六、Monologue
どこを見ても真っ暗だ。
上を見ても、右を見ても、左を見ても真っ暗の暗闇が広がっている。
下を見ると、宇宙服の操作パネルとインジケータが俺の視界に入ってくる。
これだけが、これがあることが、俺を正気にさせている唯一のモノだ。
暗闇と、そして暗黒。
俺の周りを満たしているのはこれだけだ。
ひょっとして、俺は黒い何かにまとわり付かれているだけで、その外は明るい光で満ちているのではないか。
あるいは、黒い塗料をぶっ掛けられただけなのかもしれない。
真っ暗な闇に引き込まれる時、悪魔のささやきが聞こえるという話もあるけど、今の俺はそんな風には感じない。
もっとも、俺が真っ暗な闇に引き込まれているという確証も無いが。
心が吸い込まれていくのだろうか?
意識が遠のいていくのだろうか?
それとも、足の先や指の先から胡散霧消していくのだろうか?
何しろ経験が無い。
いや、経験があったらこんなところにはいないだろう。
ただ言えるのは、俺が宇宙空間に居るということだけだ。
それにしてもどこまでも続いているこの真っ暗で真っ黒な宇宙空間。
生命探知用シグナルレーダーは依然と点滅を繰り返している。
あ、いや、それだけじゃないぞ。
赤い点が動いている。
どうやら、やっと接近してきたようだ。
レーダーレンジを繰り替えると、点滅する赤い光は確実に俺の方へと向かっている。
だが、まだ目視出来る距離じゃない。
俺の期待は高まる。
生きていてくれ、メアリー。
生きていて欲しい。
俺の心臓の鼓動が大きくなる。
『ドク、ドク、ドク、ドク、ドク』
いつの間にか、俺の呼吸音よりも心臓の拍動音の方が大きくなってきた気がする。
俺の中に分泌されるアドレナリンの量が増えてきていることをヒシヒシと感じる。
『ドク、ドク、ドク、ドク、ドク』
生きていてくれという期待と、もしかしてもう死んでいるかもという不安で、俺の中はグチャグチャだ。
額から一筋の汗が流れた。
俺にしては珍しいな、汗が流れるなんて。
そんなに沈着冷静な訳でも太っ腹な訳でもないが、この緊張感は特別だ。
『ドク、ドク、ドク、ドク、ドク』
メアリー。
俺が初めて心を寄せた女。
そう思うだけで心臓の拍動が、数も量も増えていく。
これが『恋』というモノなのか。
それが『愛』というモノなのか。
自問するだけで気が狂いそうだ。
<テオ……>
ん?
誰かが俺を呼んでいる。
<……テオ>
まただ。
また、誰かが俺を呼んでいる。
<テオ、テオ>
間違いない、これはメアリーの声だ。
俺は思わず、生命探知用シグナルレーダーを見た。
かなり近づいている。
「メアリー! 何処にいるんだっ! もう一度返事をしてくれーっ!」
俺は、有らん限りの大声でメアリーを呼んだ。
俺は自分の声で鼓膜が破れるかと思ったが、そんなことさえも気にならない自分自身に驚いていた。
<テオ、助けに来てくれたの?>
今度こそ、はっきりと聴こえた。
間違いない。メアリーの声だ。
ただ、スピーカーからの音声じゃない。
メアリーの声は、俺の頭の中で響いていたのだ。
「そうだよ、メアリー。君を助けに来たんだよ」
俺は必死でそう叫んだ。
<そう、そうなの。それも運命なのかしら>
俺は、メアリーが何を言ってるのか、どんな意味なのか、分からなかった。
<もうすぐ見えるわ>
「何が見えるんだい?」
俺は思わず訊き返してしまった。
<前を見て。じーっと見つめて>
俺はフェイスフードから漆黒の宇宙空間に目を凝らした。
すると、針の先ほどの白いモノが、俺の眼底の網膜に映し出されたのだ。
その時、宇宙服の通信機からしゃがれた声が聞こえてきた。
「テオ、聴こえるか。もうすぐメアリーと接触するはずだ。よーく周りを見渡せよ!」
ちくしょう!
ボースンのヤツ、いいところを邪魔しやがって。
せっかくの、俺とメアリーと感動的な再会が!
ムシャクシャした俺は、ボースンの声を掻き消すように叫んだ。
「メアリー、待っててくれ! 今すぐに行く!」