつも通り無表情で黙々と作業を進めているけど、それもまた可愛いので全く問題なし。
全てが合わさってその時の僕は本当に気分が良かった。
……ジト目さんのあの言葉を聞くまでは。
「いや〜でもホントに良かったですよ。やっと調査の依頼も完遂しましたし。こう、解放感もひとしおってやつですよ」
僕の何気ない一言に、はたと作業の手を止めるジト目さん。
「……?調査依頼でしたらまだ終了してはおりませんが。」
「ふぇ?」
「いえ、確かに今日で通常遭遇モンスターの調査は終了ですが、まだ特殊遭遇モンスターの分が残っておりますよ?」
「……あ、あああ」
体に巡っていた酔いも飛んでいき、一瞬で冷える頭と体感温度。
「セルカ様でしたら過去に同様の依頼をなさったこともありますし、ご存知ですよね?」
そして飛んでくるジト目さんからの冷酷な追い討ち。
それは、正直前のことなんて完全に頭から抜けていた僕からしたら、もう完全な不意打ちで、あのしんどい仕事をまたしなきゃいけないと思うと気落ちせざるを得ないんだけれども。
でも一番の問題はそんなことじゃなくて……。
「リシア、怒るだろうなぁ」
そう、そこなのだ。
前の依頼が終わったことに一番喜んでいたのはリシアだった。
それに、実はこの調査の依頼で一番負担が大きいのもリシアだ。
モンスターの生態・弱点を洗い出すためには、どうしても戦闘時間は長くならざるを得ない。
このチームの役割としては、僕とアルは基本的には囮だ。だから、攻撃を受ける回数が増えて多少しんどくはなるけど、やること自体に変化はない。
でも、リシアは違う。
リシアの役割は攻撃役で、そのスタイルは超短期決戦。
じっくりと時間をかけてダメージを蓄積させていく戦闘では、十分にその持ち味を生かすことができない。
幸い支給品は潤沢に貰えるから危険度まで跳ね上がるということはないけど、それでもストレスが溜まるのは致し方ない。
そんなこともあって、今日のリシアはいつもより数割り増しで機嫌が良かったんだけれども……。
……その分、反動もキツイであろうこともまた、想像に難くないわけで。
セルカはその先に待っているハードな現実に再び思いを馳せて肩を落としながら、二人との待ち合わせ場所へと歩いていった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
既に陽も大きく西へと傾き辺り一面を赤く照らす中、僕は息を切らせて必死に走っていた。
滲むような汗が上の下着を濡らす。
「(あと少し、あと少しで――)」
しかし、近づいてきた終着点に、自分でもわからないぐらいの振れ幅でスピードが落ちてしまっていた。
そして次の瞬間……風を切る音を響かせながら僕の頬を高速でかすめていく、赤く染まった石礫。
「ひぃぃぃ!」
慌てて速度を上げ直す僕と、追いすがってくるモンスター。
僕が現在進行形で追われているこのモンスターは「ロック・リリィ」(仮称)。
フローリア浅部の特定地点で遭遇するモンスターであり、今日最後のターゲットだ。
こいつの特徴は、花粉っぽい何かによる広範囲の睡眠の状態異常付与と、生半可な攻撃を弾く岩のような体表だ。しかも、高位の迷宮に生息するモンスターゆえの高い体力と合わさって、ひじょーに硬い。
……あと、植物みたいな体のくせに走るのが速い。
「キュアァァァァァ」
背後から届く甲高い鳴き声。それを聞いた瞬間、僕の背中に戦慄が走る。
同時に走るスピードをほぼ限界まで上げる。
もつれそうになる足をぎりぎりで堪えて、一直線に続く道を走り抜けた。
「(抜けた!)」
そう思った瞬間、僕の後ろで、ロック・リリィは僕が一番厄介だと思う攻撃を放った。
それはロック・リリィの花から放出される岩の息吹だ。
『ブレス』……それはトカゲ型のモンスター等がよく用いる放射状の範囲攻撃。ブレスはモンスターの種類にもよるが、大体が出が速く効果範囲が広いので避けるのが難しいという特徴を持っている。
また、ブレスはそのほとんどが何らかの属性を有しており、そのため、一度ブレスを受けてしまうと追加で何らかの状態異常を食らうことも多く、多くの冒険者にとって恐怖の対象となっていたりする。
……が、僕にとっては逆。全ての属性に耐性がある僕にとって、ブレスはとても与しやすい攻撃の一つだ。ブレスはその強力さの代償にかなり派手な予備動作があるし、僕はほとんどダメージを食らわない&状態異常も無効のステキ仕様だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
でも、あいつのブレスは違う。あれだけはダメだ。
だって、あのブレスは……ただ岩を吐いているだけだから。
ただただ広範囲にわたって圧倒的な物理的圧力をかけてくる灰色の奔流。それがあのモンスター、ロック・リリィのブレスなのだ。
属性値が高い代わりに紙装甲な僕に向かって、属性値無視、物理100%の岩の息吹(仮)が襲い掛かってきた。
いっそ過剰なほどに距離をとっていたから、吐き出された岩が届くことはないけど、あれに呑み込まれたらと思うと戦慄を抑えることができない。
というか百合が大量の岩を吐き散らすってどうなの……?まあ、アルならあれにも余裕で耐えられるんだけどね。そのアルは今、状態異常でオネンネなわけだけれど。
……とにかく、あいつの能力や特徴の組み合わせはかなり厄介だ。流石は未踏破迷宮の固定モンスター。
そこで僕らは一計を案じて、あいつをおびき出して戦いやすいポイントで仕留めることにしたんだ。
で、ありがたくも囮役を仰せつかったのが僕だったというわけ。
本当ならもっと楽にその役目も果たせたはずなんだけど、あのブレスのせいで少々手こずって全力鬼ごっこ大会と相成ってしまったんです、ハイ。
しかし、それももう終わり。
目標地点は本当に目と鼻の先。再充填の時間を考えるともうブレスを撃つこともできないだろう。
あとはこの一本道を全力でダッシュすれば、この鬼ごっこも終了だ。
僕は慌てずに、あいつがブレスを吐き終わったタイミングを見計らって走り出す。
後ろからは地鳴りのような音が追いかけてきている。
よし、大丈夫。足音がついてきているってことはあいつもちゃんと追いかけてきてるってことだ。
このまま――
――そう思った時だった。
「うおおおおお!!!」
僕の後ろ、地鳴りの音と共に一人の人間の雄叫びが聞こえてきたのは。
思わず足を止めて後ろを振り返る僕。
そこで僕が見たのは、猛然と距離を詰めてくるモンスターと、そのさらに後ろで輝く一本の剣を振りかぶった一人の人間の姿だった。