セルカと指輪と伝染する悪夢⑰
「はぁ、はぁ」
僕は息を切らせながらも目的地にたどり着いた。
ここまでずっとダッシュで来たし、依頼窓口以外に全く寄り道もしなかったので、驚くほど早く着けた。
回廊庭園。僕がこれから向かう迷宮の入り口。
流石に祭り前の観光名所だけのことはあって、どこかもの寂しい市街地と比べて、活気に満ち溢れていた。
……でも、賑やかなはずなのに、何故か少し悲しく感じる僕もいて。
他の都市からの観光客と、彼らを相手にする屋台や露店。その間を縫うように通り抜ける。
そのまま進んでいくと、やがて、開けた場所に出た。
いくら商魂たくましい商人達といえども、迷宮への出入り口たる転移魔方陣のそばまでは進出していない。
結果として、転移魔方陣の近くだけは、ぽっかりと人の波が途絶えていた。
僕は小走りのままで誰もいない魔方陣の中心へと移動する。
一度だけ深呼吸して、目を閉じる。そして、マナを込め、転移魔法を起動した。
いつも三人で入っている魔方陣は、僕一人にはちょっと広かった。
透明な回廊を抜けた僕を出迎えるのは鮮やかな緑の奔流。いつも通りのリルムの風景。
でも、僕の隣にいつもの二人は居ない。
「ふぅ」
一つ息を吐く。僕自身が柄でもなく緊張しているのがわかる。
二週間ほど前に来たときに証明されたように、ここのモンスターは、武器なし・スキルなしの文字通り無手でも十分に倒せる相手だ。それは僕一人だったとしても変わらない。気負う必要も全く無い。
ポケットの中の指輪を握り締める。
この指輪は、今も病室で眠っているはずのオーリエさんの枕元にあったものだ。もちろん、あのピンクの毛玉からドロップしたものじゃあない。そっちは現在進行形で僕の右手にはめられている。
あの時、病室で僕の目にとまったのは、この、今は僕のポケットに入っている方の指輪だった。
その……若干言いにくいが、オーリエさんは未だ結婚していない。それに、オーリエさんは冒険者ではない。その上、オーリエさん自身も、倒れた時には相当追い詰められていたはず。そんな時にアクセサリーとして指輪をつけたりはしないだろう。
つまり、オーリエさんが倒れた時に指輪を持っていたこと、それ自体が不自然なんだ。
さらに、オーリエさんの枕元にあったのは、呪いの指輪だった。
それを踏まえたうえで、何故オーリエさんが指輪を持っていたのか?
たぶんそれは、研究に必要だったからだと僕は思う。
言うまでもないけど、あの時、オーリエさんが研究していたのは「感染する呪い」についてだったはずだ。
オーリエさんなら、自作の薬だけであんな事態になるわけがないことにも気づいていたはず。
となれば、薬以外にも原因があると考えるのが普通だ。
これも想像だけど、オーリエさんは、「自分の薬と僕の指輪の相乗効果で今回の異変は起こった」と考えたんじゃないかと思う。
その仮説を証明するために、呪いの指輪と毒薬を合わせて用いる実験をしていた。そう考えれば辻褄が合う。
いきなり僕の指輪を借りて実験しなかったのも、また事態を悪化させるかもしれないと考えたとすれば納得できる。
この想像を裏付けるように、オーリエさんの鞄にはいくつもの呪いの指輪と毒薬らしき薬が入っていた。
おそらく、オーリエさんの仮説は正しい。
僕も、落とし穴にはめられたショックで忘れていたけど、あの日から、ずっと僕はこの指輪をはめている。
もともと、この指輪は正体不明。それも、一流の鑑定屋のはずの四代目でさえ匙を投げた一品だ。
むしろ今まで疑わなかったのが不思議なくらい怪しい。
オーリエさんがこの指輪の謂われを知っていたのかは知らないけれど、ともかく、彼女は誰よりも早くこの仮説に辿り着いた。
オーリエさんはあくまで薬屋、呪いの指輪は専門外のはずだ。それでも、自力で必死に研究して、結果としてこの異変の真相に近づいた。そして、今は病室で倒れている。
でも、本来なら、これは僕の問題だ。
あの指輪を取ってきたのも僕なら、それをはめて一番最初に眠ったのも僕。おそらく街中に呪いを振り撒いたのも僕だ。
ずっと被害者面で何もしてはこなかったけど、これは僕が解決すべき問題だ。
鍵はあの毛玉的なモンスターが握っている。あいつをもう一度見つけて、異変の真相を突き止め、解決する。
そのために、僕は一人でここにやって来たんだ。
誰もいない転移部屋から迷宮の中へ向かう。
僕がリルムの入り口の門をくぐっても、いきなりモンスターが現れたりもしない。
あの日とは違うんだ。
小さな感傷と共に迷宮の中へと入っていった。
迷宮では、街中みたいに全力ダッシュをするわけにはいかない。
それには、一応周囲への注意が散漫になってモンスターからの不意打ちを食らいやすくなるという理由もあるのだけど、やはり一番の理由は他の同業者たちに迷惑をかけてしまうという点だろう。モンスターに見つかって追い回されて、挙げ句の果てに戦闘中のパーティと遭遇なんてしたら、自分だけでなく他の人たちの身も危険に晒してしまう。
だから、移動速度は早歩き程度にとどめて、あの毛玉を見逃さないためにも、周囲への警戒を最優先にする。
「バンッ、ガササッ」
時折現れるモンスターを素手で殴り飛ばしてさらに奥の方へと進む。今さっき殴ったのは「眠りの花びら」と呼ばれているモンスターだ。
彼らは、ほとんどの場合、他の動物系モンスターと一緒に現れて、そっちに気を取られている冒険者たちに「眠り」の状態異常をかけてくる。そのたちの悪さから、リルムの杜において最も危険とされているモンスターの一つだ。
まあ、いくら危険といっても初級迷宮の雑魚。そもそも、これぐらいのモンスターの状態異常なんて僕には全く効かない。だから苦もなく殴り飛ばせる。
そして、モンスターが動かなくなったら、光の粒になるのを見届けず、すぐさまその場を立ち去る。
ブレイカーを使ってとどめを刺さないのは、単純に時間が惜しいというのと、手持ちのブレイカーの数が足りないという二つの理由からだ。
今日は一人で迷宮に潜っている。したがって、敏捷性を確保するためにも、多くの品は持ち込めない。数少ない所持品であるブレイカーも、あの毛玉と再び出会った時のために取っておかないといけない。だからこその、雑魚は殴り飛ばしたら放置という姿勢なのだ。
やがて、目の前に見えてきたのは見覚えのある丁字路。ということは、そろそろ、この迷宮の中心まで半分ほど来たことになる。しかし、未だに、目的の毛玉は出てきてはいない。落胆とちょっとばかりの期待を抱きながら、件の丁字路に、前と同じように「丁」の字の縦棒部分から侵入する。
「ドドドッ、ドドドッ」
と、その瞬間、地面を揺らす振動が僕の方に伝わってきた。
これはっ、近い……!
あんなに警戒を厳にしていたのに、モンスターにここまで接近されるまで気づかなかったなんて……!
いや、もしやこれは待ち伏せ……?
束の間の動揺。その間にもどんどん大きくなってくる地響き。
……どうやらこちらの位置がバレているらしい以上、隠れるのは得策ではないと思われる。
混乱する思考を無理やり押さえつけて、とりあえず見通しの良い丁字路の中心までダッシュで移動する。
壁を背に三方を警戒する。
感じる気配といい、さっきから鳴り止まない地響きといい、ただの雑魚とは思えない。一体どんなモンスターなんだ……?
僕がモンスターの正体について思いを馳せていた時、丁字路の左側、僕からだいたい10歩くらい離れた場所に、それは現れた。
それは僕の見たことのないモンスターだった。
姿形こそ、二週間前に入り口で不意打ちしてきた、この迷宮に生息しているイノシシ型のモンスターそのままだけど、その体躯は僕の知っているそれよりふた回りは大きい。
そして、本来は焦げ茶色をしているはずの体表面は、まるで夜空に浮かぶ月のように真っ白く染まっていたのだ。
「まさか、白化個体……なのか……?でも、そんなはずは……」
「ブッブッブアアアアアアァァァァァ!!」
白いイノシシは僕の呟きをかき消すように叫び声を上げ……戦いが始まった。
そろそろ、クライマックスということで今日中にもう一話上げたいと思っています。