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第四章 泗(過去)

 全てが、暗闇に沈んでいた。


 苦しい。苦しい。苦しい。

 海中で体が一回転。天地が逆転し、手が、足が、無様に海水を掴む。必死になって空気を求めるも、鼻から口から大量の海水が入り込むばかり。胸が、ぐっと押し広げられる感覚。すでに肺にまで浸水しているのかもしれない。

 苦しい。苦しい。苦しい。


 怖い。

 

 楽になれると思ったのに。

 これで、解放されると思ったのに。

 死にさえすれば、全てから逃げられると思ったのに。

 こんなに、苦しいなんて。

 こんなに、恐ろしいなんて。


 暗闇に沈んでいく頭の中で、僕はひどく後悔していた。

 

 死ぬしかない――そう、思った。

 何も変えられない、何をしても救われないのならば――もう、終わりにしてしまえばいい。

 全てが終わる。

 これで、終わりだ。

 これで――やっと――楽に、なれる。

 そう思うと、足取りも少しは軽くなるってもんだ。僕は、死に向かって歩き出していた。

 秋の海はとても静かで、ほとんど人気(ひとけ)がない。ずいぶん向こうの方で、家族連れが砂のお城など作って遊んでいる。平和な光景だ。すでに覚悟は決めてある。僕は一度深呼吸をしてから、波打ち際に向かい、一歩一歩、(あゆみ)を進めていった。

 この辺りは昔から水難事故が多く、子供の頃から遊泳禁止となっていた。何でも、浜から沖へと向かって高速で潮が流れているらしく、足下をすくわれるため、泳ぎの達者な人間でも溺れてしまうのだとか。

 ならば、自殺にはうってつけって訳だ。

 子供の僕には、毒薬や睡眠薬なんて入手できない。家にはロープを引っかける場所がない。かと言って、手首を切ったり、高い所から飛び降りたり、踏切に飛び込んだりってのも、怖くてできない。

 それで――入水自殺を、選んだ。

 これなら、楽に死ねると思った。

 思ったのに。


 こんなに、苦しいなんて。

 こんなに、恐ろしいなんて。

 こんな筈じゃ、こんな筈じゃ、こんな筈じゃなかった。

 こんなつもりじゃ、なかった。

 苦しい。

 怖い。

 辛い。


 死にたく――ない。


 怖いよ。

 生きたい。

 助かりたい。

 助かったところで楽しいことなんて何もないんだけど――生きてても辛いことばっかだけど――そんなことは分かってるんだけど――だけど――それでも――生きたい。


 まだ、死にたくない。


 薄れゆく意識の中で、僕は強く強く、そう願っていた。












 頬を叩かれて、目を覚ました。

「おい! 気付いたぞ!」

 ……何だか、ひどく騒がしい。太陽が眩しい。不意に、激しく咳き込んだ。胃から肺から、がぼがぼと、大量の海水が逆流してくる。僕の吐き出した海水が、砂浜に染みこんでいく。


 どうやら、僕は生きているらしい。


 少し楽になって、辺りを見回す。

 さっきまで静かだった砂浜が、大騒ぎになっていた。救急隊員だか、レスキュー隊員だかが慌ただしく走り回り、お巡りさんが誰かと無線で連絡を取り合っている。向こうの方で、赤ちゃんを抱いた女の人が泣き叫んでいる。幼稚園くらいの女の子が、不安そうな顔でこちらを見ている。さっき砂浜で遊んでいた家族だろうか。


 父親の姿が、見えない。


 周りの大人たちの会話が耳に入る。まだ見つからないのか、とか、絶対に助け出せ、とか。女の人が、パパ、パパ、って叫んでる。お巡りさんたちはみんな青い顔をしている。

 ぼんやりした頭で、少しずつ理解する。


 僕を――助けてくれたのか?


 僕を助けて――自分が波に飲まれてしまったのか?


 そんな。

 そんな。

 僕のために。

 僕は、死のうとしていたのに。

 自殺するために、自分から海に入ったのに。

 そりゃ、すぐに後悔したけど。苦しくて怖くて、死にたくない、生きたい、助かりたいって――そう思ったけど。

 自分の身を犠牲にして、助けてくれる人がいるなんて。

 途端に怖くなった。こんな筈じゃ、なかった。僕のせいで、誰かが死ぬなんて。最悪だ。僕のせいで。僕のせいで。僕のせいで。

 助かって、ください。

 震える体で、必死に願った。

 強く、両手を握りしめて――その時になって初めて、右手に何かを握りしめているのに気が付く。


 ペンダントだった。


 これは――ヒトデ?

 いや、星だろうか。

 助けられた時、無意識に掴んでしまったらしい。僕はそれを両手で握りしめ、もう一度――助かってくれと、心の底から、願った。

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