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序章 北風と太陽

 そのことになると、私は決まってあの風を思い出します。

 海を臨む峠を撫でる、柔らかな風。

 凍て付く冬の大地を溶かす、暖かな風。

ある不運で幸福な子どもを見守る――風。


 あの風は、今でもまだあの場所に吹いているのでしょうか。


 その頃の私と言えば――ある事情から、一人当てのない旅を続けている途中で、あの一件に関して言えば、完全なる傍観者、完全なる狂言回しにすぎませんでした。ただその場を通りかかり、その一件と関わり、結局根本的な部分は何一つ解決せぬまま、その場を立ち去っただけで――その姿勢は、今でも変わっていない訳ですが。

 あの人々は、どうしているでしょうか。

 彼は、彼女は、救われたのでしょうか。

 真っ直ぐに、光を当てることができたのでしょうか。

 その地を離れた今となっては、知る由もありません。

 ですが――遠く離れた地でも、冷たい北風に晒される時、暖かくも強い春一番が吹き荒れる時、凪いだ海を眺める時――

 

 私は決まって、あの風を思い出すのです。




 ――危ない。

 そう思ったのと同時に、走り出していた。遥か向こう、決して低くない波の合間に、小学生くらいの子どもの姿が見え隠れしている。この辺りは潮の流れが複雑で、泳ぎが得意な者でも足をすくわれやすい。幼い子どもなら尚更だ。だからこその遊泳禁止なのだが――昔から海の事故は絶えない。

 熱く熱せられた砂に足を取られ、今日に限ってビーチサンダルを履いてきたことを、今さらながらに後悔する。

「ちょっと、誰か助けを呼んだ方が――」

「そんなことしてる暇ない!」

 呼び止めようとする妻を一蹴し、砂浜を駆ける。

 遊泳禁止が災いしたのか、この辺りはシーズン中でも人気が少ない。すぐ側に国道一号線が通っていて、数キロ先にはサーファーたちの人気スポットが、さらにその先、湖の近辺には釣り人たちが多く集まる場所があるというのに――皮肉なものだ。


 ――全く、せっかくの非番だってのに。


 どうやら、つくづく自分はこういう巡り合わせにいるらしい。困っている人がいたら放っておけない、できる限りの力になってやろうと思う。目の前で危険な目に遭っているとなれば、尚更だ。


「パパ、がんばってー」

 

 ずいぶん離れたところから、まだ幼い娘が声援を送っている。事態が分かっているのかいないのか――恐らく後者だろう――ずいぶんと緊張感のない、頑張ってという声。

 それで充分だった。

 波打ち際まで数メートル。正直、泳ぎはそれほど達者という訳ではない。もちろん、整備されたプールで、水着で、普通に泳ぐというのなら問題はない。だが、海で、しかも着衣で人命救助をするとなれば、話は別だ。専門の訓練を受けている訳でもない。だが、今ここには、数ヶ月の息子を抱いたカナヅチの妻と、幼い娘しかいないのだ。自分がやらなければ、間違いなく目の前の少年は溺死してしまうだろう。 

 無意識に、娘からプレゼントされたペンダントを握っていた。妻と、娘と、息子、職場の後輩、実の両親のように仲良くしている近所の老夫婦のことなどを想いながら――砂を、蹴った。

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