十六夜に逢う君
「もういやなの、こんな毎日」
窓から望む月に愚痴をこぼしたって、なんの解決にもならないことはもうずっと前からわかってたの。でもそうせずにはいられなかった。だって、こんな風に話せる相手なんていないもの。
そろりと窓を開ける。からからと、小さくフレームがたてた音は、こんな夜更けには存外大きく響いた。でも聞き咎める人はいない。夜だもの。ウィークデーの午前3時なんて、普通の人は寝ているでしょう。宵っ張りの人は、部屋に閉じこもっているから外の事はきっと気にしない。普段の私がそうみたいに。ひたひたと冷たい色を湛えた月だけが私を見てるの。
さあっと吹く風はもう冬の色を滲ませていて、肌が粟立つよう。もうすぐ冬になるわ。モノクロとまではいかないけれど、限りなく世界はグレーのベールを帯びていく。彩度の低い景色は素っ気なくて、冷たくて、けれど私には優しかった。待ち遠しい。早く冬が来ればいいのに。
きらきらと眩しい夏が過ぎて、秋。ちらほら紅葉が現れ始めて、はらはらと散っていく。枯れ葉が突風に舞うと、悲しい気分になる。みんな楽しそうなのに、私ばっかり憂鬱な気がする。何もかもうまくできない。全部諦めることも放り出すこともできない。中途半端な私。嫌いだ。
「悩みがなさそうでいいよね、なんてばかじゃないの」
悩みを打ち明ければ面倒そうに曖昧な相槌で濁されるのが分かってるから、薄っぺらいってばればれでも笑顔を貼り付けて何でもないふりをしてるのに。
「健気でしょ?」
誰も誉めてくれないから、自分で言うしかないの。うそ、言わないでいるのにわかって欲しいなんて傲慢ね。雲が全部晴れてしまうと、月明かりが目に痛かった。寝不足のせいかもしれない。ふぁ、と抜けていく欠伸をかみ殺す。まぶたが重たくて目を伏せると、木々がさざめく音が際立つ。今夜は風が強い。私の愚痴なんてどこかに流してくれそうなほど。それとも、誰かのところまで運んでくれるかしら。
「……誰でもいいから、私を攫ってくれないかな」
代わり映えのしない、鬱々とした毎日は、大人に近付くにしたがって表面ばっかり取り繕うのが上手になった。その分ずっと息苦しいままで、大人になってしまうまでに、この息苦しさに慣れるのかと思うと目の前が暗くなるような錯覚。逃げ出したい。誰も私のことを知らないところに。でも自分でそうするとこともできない意気地なしの私は、こうやって月を相手に愚痴をこぼしてヒーローを待ち望むのだ。私の世界を変えてくれる誰かを。
「本当に、誰でもいいのか?」
「そうね、見るだけで不愉快になるような人はごめんだけど、それ以外なら」
「そうか。それなら私はどうだろう」
「どうって……」
聞こえてきた声に言葉を返していると、不意に伏せていた顔を持ち上げられる。冷たい指が輪郭をなぞっていくと、うとうとと微睡んでいた感覚がはっきりする。待って、誰と話してるの?
見たくないような、見たいような。その迷いを知っているかのように冷たい指が唇をゆっくりと撫で、そうっと割って入ってきそうになったから慌てて目を開けた。
「う、わあ」
それは、その人は月光を背に負っているのが驚くほど自然に様になっていた。いや、ヒトかどうかわからないし、きっとそうじゃない気がする。だって、瞳が月の色にきらめいている。
「お気に召さなかったかな?」
「……そんなことは、ないですけど」
視線が交わった瞬間、私はうごけなくなる。魅せられたのか、彼が何かしたのかはわからないけれど、薄い唇をにやり歪ませた瞬間、じくじくと背中の奥が疼いたのが分かった。
冬のようなひとだった。白銀の髪はさらさらとしていて、瞳は刺すような冷たい光を帯びた月の色をしている。雪のような肌はとても冷たい。それなのに、どこか優しさを感じるひと。
「あの、あなたは」
「その質問には答えられないな、君が攫われてくれるまでは」
だれ、と続くはずだった問いを遮る低い声は、上から降ってきている筈なのに耳元で囁かれているように響いた。相変わらずゆるゆると唇を撫でる指先は私に冷たさを移しているけれど、触れられていない手足は反対に熱を帯びてきていた。あつい。視界が滲む。
月色の瞳を見ているのは危険な気がして視線を下ろした。紺の染め物をきちんと着ているようだけれど、それでも露わになった首と鎖骨の白さがなんとなく扇情的だった。思わず息を飲みそうになったことを自覚して恥ずかしくなる。
見ていられなくて視線を逸らすと、彼がくすりと笑った気配がした。また身体の熱が上がっていく。手のひらが私の頬を包んだ。
「ほら、僕を見て」
「……はい」
「君がようやく望んでくれたから、願いを叶えてあげる」
「ねがい、って」
「僕にかどわかされるでしょう?」
いやなら抵抗して。
そう言って彼は目を伏せた。睫毛も白銀にきらめいていて、ぼうっと見つめているとふと唇に冷たい感覚。思わず目を閉じてしまった。呼吸の仕方が分からない。息が苦しくて口を開くと、ぬるりと冷たいものが侵入してきた。肌が粟立つ。けれどなんだか幸福な気がした。
わたし、これですくわれるきがするの。
きゅっときつく目をつむり直して、逃げ回っていた舌をおずおずとさしだす。ふっと笑ったのが分かる。瞬間、身体が浮き上がる感覚のあと、冷たさに抱きすくめられた。
(そうね)
ずっと私の話を聴いてくれたあなたなら、きっと素敵なヒーローになるでしょう。次に目を開くときには、わたしを知らない世界にいるのね。
まぶたを透かす月明かりは冷たくやさしくきらめいていた。
さよなら。
人外×少女がだいすきです。
今後彼女はお月さまに連れていかれて軟禁状態で彼に甘やかされてくらすんだと思います。
月のうさぎさんたちとは彼の妨害にあってなかなか仲良くなれません。
そんな続きがいつか書きたいです。