セルカと指輪と伝染する悪夢⑱
今日は一日二本上げると言ったな。――あれは嘘だ。
というわけで二本目・三本目同時投稿になります。
第一章もクライマックス。楽しんでいただけたら幸いです。
白いイノシシは鼻息荒く、後ろ足で地面をかく。
それは茶色い方のイノシシで見慣れた突進の予備動作だ。
イノシシ型のモンスターが行う突進攻撃。確かに、十分な助走をつけて行うこの攻撃は威力が高い。が、その対処方法は比較的わかりやすい。
あの攻撃には明確な弱点がある。それは、あの特徴的な予備動作、後ろ足で地面をかくその動きの間に方向を定め、その方向に真っ直ぐに突っ込んでくる。逆に言うと、突進が始まったら方向を修正できないのだ。そこを突く。
要するに、走り出したのを見計らってから、ヤツの射線を外れればいいのだ。そのあとは、突進を終えて硬直しているところを、逆にこちらが追撃してやればいい。ある程度の実力を持った冒険者なら与しやすい攻撃でもあった。……もちろん、眠らされて動けない状態だったとかなら、また話は変わってくるんだけど。
とにかく、僕とヤツの間の距離は十歩ほど。動き始めてから回避行動に移っても十分に間に合う距離だ。心を静めてタイミングを見計らう。
イノシシが、いち、にい、さん回、地面をかいた瞬間、僕の背中を這い回る凄まじい悪寒。それを感じた瞬間、僕はとっさに身体を右へと倒していた。
「えっ……?」
その次の瞬間、僕の左側を突風が吹き抜けた。
決して視認できないスピードじゃなかった。でも、捉えきれてはいなかった。とっさに身体が反応していなかったら、確実に轢かれていた。今まで見てきた同系統のモンスターとは桁が違う速さ。茶色いイノシシと比べても明らかに二倍以上は速く感じた。
振り返ると、ヤツは最初の突進開始位置よりもさらに遠くに離れている。……これじゃ遠すぎて追撃もできない。
背中に冷や汗が伝う。きっとさっきのアレは、様々な危険にさらされてきた僕の、危機察知的な第六感だったんだと思う。
おかげで、貴重な初インパクトを無傷で体験できた。
わかったのは、こいつが全く侮っていい相手じゃないってこと。
「くっ、これが白化個体の本来の実力ってことか!?デタラメだ……」
『白化個体』。その言葉は本来、冒険者にとって幸運の象徴みたいなものだ。
冒険者の目的は、迷宮に潜ってお金を稼ぐこと。まあ、これは仕事である以上当然だ。では、その目的の達成のために一番手っ取り早い方法は何か。
簡単な話だ。自分が強くなればいい。冒険者の仕事上の悩みの九割はこれで解決する。
では、どうやって強くなるのか。訓練や実践への慣れ、経験を積むとか方法はいろいろあるけど、やっぱりわかりやすいのは親和度を上げることだろう。
モンスターを倒した時に散っていくマナ。それを吸収することで、身体が徐々にマナに馴染んでいく。そしてある一定までマナに馴染むと、マナの力で自らのクラスに応じて身体能力が向上する。これが俗に言うレベルアップというやつになる。
しかし、レベルアップはそうそう起こるものじゃない。ほとんどの冒険者は生涯を通してレベルが二桁になることはない。レベルアップには本当に途方もない数のモンスターを倒さないといけないんだ。さらに、自身のレベルが高いほどレベルアップに必要なマナの量も多くなる。
その中で、この『白化個体』は一つ異色を放つモンスターだ。
こう呼ばれるモンスターは、おしなべて、その迷宮に元々生息しているモンスターを巨大化させて、体表を白く変色させたような見た目をしている。
『白化個体』には、それ以外にもいくつか共通点が存在する。
まず、こいつらは倒された時に大量のマナを放出する。
そして、何故か必ず眠った状態で発見される。そして、いくら近づいても攻撃しても、絶対に起きない。
ここまで聞けばお分かりだろうと思うけど、要するに『白化個体』ってのはボーナス的扱いのモンスターなんだ。
絶対に起きないから攻撃し放題で、倒せば大量のマナが貰える。崇められこそすれ、嫌われる道理はない。
だからこその幸運の象徴なのである。
……まあ、今は何故か現在進行形で襲われてるんですけどねぇぇぇぇぇぇぇ!
っていうかなんで起きてんだよ!寝ててこその白化個体だろ!実は僕も会うのは初めてだけどさ!
それとさぁ……ぶっちゃけ強すぎでしょぉぉ!
正直、思ってたよりはるかに強かったモンスターに、心の中で絶叫する。僕の心は乱れに乱れていた!
「なんでだよ!僕はちょっとあの毛玉をボコりに来ただけなのに!!」
「ブギィィィィィィ!」
ひぃっ、何か怒ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
再び、突進の兆候を見せる白いイノシシ。
「ひぃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
それから五分後。
僕は、未だに白いイノシシと高速の全身ドッヂボールを行っていた。
予断を許さない命懸けのドッヂボール。それはたとえ五分間でも、僕の精神をゴリゴリと削ってくる。
この五分間であいつが見せた攻撃パターンはたったの二つ。突進と、鼻から謎の煙を吐き出すという行動のみ。
後半の行動は、今のところなんなのかよく分からない。そもそも、突進の後に行うので距離が離れていて、煙が僕にまで届いてこない。何らかの特殊攻撃なのか、それとも、強いモンスター特有の余裕の表れなのか。それほど頻度も高くないし、現状、実害も出ていない以上、放置するしかない。
そうなると、やはり脅威なのは、あの強烈な突進ということになる。
予備動作の足かきは三回。タイミングも掴めてきたはずなのに、ギリギリでよけるのが精一杯。
一番の脅威はあの初速の速さだと思う。いくら最高速度が高くても、そこに乗るまでにはある程度の距離と時間を必要とするのが普通だ。
でも、あの突進は初めから速い。そのせいで、茶色い方のイノシシの行う突進とは完全に別物の攻撃になっている。
その上、攻撃のたびに距離を取られてしまい、僕の攻撃のリーチの短さゆえにこちらからは攻撃できず、向こうは一方的に攻撃し放題。
さらには、こちらは一人。誰かが囮になって他のメンバーで攻撃するという方法をとることもできない。
相性の悪さと、仲間の不在が、白いイノシシの脅威度を高位迷宮のモンスターに近しいレベルにまで引き上げてしまっていた。
一気に距離を詰めてくるあの突進がある限り、マナー違反を承知で背中を向けて逃げることもできない。
完全に詰んでいるように見え……るかもしれない。でも、それは違う。
僕はまだ勝利を諦めてはいない。
こっちも、いつもは未踏破迷宮の探索をやってるんだ。初見のモンスターへの対応力なら自信がある。その突進を完全に見切りさえすれば、交錯の瞬間にダメージを与えることもできるはず。
幸い、突進の他にまともな攻撃も無いようだし、一度見切ってしまえばこっちのもんだ。
「さあ、来いっ!この白豚野郎っ!!」
僕は腰を落とし、両手を身体の前でクロスするように身構える。
この一回で、その突進、見切ってやる!!
「ブ、ブギィィィィィイィィィィィィ!!」
イノシシは一声叫び鳴くと突進の予備動作へ入る。
……いち
…………にぃ
………………さん!
スリーカウントとともにこちらへ向かって走り出す白い巨体。
僕は、それと全く同時に右側へと飛び退く。
視界にはあのイノシシの姿をしっかりと捉えている。
そのまま、一直線に僕との距離を詰めるイノシシ。
だが、その射線では僕には当たらないっ!
見切っ――
た。そう思ったその時、僕の斜め前方を爆走するイノシシの横顔が不敵に笑った気がした。
「ばふん」
僕の横をイノシシが通り過ぎる直前、イノシシの鼻から謎の煙が噴出する。
「しまった!」
煙に邪魔をされて、一瞬、イノシシの姿を見失う。
……いや、焦ることはない。突進の間はまっすぐにしか進めない。それに、直後には必ず硬直が生じる。連続で突進してはこない。と、いうことは……。
「なんだ、ただのめくらま――」
と、次の瞬間、僕を襲う強烈な眠気。思わず片膝をついてしまう。
「バカな。まさかこの煙は……」
催眠物質だって……?それも、僕が抵抗に失敗するほどに強烈な……?ありえない。
オーリエさんが作った睡眠薬だって、かなり上位の迷宮にしかいないモンスターの貴重なドロップをいくつも使ってるんだぞ!?いくら白化個体とは言え、未踏破の上位迷宮のモンスターより強い状態異常なんて、あまりにも規格外だ。規格外すぎる。
空気中に拡散して薄まっていく煙。その向こうから、姿を表すイノシシ。イノシシは悠々とこちらに歩いてくる。
歪む視界の向こう。やってくるイノシシの額には、僕の右手にはめられた指輪と同じ、ドクロのマークがあった。
「はは、そういうことだったのかよ」
それを見たとき、僕は理解した。
何故、白化個体がその迷宮に生息しているモンスターに似ているのか。
何故、元の茶色いイノシシの持っていない催眠技が使えるのか。
何故、あの日僕たちが見た毛玉はあんなにも弱かったのか。
何故、眠っていない白化個体が突然僕の前に現れたのか。
何故、……僕が襲われたのか。
たぶん、あの月のように白いイノシシの正体は、毛玉のモンスターなんだ。
憑依か、それとも催眠か。それは分からないけど、あのイノシシの身体はあの毛玉に乗っ取られてるんだ。
何故、白化個体がその迷宮に生息しているモンスターに似ているのか。
――元々、存在していたモンスターを乗っ取っていたからだ。
何故、元の茶色いイノシシの持っていない催眠技が使えるのか。
――それが、毛玉側の持っていた能力だったからだ。
何故、あの日僕たちが見た毛玉はあんなにも弱かったのか。
――他のモンスターを乗っ取って生きているからだ。
何故、眠っていない白化個体が突然僕の前に現れたのか。
――僕が同じ毛玉のモンスターの形見を身につけていたからだ。
何故、……僕が襲われたのか。
――僕が……あいつの仲間の……仇だからだ。
「そうか、お前が、この異変の元凶だったのか」
薄れゆく意識の中で、思う。
本当の原因が目の前のイノシシにあるのか、それとも右手にはめた指輪にあるのかは分からない。
こちらに近づき続けるイノシシ。もう僕の視界にはそのおぼろげな輪郭しか写ってはいない。
どんどんその輪郭も大きくなっていって、そして、止まった。
目の前のおぼろげな影が身をかがめる。
コイツは僕を殺そうとしている。
僕はこいつに敗けようとしている。
それが分かっていても、僕の体は動かない。
白いまどろみの中で、意識さえも消えていく。
あと少し、あと少しで届くんだ、もう手の届くところにあいつがいるんだ。
……オーリエさんを倒れさせて、ジト目さんを悲しませて、街を変えてしまったやつが!
寝てる場合じゃないんだ。今は目の前のこいつを殴らなきゃいけないんだ!
僕は誰だ?
あの受付嬢さんも言ってじゃないか。僕は『検証班』の『虹色の冒険者』だろ!
何のために冒険者なんて仕事をやってるんだよ!
こんな時に、こんな時に動けなくて何が『たいあたり検証班』だ!
状態異常は得意分野なんだろ?
そうだ。こんな僕だって……「プロ」、なんだ。
……なら、これくらいの眠気、気合いで抑えてみせろよぉぉぉ!
突き出されるイノシシの牙。
必殺の鋭さを持ったその一撃と交差するように僕も拳を突き出す。
空を切る牙。それとは対照的に、僕の拳はしっかりとイノシシの鼻の頭を捉えていた。
唾液を飛び散らせながらのけぞるイノシシ。
その間に大勢を立て直した僕の全身は、薄い燐光を帯びていた。
そしてそのまま、のけぞるイノシシの顔面にたいあたりを決める。
再び消滅する燐光。
さらに、今度は左手を握りこむ。
僕の両手には何も持ってはいない。
クラス特性によって、ナイフでさえも装備にペナルティがかかってしまう僕には、迷宮で武器を装備するということが基本的にできない。
そのため、僕は戦闘においてほとんどの冒険者が使用する武器スキルが使えない。
でも、迷宮に出てくる敵には、スキルではない物理攻撃ではダメージを与えられない敵。なんてものも存在する。
そこで、苦肉の策として、武器なしで使用できる唯一のスキル「たいあたり」を習得したのだ。
与えられるダメージは、ほぼ利き腕のパンチ一発分。スキルであること以外に利点なんてほぼ皆無の攻撃。
それでも、僕はこのスキルを使い続ける。
――自ら、たいあたりで敵にぶつかっていくという決意を込めて。
握った左拳を、もう一度イノシシの鼻頭にぶちこむ。
再び体にまとう燐光。
執拗な顔面への攻撃。
それが幾度となく繰り返された後、宙へと吹き飛ばされたイノシシの巨体。
僕は、その額に浮かぶドクロマークを右手の拳でえぐりこんだ。
「パキィィィン……」
何かが砕けるような音とともに、地面に打ち付けられたイノシシは、もうピクリとも動かず、体の端から少しづつ光の粒となって虚空に溶けていく。
僕の右手にはめられていた指輪も、衝撃に耐えられなかったのか二つに割れて、目の前のイノシシと同じように光の粒になっていく。
普通の指輪ならありえないこと。でも、僕は不思議と、そんなに疑問には思わなかった。
僕は溶けつつある指輪をイノシシの亡骸の上に置いた。
僕は二筋の光が天へと昇っていくのをただ見つめ続けていた。