加速
登場人物
那古悌順 15歳
橘乙姫 7歳
保田修一 40歳
「悌順~!」
隣に住む橘乙姫が声を掛けて来る。
「だから、呼び捨ては止めろって言ってるだろ?」
ウチの母を真似てのことだし、小二の小娘相手に向きになるのは如何なものかと思うが、躾はきっちりやっておかないと。
「だって、未来の旦那様だしwいいじゃん」
無邪気なもんだ、怒る気も失せる。
幼稚園の頃、将来の夢は悌順のお嫁さんと言い放った乙姫。
その時、大きくなったらねと答えたのがまずかったか。
「乙姫ちゃ~~ん、おはよぉ!」
スクールゾーンの先の方で、乙姫の同級生達が呼んでいる。
「ほら、みんな待ってるぞ。とっとと行った」
子守りはここまで。
ほっとする悌順に釘を刺す乙姫。
「高校で浮気したら許さないからね」
最近口を開くとこればかりだ……ませ過ぎだろ。
深く溜息をつく悌順を尻目に、乙姫は元気に駆け出した。
「彼が那古悌順」
市道に停めた車の運転席から悌順を見つめる男。
保田修一だ。
「石浜市洲崎高校1年生。これで6人目」
邑弥のたっての願いで、件の8人の所在を調べていた。
元気になるのは喜ばしいし、それで邑弥の気が済むのならと。
後輩の今坂文照が手伝ってくれたことも有り、今回は何とか見つけ出すことが出来た。
しかし、何だろう?
近頃の邑弥から感じる近付き難い雰囲気。
館山仁の元へ行って以来、様子が変わった気がする。
もう昔の彼女ではないのだろうか?
それでも、男が一度決めたことだと自身を納得させていた。
あの頃には戻れないとしても……。
ふと、横断歩道を見る。
登校中の小学生が信号待ちをしている。
「……」
なんだ?あの男。
酩酊しているような千鳥足。
あいつ……なんか変だ。
異変を感じて外へ飛び出した。
ふらふらと歩く男の背中を見つめる悌順。
朝っぱらから酔っ払いかよ。
呆れた表情で目を逸らした瞬間、体の動きがずれる様な感覚に見舞われた。
最近ずっと感じていた体の変調。
何だろうな~?
どこかが痛むわけではない。
脳が異様に活性化しているような不思議な感覚。
ふと気になり、乙姫を探す。
横断歩道の手前で友達とじゃれ合っている。
あの男……。
ゆらゆらと揺れながら乙姫達の方に向かっている。
右手に朝日の反射光。
刃物!?
まさか、通り魔?
くそっ!
遠く離れた乙姫を目指して駆け出した。
保田もまた、男の異様さに気付き駆け出していた。
車道の向こう側、ナイフを振り上げ子供達に迫る不審者。
「待て!止めろ!」
声の限りに叫ぶ。
横断歩道で旗振りをしていた保護者が気付く。
何事かと動きを止める子供達。
かすかに笑いながら、小さな獲物を目指す男。
くそぉ!
蜂の巣をつついたような騒ぎの中、視界に飛び込んで来る少年。
「那古悌順……」
頼む、何とかしてくれ!
心の中で祈りながら、共通の敵を目指した。
誰かの叫ぶ声。
父兄が気付いたようだ。
しかし、刃物を持った男相手に悲鳴を上げる位しか出来ない。
この野郎!
間に合え!!!
願った、心の底から。
全力疾走、だが再び悌順を襲う動きがずれる感覚。
こんな時に……ちくしょう。
今度は体が麻痺したような痺れ。
意思に反して動きが止まる。
逃げ惑う子供達の中に乙姫の姿。
今にも泣き出しそうな表情。
背後から男の刃が迫る。
ふ・ざ・けるな!!!!!!!
悌順の全身から噴出すオーラ。
緑がかった青……藍色の気。
「乙姫!」
気が付くと乙姫を護るように男と対峙していた。
振り下ろされるナイフ。
男の右腕を掴むと同時に反転、懐に入り込む。
一本背負い。
アスファルトに叩きつけられた男の口から泡。
お母さん!……、もう駄目だと硬く閉じた目をゆっくり開ける乙姫。
見上げると大きな背中。
自分を救った大きな背中。
どうして悌順がいるんだろう?
安心したのか、溢れ出る大粒の涙。
「悌順……」
抱きつく乙姫。
林檎の様な頬を伝う涙。
「大丈夫か?どこも怪我してないか?」
親指でその涙を拭きながら尋ねる。
「悌順……」
泣きながら頷く乙姫。
呼び捨ては……今だけは勘弁しといてやるか。
ぎゅっと抱きしめ頭を撫でる。
「良かったな、無事で」
喧騒の中、保田は2人をただ黙って見つめていた。
何故間に合った?あの状況で。
翔んだ?いや、瞬間的に移動した。
誰も気付かなかったのか?
俺の目の錯覚か?
目の前で起きた説明の付かない現実に、呆然と立ちすくむ。
保田はまだ気付いてはいなかった。
自身もまた、運命の輪に組み込まれた一人だと言うことを。
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