セルカと指輪と伝染する悪夢⑯
今日中に一度修正を入れると思います。
ちょっと見づらくなってると思うので。
あの日から一週間後。
未だ感染は広がっている。感染者は推定でフレイル全体の3割にも及んでいるかもしれないだそうだ。
と言っても前までとは違い、その症状も、寝覚めが悪くなる、ちょっと朝が弱くなる、ぐらいに弱まっているのだけれど。
しかし、それでも困る人はたくさんいる。寝起きが悪いと、どうしても集中力を欠いてしまう。そのわずかな差に、致命的なまでに影響されてしまう人たちもいる。事態は安定化していたけど、同時に面倒極まりないことにもなっていた。
そして、今なお、オーリエさんはお店を閉めたまま研究室に籠ったままだ。
しかし、オーリエさんを除いた僕ら五人の間では、あの睡眠薬が原因ではないだろうという結論を出していた。流石に、薬に触れてもいない人に二次感染、三次感染と続いていくのはおかしいと全員が思っていたからだ。
明らかにオーリエさんは無理をしていた。目の下にはごまかしきれない隈ができていたし、手つきも精彩を欠いていた。
もちろん僕らはオーリエさんを止めた。一度、ジト目さんは睡眠薬を盛って無理やり眠らせるなんてこともしたらしい。
それでもオーリエさんは譲らなかった。逆に、それ以来、最低限の食事の時以外は外に出ることさえ厭うようになってしまった。
ジト目さんはとても落ち込んでしまっていたけど、僕にはオーリエさんの気持ちもちょっとは分かる気がする。たぶん、オーリエさんも自分の薬が原因じゃないってことは薄々分かっているんだと思う。でも、自分の仕事に原因があった可能性を完全に捨てきることもできなかった。だから何もせずにはいられなかったんだと思う。
そして、僕ら「検証班」はと言えば、普通に迷宮探索の仕事に戻っていた。祭り前の今は、多くの仕事においてかきいれ時だ。迷宮産の貴重な物資を取ってくる冒険者も、当然、忙しい。特に、他の冒険者より多くの場所に行ける僕らには、抱えきれないほどの依頼が舞い込んできている。
「本日の依頼はこちらになります。」
ドン。突如として目の前に出現した三つの紙の山。
「これは……?」
「何度も言わせないでください。今日の分の依頼、その受付用紙になります。」
「いやいや、多いでしょ!!」
……数日前までの賑わいが嘘のように閑散としたフレイル受付窓口。その片隅で、僕は担当者から無茶ぶりを受けていた。
「『フローリア』に行かれるのはセルカ様方だけですので、関連の依頼を優先的に選出させていただきました。と言いますか、それ以外の依頼は除外しています。ですので、ここにある依頼は全て、セルカ様方にしかこなせないものということになります。」
「……」
「そして、こちらがこれら全てをまとめたものになります。」
その三つの山の上に、新たに二枚の紙が置かれる。それぞれ「採集依頼」「討伐依頼」と書かれている。
これはつまり、あの書類を全部整理したものってこと!?
僕だったら目を通すだけで半日以上かかりそうなのに……。それに、今は異変が発生している。当事者のオーリエさんはジト目さんの親友らしいし、その心労もあるだろうに。
確かに、冒険者のチームにそれぞれ担当の受付嬢がつくのは、きめ細やかなサポートをする為ってことになってはいる。けど、普通はここまでやらないんじゃないかな?僕も最初の頃は、掲示板から受付用紙引っぺがして持って行ったりしてたわけだし。
いつの間にか、ジト目さんが行き先に合わせて依頼を選んでくれるようになってたけど……。もしかして、僕が気付いてなかっただけで、毎日ジト目さんは僕らのために依頼をまとめてくれてたのか!?
「……どうかなさいましたか?」
時間や探索する順番を考えて、効率的でなおかつ余裕のある計画の提案。そんなに簡単なことじゃないはずだ。
「ついに頭の方までやられてしまったのでしょうか?……これは腕のいいお医者様を探さなくてはいけないかもしれませんね……。」
「ジト目さん!」
「……なんでしょうか?」
「これまでありがとうございました!これからもよろしくお願いします!」
「っ!……。」
「じゃ、行ってきますね!」
よし!今日もお仕事頑張るぞー!!
あの日から一週間と一日。
その知らせは、僕が自分の部屋で仕事の準備をしている最中にやってきた。
『ついにオーリエさんが倒れた』
すぐに入院先と記されていた病院へ向かう。僕が着いたのはあの日集まっていた五人の中で最後だった。
お医者さんによれば、過労による睡眠不足らしい。相当無理をしていたみたいで、自作の眠気覚ましを複数回服用した痕跡もあったそうだ。
そのオーリエさんは、病室の中、僕ら五人の目の前で死んだように眠っている。
お見舞いに来ている僕らの間にも重苦しい空気が流れていた。
窓の外には鈍色の雲が垂れ込めている。灰色に染められ、色彩を失った街。まるで街中が肌寒いまどろみに落ちてしまったように感じて。
室内を振り返る。そこには依然として青白い頬のままのオーリエさんが横たわっている。
ジト目さんは枕元に置かれた花瓶の水を取り替えていた。
その花瓶の横には、ここに担ぎ込まれた時に、オーリエさんが身につけていたと思われる身の回りの品々があった。
その時、僕の視界の中で、何かがキラッと光った。
「?……っ!」
その瞬間、僕の脳内を電撃的に駆け回る、ある想像。
僕は慌てて眠り続けるオーリエさんの枕元に駆け寄った。
オーリエさんの残した手回り品。その中に、謎の光の正体が存在することを確認したあと――僕はそのまま隣にあったオーリエさんの鞄を開け放った。
僕の想像が正しければ――
「ちょっとセルカ!なにやってんのよ!!」
突然の暴挙に、慌てて僕を制止するリシア。でも、僕はその制止に耳を貸さず、鞄の中身を探り続ける。
「……やっぱり」
そこにあるものが入っていることを確認した僕は、全力で病室を飛び出した。
――僕の想像が正しければ、この一件は僕の問題だ。
すれ違う人たちも、何事かと振り返る中、街の中心部へと疾走する僕。
向かう先は迷宮への入口、空中回廊。
途中の薬屋や道具屋も素通りして一目散に走ってゆく。
と、一旦足を止める僕。目の前にあるのはフレイル依頼窓口だ。
ほとんど毎日のように通っていた場所。今、ここにジト目さんはいない。もとより、わざわざ依頼窓口を通してから迷宮に行こうなんて思ってはいない。そんなことをしていたら無駄に時間がかかってしまう。
でも、ここには用がある。手続きをしている暇はないけど、その用だけは済ませないと本題に差し支えるかもしれない。
急いで扉に手をかける。
焦りから、扉を開ける手つきもすこし乱暴になってしまった。やはりいつもより閑散としているフロア。人が少ないのも手伝ってか、突然の乱入者に、受付嬢の皆さんも明らかに戸惑っている。
だからといって遠慮している時間は今の僕にはない。一番近くの窓口に近づき、そこにいる受付嬢に声をかける。
「あのっ!」
「は、はい。なんでしょうか」
戸惑いはあっても、そこはプロの受付嬢。すぐに切り替えて対応してくれる。
「『ブレイカー』を五つ頂けませんか」
「はぁ、『ブレイカー』ですか……。それも五つ?」
「ええ。五つでいいんです」
再び戸惑いの表情を浮かべる受付嬢さん。
「あの……貴方は、いつもはあの子が担当している『検証班』のセルカ様でいらっしゃいますよね?」
「そうです」
「一応、担当者以外が受付をするときは、依頼の手続きは各自で行っていただく決まりになっているのですが――」
「依頼は受けません」
そう、今日僕が迷宮に潜るのはお金を稼ぐためじゃない。だから依頼を受けるつもりはない。
「依頼は受けない。でも、迷宮には潜るし、ブレイカーも支給して欲しい。ですか……」
僕も無茶ぶりだってことは分かってる。担当者不在の時にやってきて、依頼を受けずに迷宮に潜りたい、しかもモンスター討伐に必要なブレイカーは五つでいいと言う。怪しいことこの上ない。もちろん、きちんと事情を説明すれば許可は出るかもしれないけど、生憎、僕にはそんな時間もない。
「お願いします!!」
「……」
考え込む受付嬢さん。もし、ここで事情を説明することになったら、今起こっている異変のこともあわせて説明しなくてはならなくなるだろう。それはできない。
……仕方ない。やりたくはなかったけど、ブレイカーなしで行くしかない。
「……分かりました」
「えっ?」
「お渡しいたしましょう。どうやら、お急ぎのようですし、私には、何かふざけておっしゃっているようにも見えません。それに……」
「それに?」
言葉を切って、突然顔を近づけてくる受付嬢さん。そして僕の耳元に口を寄せて小声で話を続けてきた。
「……私、ずっと心配してたんです。あの子、ここ最近元気がなかったんですよ。あんなに落ち込んでるあの子を見たのは初めてでした。よほどショックなことがあったんだと思います。今日はついに休んじゃいましたし。……もしかして、この件、そのことと何か関係があるんじゃないですか?」
驚いて受付嬢さんの顔を見る。
「……図星みたいですね。あの子、私には事情を全然話してくれませんでした。だから私には何があの子をここまで落ち込ませてるのかは分かりません。でも、貴方ならあの子の悩みを払拭することができるのでしょう?……でしたら、私が貴方を止める理由はありません。
その代わり……必ず、あの子の悩み、解決してあげてくださいね。なんたって貴方はこの街一番の冒険者『虹色の冒険者』セルカ=フリントなんですから!」
そこまで言って、顔を離す受付嬢さん。
「あ、でも、行き先くらいは書いていってくださいね。でないと、なにかあった時に、依頼窓口が貴方をかばうことができなくなってしまいますから」
スっと差し出される一枚のまっさらな紙。
視界は少し滲んでいたけど、なんとかそこに、「セルカ=フリント、初級迷宮リルムの社」と記入する。
受付嬢さんに返す時には、既に、ブレイカー五つがカウンターの上に乗せられていた。
急いでそれを鞄の中にしまう。
「いってらっしゃいませ」
「はい!」
僕は優しい受付嬢さんの笑顔に見送られながら、人波の絶えた依頼窓口をあとにした。