セルカと指輪と伝染する悪夢⑪
~受付嬢side~
セルカ様が強制的にお帰りになった。
なんでも、今日は大事な約束があったらしいです。数日前にチームメイトのリシア様が教えてくれました。……先程、セルカ様を強引に引っ張って行かれたのも、そのリシア様だったのですけれども。
やはり約束を破るのは良くないこと。これも自業自得というやつなのでしょう。
セルカ様。まだお若いのに腕も確かですし、迷宮での負傷も少ない、なによりお優しい方です。時折、人を困らせるようなことをなさるのが珠に傷ではありますが。
セルカ様の担当になれたのは本当に幸運だったと思います。
私は不人気な受付嬢でした。それは今も変わっていませんので、過去形で表現することには違和感があるのですが。
愛想もよくありませんし、背丈も低め。いささか女性としての魅力に欠けるところがあるのは否めません。 担当する冒険者の質と量がそのまま評価となる受付嬢の世界において、私がへっぽこなのは間違いありませんでした。
競争による意欲向上をお題目に、窓口においては冒険者の囲いこみが推奨されています。いくら混んでいる時間帯でも、私の前にほとんど列はできません。隣の窓口にできた長い列を見ながら、事務仕事に精を出す毎日でした。
そんな中、私の窓口に来てくださったセルカ様。精神的に辛い時期を支えてくれた、彼や他の友人たちのおかげで、今も窓口嬢を続けられていると言っても過言ではないのかもしれません。
「はーい、どうもですわ~」
噂をすれば。今まさに考えていた私の友人がやって来たようです。
「今日は何の用ですか?オーリエ。」
「その言い方ではまるで来てはいけないかのようではありませんか」
「少なくとも、仕事中に来るのは非常識の部類に入ると思いますが。」
「あなたに非常識とは言われたくないですわね……」
「何を言っているのですか。私を非常識だなんて呼ぶのはオーリエだけですよ。」
「正確に言うと、天然というのが近いのでしょうか。まあ、他人に迷惑をかけていないのならいいですわ……」
「以前から何度も言っていますが、私が天然だとか抜けてるだとか非常識だとか、そのようなことは全くありません。事実無根です。……それよりも、用事があったからここへ来たのではないのですか?」
「あ、そうでしたわ。これですわ、これ。これができたからわざわざここまで来たのですわ」
わざわざなんて言うほど遠くもないのに……。オーリエの経営するお店はこの建物から徒歩で五分ほどの位置にあります。この近さもオーリエがしばしばここを訪ねて来る理由の一つなのでしょう。
オーリエはきれいに整理されたバッグの中から、透明な小瓶をカウンターの上に載せてきました。
「どうです?これ、うちで精製した新しい試作品なのですわよ」
「……どう?と言われましても……私にはこれが何なのかも分からないですし、答えようがないのですが。」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました!」
よくぞもなにも、完全に誘導尋問だった気がしますが。
「これこそが、理論上ではシルフィーネさえも一滴で眠らせられる超強力な睡眠薬なのですわ!!」
「……。」
「もっと驚いていただけます!?それとも何ですの?言いたいことでもありますの?」
「……むしろ、無いと思っていたことに驚きですよ。」
「長きに渡る研究の末、やっと開発した新薬なのですわよ!?臨床実験はまだとはいえ、効果のほどもまさしく折り紙つき!文句のつけようなんて無いではありませんか!!」
「……あなたのお店は何屋さんでしたか?」
「薬屋『ヒヤシンス』ですわ。忘れてもらっては困りますわよ。薬屋が睡眠薬を開発する、何もおかしいところは無いでしょう?」
「……二問目です。あなたがその手に持っているのは『超強力な』睡眠薬なんですよね?」
「ええ。そうですわね」
「今、あなたのお店に置いてあるアレよりもですか?」
「当・然ですわ!」
「……それって、売れるんですか?」
「……それについてはノーコメントでお願いしますわ」
「(やっぱりそうですか)」
基本的に、薬屋は回復薬か解毒薬を中心に取り扱っています。対モンスター用に毒薬の類を置いてあるお店も存在しますが、あくまで少数派。
理由は簡単、対費用効果的に割に合わないからです。倒したときに得られる報酬よりも倒すのに費やしたお金が多くなってしまえば、冒険者は赤字です。毒薬を精製する側である薬屋も、精製難易度の高さと要求される素材の希少さから値段を下げるわけにもいかず、結果として、毒薬の精製自体が趣味の領域と化しているのです。
そんな中、『ヒヤシンス』は経営者の趣味が高じ過ぎて、陳列されている商品の実に7割が毒薬となっている異端のお店。友人のよしみで、数少ない担当の冒険者におすすめの薬屋さんとして紹介しても、約半数が店を間違えたと勘違いするというのだから筋金入りです。
その『ヒヤシンス』の文字通り毒々しい陳列棚。一際目立つその中央には、製作者自らが傑作と称する問題作が並んでいます。誰が呼び始めたのか「伝説の4本」なんて大層な二つ名まで付いている4本の毒薬。
その4本にはある致命的な問題があります。その問題は、一番目立つところに陳列されているにもかかわらず、これまでに一本たりとも売れてはいないこと。……単純に、強力過ぎてもはやただの危険物と化しているため誰にも扱えないだけですけどね。
その内の一本に確か睡眠薬があったはずです。「店にあるどの薬よりも強力」と言っている以上、その睡眠薬よりも強力なのでしょう。売れない危険物より、さらに強力な危険物。ますます売れるわけがありません。
「……とにかく、これはまだ試作品ですの。だからその人体じ――コホン。もとい臨床実験に協力してく――」
「お断りします。」
「早いですわっ!ちょっとぐらい話を聞いてくれてもいいではないですか~」
「嫌です。」
スペシャリストのセルカ様ならいざ知らず、一般人の私を実験台にしたところで有意なデータが得られるとも思えません。単純に危ないのも嫌です。
「そんなに嫌がらなくてもですのに……。……別にあなたで実験しようというわけではないですのに」
オーリエがぼそっと呟いた一言。その言葉を私の耳は聞き逃しませんでした。
「……私を実験台にするわけでは無いのですか?」
「違いますわよ~。……もしかして、その方が良かったですの?」
「いえ、それは断固として拒否させていただきます。」
私には被虐趣味はありませんから。
「そう?まあ気が変わったら連絡してもかまいません。大歓迎ですわよ。……ともかく、あくまでそれはおまけ。本当にお願いしたいのは別のことですわ」
「つい先程は、実験を手伝ってほしいと言っていましたよね?」
「あくまで手伝ってですわ。実験台になることだけが手伝いではありませんわよ?」
「助手でもやれと言うのですか?」
「助手……助手ねぇ……。まあ、あながち間違いというわけでもないですが。そうね、正確に言うなら仕掛人ってところでしょうか」
「仕掛人……ですか?」
「そう、仕掛人。あなたにはセルカを罠にはめてやってほしいのですわ」
まさかの提案に驚きを隠せない私。……おそらく表情は変わっていないとは思いますけど。
私が黙っているのをいいことにオーリエは説明を進めていきます。
「まず、この薬は効き目が強すぎて、セルカ以外ではまともな実験結果を得られない可能性が高いのです。だからセルカに実験台になってもらうしかないのだけれど……、生憎私はセルカに避けられてしまっておりますの。正面きって頼み込むのは難しいのですわ。そこであなたの出番というわけですわ。あなたならセルカとも親しいでしょうし、私のこともよく知ってるでしょう?」
「それは……そうですけど……。」
「当然、既に自分の体でも試してあります。命に関わるような事態は絶対に起こさせない。……あなたの大事な冒険者様ですものね。不意討ちで実験台にしたとしても、セルカにはちゃんと十分な報酬を支払いますわ。もちろんあなたにもね」
「……。」
「お願い!!あなたにしか頼めないのですわ!……それに」
「それに?」
は私の耳に口を寄せて小さく囁きます。
「……手伝ってくれたら、セルカの寝顔を見られますわよ」
言い終わるとオーリエはすぐに顔を離し妖しく笑います。
セルカ様の寝顔……ですか。なんでもないことのはずなのに、不思議と興味を惹かれている自分がいるのを感じます。
「お願い!!あなたにしか頼めないのですわ!」
私の前で頭を下げるオーリエ。たとえ買い手がいなくても、オーリエの薬にかける情熱は本物。それはよくわかっていますし、できるなら力になってあげたいとも思っています。
……はぁ。口では拒んでいましたが……はじめから結果は決まっていたのかもしれません。
「頭をあげてください。……お手伝いさせてもらいます。オーリエ。」
「いいのですか?ありがとう、嬉しいですわ。……やっぱり寝顔の件が効いたのかしらね」