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第二章 壱(現在)

叢蘭(そうらん)茂らんと欲し秋風(しゆうふう)これを敗る


 少年の名前は大城(おおき)海人(かいと)

 地元の小学校に通っていて、今年で五年生になるそうです。

 背は低く体格は貧弱で、十一歳の割には発育が遅れている部類に入るのではないでしょうか。水飲み場で湿らせたハンカチで滲む血を拭いながら、私たちは少年の指定した場所へと徒歩で向かいます。幸いにもそれはごく近い場所にあって、小学生の足でも十分とかからない程でした。


 『民宿・定食 風車(かざぐるま)


 やけに古びた看板を掲げるその店は、丘の上の道をしばらく歩いていった所にあって、坂の下から大きく迂回して続く国道が再び合流する箇所、その脇にぽつんと立っていました。広大な駐車場には数台のトラックが駐められていて、そこが旅行者ではなく、長距離トラックの運転手向けの店であることは容易に想像が出来ました。

「ここが君の家なのですか?」

「んや、ウチはもっと遠く。お姉ちゃんがここで働いてるんです」

 敬体と常体が入り交じる言葉遣いに子供らしさを感じると同時に、私は違和感を覚えずにはいられませんでした。

「お姉さんが働いている? お母さんではなく?」

「うん。バイトー」

 と言うことは、少なくとも高校生以上の歳なのでしょう。若い人が働くにはやや不似合いにも思えましたが――それ以上に、この店がそれだけの労働力を必要とし、律儀に時給を払っている事実が、このうえなく不思議に感じられました。

 とは言え、それもこれも私には関係のない話です。

 そもそもこの少年自体が私とは無関係で――私はただの通りすがりにすぎないのです。姉が働いているというこの店に彼を送り届けた時点で、私の仕事は終わる筈でした。

 終わる筈だったのです。



「ごめんください」

「いらっしゃいませーっ」

 古びたガラス戸を開けると、予想外に若い女性の声が返ってきました。歳は二十歳前後でしょうか。長身の体にサイズの合わないエプロンをつけ、食器を片付けています。

「空いてる席にどうぞっ。今ご注文うかがいますんでーっ」

 郊外のファミリーレストランかと錯覚するような応対です。私は客ではないので、慌てて訂正させてもらうのですが。

「いえ、私は客としてここに来たのではありません」

「え?」

 突然現れて珍妙なことを言い出す私を、怪訝な目で見ています。それはそうでしょう。

「実はここの――」

「お姉ちゃんいますかー?」

 私の言葉が終わらないうちに、後ろにいた海人少年がひょっこりと顔を出します。

「ああ海人くん――って、その血どうしたの!?」

 足から血を流す少年を見て、彼女は目を白黒させています。食器を乗せたお盆を抱えたまま。重くないのでしょうか。

「どっかで転んだのっ!?」

 事情を説明する必要がありそうです。

「いや、実は――」

「あれ、お姉ちゃん休みー?」

「さっき、そこの崖で――」

「いいから、ちょっとこっち来て! すぐに消毒しないとっ!」

「私はたまたま通りかかったんですけど――」

「ダイジョウブだよ、ただのかすり傷だしー」

「この、海人君がですね――」

「いいからっ! 破傷風になったら大変でしょ!?」


 私の話を聞いてください。



 結局、私が事の顛末を話し終えたのは、少年の傷の手当てが済み、店内の客が全て会計を払った後――すでにこの店に到着してから三十分が経過していました。

「じゃあ、命の恩人じゃないですか」

 エプロンをたたみながら、彼女は嘆息をつきます。

「第一、何でそんなことになったの?」

「僕は海を見ようとしていただけだってば。あの柵にもたれかかって。そしたら、何かいきなり柵がバキッって壊れて、バランス崩しちゃって――」

 雨や潮風によって木材部分が腐っていたのかもしれません。小柄な海人少年の体重で壊れてしまうのですから、もうかなり以前から柵としての役割を果たしてなかったのでしょう。誰がよりかかっても同じ、柵は破壊され、落下する運命にあった――とするならば、今回の件は、海人の少年の不注意ではなく、不運に原因があったようです。

「危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 座ったまま、ぺこりと頭を下げる彼女。後で恩返しにでも訪れそうな勢いです。もっとも、私は家を持たない身の上なので、訪ねようにも訪ねられないのですが。

「いえいえ、そこまで大袈裟なものでもないのですけれど」

「ほら、海人くんもちゃんとお礼して」

「さっき『ありがとうございます』ってちゃんと言ったよ?」

「いいから」

「……命を助けて頂いて、ありがとうございました」

 彼女の勢いに押され、しぶしぶ頭を下げる海人少年。これではとても竜宮城まで案内してもらえそうにありません。もっとも、私は高級な反物にも玉手箱にも興味はないのですが。

 私には、帰る家も、宝物も必要ないのです。そんな物を所有する権利など、私にはないのですから。

 ――そんなことより、

「……あの、海人くんのお姉さんと言うのは……」

「今日は学校の用事だとかで、遅くなるそうです。この子のお姉さん――洋子(ようこ)ちゃんって言うんですけど――いつもは学校終わりの四時くらいに手伝いに来てくれるんですよ。で、わたしはそれまでの担当で――」

 その後、世間話がてらに、彼女は色々な話をしてくださいました。

 この定食屋兼民宿は、彼女の祖父母の店であること。それまで接客担当だった祖母が体調を崩したため、昔から親しかった大城洋子が急遽臨時のバイトとして起用されたこと。そして、大学の冬期休暇で遊びに来ていた孫の彼女が、なし崩し的に日中の店番を任されていること、等々――。

「あ、せっかくだから何か食べていかれたらどうですか? 夕食まだでしょう?」

 世間話が一段落したところでそう切り出した彼女は、フットワークも軽く、レジ横の伝票を取り出します。確かに、私はここ数日ろくに食事していない訳で――明日からどうなるかは分かりませんが、いい加減この辺りで栄養を摂っておいた方がいいようです。

 色褪せた壁に並ぶ、短冊状のお品書きの数々。

「じゃあ……スタミナ定食と唐揚げ、醤油ラーメンと炒飯、冷や奴と親子丼、あと掛け蕎麦と酢豚を」

「…………」

 オーダーを受けた彼女、大きな目をさらに大きく見開いています。


 それが彼女、椎名(しいな)香織(かおり)との出逢いでした。



 自分の並々ならぬ胃袋については、幼少の頃から度々指摘を受けていましたし、自分でも並々ならぬ自覚はありましたが、周囲の環境がそれ以上に並々ならぬものだったので、今まであまり気にとめることもありませんでした。

 ――が、こうして一旦娑婆の世界に出てみると、やはり私はその食事量に関してだけでも異端者であり、奇異の目で見られることが少なくありませんでした。時に称賛され、時に罵倒され、それ以外の大多数に見て見ぬふりをされ、これまで過ごしてきたのです。

 とは言え、私は放浪の身。一つの場所に長く滞在しないため、あまり不自由を感じることはありませんでした。これはよく誤解されることなのですが――確かに私は通常とは言い難い胃袋を有していて、一度に多くの食物を収めることが可能です。が、それはあくまで『可能』というだけの話で、食欲に関して言えば、普通の方々と何ら変わりはありません。否、ひょっとしたら、それ以下かもしれません。

 何故なら、私がどれだけ食べても満腹を感じないのと同様、どれだけ食べなくても、空腹を感じることがないからです。もちろん私とて、食べなければ動けないし、そのままでは飢餓状態に陥ってしまいます。その先に待ち受けているのは死、のみです。動物である以上、栄養を摂取しなければ生きられないのは、当然の道理です。

 とは言え、どうやら私は先天的に脳のそういった部分に障害があるらしく、食べずとも空腹を感じることもなく、逆にどれだけ食べても満腹を感じることがないのです。ですから、常日頃から如何に栄養を得なければならないか、計算し、節制する必要があるのですが――。


「……にしても、ずいぶんじゃないですか?」

 黙って私の御託に耳を傾けていた香織嬢、積み重ねられた皿と私の顔を交互に見て、露骨に溜息を吐いています。

「いくら満腹を感じないからって……ちょっと、人間の食べる範囲を超えてますよね、これは」

 海人少年を店に送り届けてから小一時間――結局私は、店のメニューのほとんどを制覇してしまっていました。一つ言い訳をさせてもらえれば、私は昨日の朝から何も口にしていなかった訳で、私の一日の必要カロリーを鑑みれば、この程度の食事量が妥当だと思えたのですが――

「妥当ではありませんよっ! 普通の人は、三日かけたって店のメニュー、端から端まで制覇なんてできませんからっ!」

「……そう言われても……困ってしまいますね……」

「困ってるのはこっちですよ」

 苦言を吐き、食器を片付ける香織嬢。何だか機嫌を損ねてしまったようです。さっきは命の恩人と崇められていたというのに……。


 ――と、

「スミマセン。遅くなりました~ッ」

 厨房に引っ込んだ香織嬢と入れ替わるようにして、一人の少女が店に現れました。ジャージ姿ですが、学生鞄を提げているところをみると、近所の高校に通う女子高生のようです。小柄で、髪は短く、目も鼻も口も大きく、全体的にバタ臭い顔立ちは海人少年に少し似ていて――彼女が海人少年の姉・大城洋子と見て間違いないようです。

「遅かったねー。どうしたの?」

 厨房から戻った香織嬢、残りの食器を片付けながら尋ねます。

「あ、香織さん、聞いてくださいよーッ。何か昨日のことらしいんですけど、ウチの学校に忍び込んだアホがいたらしくって――ほら、ウチって屋上への扉、基本的に開けっぱじゃないですか。屋上に入ってそこら中の壁や地面にスプレーで落書きしまくったらしくて、先生たち、みんなカンカンなんですよーッ。生徒の中に犯人がいるんじゃないかって、体育館に全校生徒集めて名乗り出るまで帰さないぞ、って……んな、みんなだってそこまで暇人じゃないんだし、仮に犯人がいたところで、そんな場で名乗り出られる訳がないッてのに……。もー、サイアクですよーッ」

 もともとお喋りな性分なのか、そこまでを一気に捲し立てる洋子嬢。口を動かしながらも、テキパキとした動きで薄い鞄を片付け、エプロンを体に巻き付けています。

「……そっか、大変だったんだね……」

 ようやく食器を片付け終えた香織嬢は、洋子嬢の台詞が一段落ついたところで、ようやくそれだけ言い、

「ああでも、こっちも洋子ちゃんのいない間に色々大変だったんだよ?」

「何かあったんですか――あれ、海人、いたんだ」

「気付くの遅いよー」

 とっくに傷の治療を終えていた海人少年、店の隅で週刊漫画雑誌など捲りながら、今の今まで姉が来るのを待ち侘びていたようです。

「……アンタ、その足、どうしたの?」

「いやだから、それがね――」

 事の経緯(いきさつ)を掻い摘んで説明する香織嬢。

 ――と、それを聞き終えた彼女、


「……それって、何処でのことですか……」


 どうしたというのでしょう。尋常ではない顔色をしています。

「うん? ほら、峠の展望台、あるでしょ? 海岸沿いの、木の柵が設置されてるトコ。あそこの一番端っこ――でしたっけ?」

「そうです」

 よく考えてみれば、説明している香織嬢は事の当事者ではない訳で、本来なら海人少年か、現場にいた私が説明した方が手間も省けたのでしょうけど……。

「――海人、アンタ、なんでそんなトコにいたのよ?」

 話を聞き終えた洋子嬢、顔面蒼白のまま、弟に詰め寄っています。私の存在は無視でしょうか。むしろ、そうしてくださった方が、私としては有り難いのですけど。

「えー。べつに、ガッコ早く終わって暇だったから……」

「だったらすぐにココに来ればいいでしょう!? なんであんな、通り道でもないトコに行ったのよ!」

 ずいぶんな剣幕です。

「……ゴメン」

「『ゴメン』じゃない! ……アンタ、死ぬとこだったんだよ? もう、あんまり心配させないでよ……」

 そう言い、椅子にへたりこんでしまいます。一瞬でずいぶんな憔悴具合です。それだけ弟想い、と言えばそれまでの話ですが――

「……まあ、いいじゃない? 何にせよかすり傷だけで済んだ訳だし。ほら、洋子からもお礼言ったら? たまたま通りかかったこちらの方が海人くんを助けてくれたんだから」

「ああ、そうなんですか……」

 ついさっきは私の健啖ぶりに呆れていた香織嬢、またしても私を持ち上げています。私はただの通りすがりで、無関係で無関連なのに、です。対する洋子嬢は虚ろな目で私を正面から捉え、

「うちの弟を助けてもらって、ありがとうございました――」

 蚊の鳴くような声で頭を下げる始末。……もっとも、それで終わったなら、私も特に思うところもなかったのでしょうけど――


 どうも、様子が変です。


「――――ッ! 本当に――ホントウに、ありがとうございました……ッ。わたし――わたし、アレで海人が死んじゃったりしてたら、ホントにわたし――」

 椅子に座ったまま、両手で顔を覆う彼女――覆った指の隙間、ひどく悲痛な声が漏れています。

 確かに、動揺はするでしょう。他でもない、実の弟が危険な目に遭ったのですから。

 ですが――この狼狽ぶり、この憔悴ぶりはどうでしょう?

 当の本人は軽いかすり傷だけで、実にけろりとした顔で帰ってきているというのに――これでは洋子嬢本人が当事者みたいです。

「……やめてよお姉ちゃん。僕はもう大丈夫だからさー」

 見かねた海人少年が声をかけています。 

「僕は――大丈夫だから」

 

 彼の言葉を聞いて――今度は、私の方が不安になりました。


 これは一体、何なのでしょう。

 この姉弟には――否、この場所には――何かが、ある。

 直感的に、そう感じました。

 感じてしまったのです。

 無論、再三再四何度もしつこく口が酸っぱくなるほど耳に(たこ)ができるほど申しておりますように、私には無縁で無関係で無関連で、何の因果も因縁もない、本来なら興味も関心も持たない――持つべきではない話です。ですが――


 ほんの少しだけ、関わってみることにしました。


 幸か不幸か、この店は民宿も兼任しているようです。私は頃合いを見計らい、宿を取ることにしたのでした。


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