セルカと指輪と伝染する悪夢②
冒険者たちの職場は迷宮である。当然そこに空調設備もなければ、暖炉もない。
ゆえに彼らは気候に敏感である。寒さ・暑さに体力や集中力を奪われ、そこに生じる一瞬の隙が命取りになることもあるからだ。
厚着・薄着に重ね着は当たり前、チームメイトに魔法を使えるものがいればお世話になることもあるし、場所によっては雨具を持っていくこともある。
冒険者の多く集う依頼窓口や酒場には、専門の占術師らによる五日後までの天気占いの結果が貼り出されている。
明日の天気は、冒険者たちの最大の関心事の一つといっても過言ではないのである。
高く澄み渡る青空にひとかけらの雲がゆらゆらと揺れ、やわらかな日差しと優しい微風が奏でる旋律に身をゆだねるように塀の上で猫は丸くなって時折気持ちよさそうに頬をかいている。
震えるような寒い日々の中、降って湧いたように現れた陽気に、誰もが浮かれていた。
「今日は~迷宮びっより~♪」
それはもちろん冒険者とて例外ではない。この過剰に浮かれている男はセルカ=フリント。ここ自由都市フレイルでは検証班「虹色の変態」として名を馳せている冒険者である。
「今日は『リルムの社』かあ~」
どこか気だるげなセリフとは裏腹に、足取り軽く街の中心の方へ歩いていくセルカ。その隣にチームメイトである二人の姿はない。それぞれ分担して準備を済ませた後、目的地である「回廊庭園」で待ち合わせ、ということになっているからだ。
セルカの担当は依頼の受注。あとの二人は、消耗品の買い出しと昼食の用意や特殊な装備品の準備などを担当している。何か特別な事情がない限り、大抵この分担で出発前の準備は行われている。まさしくいつもの光景であった。
さかのぼること数十分前。僕はフレイル依頼窓口の入口に立っていた。
フレイル依頼窓口は主に「上」からの依頼の取次を行う、役所の一部署的扱いの窓口だ。
今日はどんな迷宮が僕を待っているのだろうか。こんなにいい天気、いつも以上に探索もはかどるに違いない。
期待に胸をふくらませながら勢いよく扉を開ける。
「ども~、おはようございまーっす」
「……おはようございます。」
抑揚のとぼしい声に、まるで表情筋までもがやる気を失ってしまっているかのようにピクリともしないダウナーな顔。そしてジト目。
窓口から挨拶を返してくれたこのジト目かわいい女性。彼女が受付嬢のジト目さんである。
冒険者が窓口で依頼を受けるときはできる限り同じ人に受付をしてもらうのが一般的だ。
冒険者からすると多少の融通が利くようになるし、窓口側からすると管理がしやすいと、互いにメリットがある。
そんなわけで今日も今日とて一番右端にあるジト目さんのカウンターに歩いていく。
……なんだか今日はジト目さんのジト目度が五割増しぐらいになっている気がする。もちろんその姿もかわいいんだけど、理由がわかんない。何でだろ?
!!っ、もしかすると、こんなにいい天気なのに窓口業務に追われてろくに外にも出れないことを嘆いているのかもしれない。心なしかジト目さんから不機嫌そうな雰囲気を感じるし!
そういえば、僕らが本来休みの日に迷宮に潜った時もジト目さんに受付をしてもらった。その時は何も思わなかったけど、今思えばおかしい。
本当にジト目さんは休みをもらってるんだろうか?
無表情と口数の少なさを利用されて役人の犬として馬車馬のように働かされているんじゃないだろうか?
だとしても、僕はただの冒険者に過ぎない。ジト目さんの上司のこわーい「おやくにんさん」に訴えても聞き入れてもらえるとは思えない。
肩を落としうなだれる。
ああ、僕はなんて無力なんだ。
この素晴らしいジト目が濁っていくのをただ見てることしかできないなんて……。
いや、僕にもできることはあるはずだ。ジト目さんのオーバーワークを止めることはできなくても、せめて、そのジト目の下は穏やかでいてほしい。
そうだ、ジト目さんを昼寝に連れて行こう!こんなにいい天気なのにずっと屋内でいるなんてもったいない。芝の上でそよ風と陽光に包まれながら睡魔に身を委ねればいいリフレッシュになるかもしれない。 幸い僕は不定休がウリの冒険者。一日くらいサボってもなんとか……なん…と……か……、た、たぶんなんとかなるハズ、いや、何とかしてみせる!いつもお世話になっているジト目さんのためにも!
と、ここまで声をかけられてから10秒ほど。そろそろ無言のジト目が痛い。
でも、今ならわかる、そのジト目が何かに気付いてほしそうにしていることを!その何かを祈るような強い視線の真意を!
僕はそれに応えるようにジト目さんに声をかけた。
「これから、二人で一緒に寝ましょう!」
……それからのジト目さんの行動は素早かった。コンマ数秒ほどポカンとした後、ためらいなくカウンター裏の赤いボタンを押す。
ボタンが押された瞬間、足元の床が抜けた。と、その下から現れたのは紫色の液体の溜まった落とし穴。当然よけられるはずもなく、ズポッという音と共にひざ下くらいの深さの穴にはまってしまった。
「痛っ、ちょっ、何ですかこれは!」
「……迷惑冒険者撃退用トラップです。それよりもさっきのセリフもう一度お願いしてもよろしいですか?もしかすると私の聞き間違いかもしれませんし。」
「いやっ、たすけてくださいよ!このままだと流石にHP減っちゃいますからっ」
「大丈夫です。その液体は角の薬屋さんの廃液ですから、貴方ほどの耐性があればHPは減らないはずです……たぶん。ごちゃごちゃ言わずにもう一回言ってください。」
「廃液!?何でそんなもん持ってるんですか!」
「……。」
無言でこちらを見下ろすジト目さん。
目線が低くなったせいなのか、それとも威圧的なオーラのせいなのか、いつもよりジト目さんが大きく見える。
……どうやら助けてくれる気はなさそうだ。どこがジト目さんの気に障ったのか分からないけど、もう一度言えば助けてもらえる……と信じたい。
「ですから、二人で一緒に寝ま――」
ポチッ(何かのボタンを押す音)
ガッシャーン(天井から檻が落ちてくる音)
パシャパシャ(誰かがシャッターを連打する音)
「と、撮るなぁーー!!」
絶叫がシックな木造の建物内にこだまする。
何で!?なんでこんなことになってんの!?
「た、助けてください!」
この状況を作り出した張本人のジト目さんは手元で何かを書いている。いや、事務仕事とかいいですから、早く助けてください。
と思ったら、さっき書いてた紙を持って、カウンターからこちらに出てきてくれた。
なるほど、さっき書いてのは開錠の魔法陣か何かなんですね。突然落とし穴+廃液+檻の3コンボ決められたのでびっくりしちゃいましたけど、ちょっとしたドッキリみたいなものだったんですね。いやー完全に取り乱しちゃいましたよ~。
トテトテと歩み寄ってきて、ペタッと紙を檻の外側に貼るジト目さん。そのままカウンターに戻っていってしまった。再び何やら作業を始めるジト目さん。……うん、おそらくちょっと開錠に時間がかかる系の檻なんでしょう。……それはそれでどうなんだって話だけど……。
数秒後。……何も起こらない。
十数秒後。……何も起こらない。
数十秒後。……写真を撮る人が増えた。
さすがにおかしい。一分たっても、起こった変化はシャッター音が増えただけ。
もしかすると魔法陣は書いとくから自分で開けろってことなのかもしれない。貼っている紙をはがしてみる。
『生ゴミの漬物』
……とりあえず魔法陣には見えない。
「ちくしょう!!」
怒りに任せて紙を足元(謎の廃液)に叩きつける。
すると、なんということでしょう。煙を上げて溶けていくではありませんか。
周りの冒険者たちが目をむいて三歩下がる。僕は錆び付いた人形のように少しずつ顔を上げてカウンターの方を見た。
「今日はちょっと強いみたいですね。」
……何が?とは怖くて聞けなかった。
僕が廃液の溜まった落とし穴から出してもらえたのはそれから五分後のことだった。
差し出されたタオルで足を念入りに拭き、ジト目さんの方に向き直る。
「それで今日はどうなさるおつもりだったのですか?」
「だから二人で一緒に――ってボタンに手をかけるのはやめてください」
「でしたら真面目にお答えください。」
……返答を間違えたら漬物行きは免れない気がする。どうやら昼寝のお誘いはお気に召さなかったっぽいし、普通にお仕事をするつもりだったってことにしておいた方が良さそうだ。
「き、昨日と同じ迷宮に潜るつもりでした……よ?」
「……はあ」
なんか深いため息を吐かれてしまった。なんとかジト目度も話しかける前くらいまで戻ってるっぽいけど、結局、ジト目さんのジト目度上昇の理由はわからなくなってしまった。
「……今日は巡回依頼の日ですよ?」
「!!」
「そのお顔を見る限りお忘れになっていたようですね。」
巡回依頼。それは特定のチームに定期的に出される依頼のことである。一週間の間、指定された下級の迷宮の見回りと特に危険と認められるモンスターの排除を行うというもので、上位のチームがきちんと働いているかを判断する重要な要因の一つでもある。
要するに上から「とりあえずこれだけはさぼんなよ」って言われている依頼である。
内容も形式的なもので、一週間のうち一日でいいから見回りをしてこいってだけな上に、そもそもマジでやばいモンスターなんてめったに下級迷宮には出てこない。
この依頼が出されるようなチームにとっては楽勝もいいところな依頼なのだ。
「もしや……」
「ええ、先週からずっと申し上げていたにも関わらず全く覚えていらっしゃらない上に、何やら意味不明なことをおっしゃる始末。これもお忘れかもしれませんから一応申し上げますが、今日が巡回依頼期限の最終日ですからね?もちろんお受けになりますよね?」
巡回依頼を無視したチームと同じく、そのチーム担当の受付嬢もちょっとしたペナルティを受ける(らしい)。つまり、機嫌が悪かったのは……。
(自分のせいかーー!!)
一筋の冷や汗が頬を伝い落ちる。
落ち着け自分。こういうときは
「すいませんでしたーー!!」
謝罪一択だ。
「まあ良いですけどね。それではこちらにサインをお願いいたします。」
「了解です」
急いでサインを書き入れる。と同時にざっと依頼書に目を通す。ふむふむ、今回は『リルムの社』か。
「ん?ってことはもちろん昨日まで潜ってた『フローリア』には行けないですよね?」
「そうなりますね。」
再び顔から血の気が引く。
「どうなさいましたか。顔色があまりよくありませんよ。」
脳裏を駆け巡るのは自分の未来。いや、末路と言ったほうが正しいかもしれない。
今、別行動で「今日潜るはずだった迷宮の準備」をしている二人には、今日『リルムの社』に行くことは伝えてない。僕も今まで知らなかったわけだし。
迷宮によってするべき準備は違う。当然、一から準備し直さなくてはいけなくなる。経費は自分持ちで。そして行くのは下級迷宮。依頼報酬は危険度を考えれば悪くないが、遭遇するモンスターは弱く、依頼以外の報酬は少ない、身入りは確実に減る。
これは怒られる。確実に。
男の方――アルはまだいい、女の方――リシアはそれを理由に、嬉々として「耐性訓練フルコース~嘔吐感を添えて~」くらいのことはするだろう。ってか絶対する。
(これは一刻も早く連絡を取らないと……。でもリシア怖いし……。むしろ笑顔浮かべてそうなのが余計怖いし……。)
「……お二人にはもう伝えてありますよ。」
「ええっ!?」
「ええ。」
ジト目さんの一言で思考の迷路から脱出する。っていうかどうゆうこと?
「三日前にお二人には結晶通信でお伝えておりました。」
「でも、今朝は二人共何も言ってこなかったですよ?」
「セルカ様が本当にお忘れになっておられるのか確認させていただくため、口止めさせていただきました。」
「!!……はぁ……で、口止め料は?」
「何かハプニングが起こりましたら、そのお写真を渡して欲しいとのことでした。」
そう言って、カウンターに写真を差し出すジト目さん。
それに残像が生まれそうな速さで手を伸ばす僕。
「もう一回落とし穴開けてくれませんか?ちょっと処理したいものができたので」
「ネガはこちらにございますので無駄かと思いますが。」
「ちくしょう!!」
……とりあえず、この右手に握っている写真は見ないようにしよう。僕の精神衛生的な意味で。
「というわけで、お二人は既に『リルムの社』行きの準備をしておられることと思います。セルカ様もお気を付けて行ってらっしゃいませ。」
「へ~い」
文字通りジト目さんに背中を押され、依頼窓口をあとにする。外に出た僕を出迎えるのは小春日和に浮かれた街角。通りを歩く人たちの頬もいつもより少しだけ緩んで見える。
「――ま、帰ったら昼寝でもしますかね」
歩いていく彼の足取りは軽やかで、そこに気落ちの色は感じられない。
冒険者――復活の早さもまた彼らの武器の一つであった。
――彼の背中では、裏面に「リシア様へ」と書かれた写真が揺れていたのだが、彼がそれに気づくのはもう少しあとのお話。