四、Romance
俺が、ダイニングに手伝いに来たのをパーサーが待ち受けていた。
「テオ、分かってると思うけど」
パーサーはそう切り出したが、俺は知らぬ存ぜぬな顔をした。
「何が、ですか?」
パーサーは、血相を変えた。
「何がって、お客のことよ。いい? くれぐれも手を出しちゃダメよ」
俺は、したり顔で答えた。
「あぁ、分かってますよ」
それを聞いたパーサーは安堵の表情を示した。
「そうならいいわ」
俺は服を着替えて、早速ディナーの給仕を開始した。
俺はピアーズの親子じゃないな、ピアーズの爺さんと孫娘に前菜から最後のデザートまでを給仕した。
驚くほど二人の会話が少なくて、でも料理を楽しんでいる風でもなく、エネルギー補給をしているといった感じだった。爺さんの方は、ごく普通の感じだったけど、孫娘のメアリーが不思議な食い方だった。とにかく片っ端からガツガツと平らげるのだ。このくらいの年頃の娘って、いくら量の少ないフランス料理とは言え、好き嫌いがあったりして残すのが普通だ。だがこのメアリーに限っては、毎回残っているのは僅かなソースだけと感じなのだ。ちょっと違和感を覚えたのは確かだったが、俺は元気な娘さんで食欲が旺盛なんだとしか思わなかった。
二日に一回程度のディナーの後、二人はバーに寄る。俺は何とか仲良くする機会をうかがっていたのだが、あのパーサーが毎日バーへ俺の様子を見に来るし、爺さんとメアリーもショットやカクテルを一杯飲んだら自室に帰ってしまうので、声を掛ける隙がなかった。
しかし、機会は待ってみるモノだ。向こうから訪れてきたのだ。
「あ、ギャルソン君。ちょっと待ってくれ」
カクテルを給仕した後カウンターへ戻ろうとした俺を、爺さんが呼び止めたのだ。
「君の名前は?」
「テオと言います」
「テオ君か。私の孫の話し相手になってくれんかのぅ。どうも二人だけでは会話が途切れるのでな」
「はい、僕に出来ることなら」
俺はこういうときだけ社訓を利用する。最大限のサービスを提供しなければね。パーサーも何も言えまい。
こうして、爺さんとメアリーがバーに来る時は、俺が会話をもてなすことになった。
初めは、このユニバース号の艦内案内や説明、航路のことや宇宙船のこと、DSドライブのことや宇宙のことを話していたのだが、話はどうしてもパーソナルでプライベートなことになってくる。それは至極普通のことだった。
数日が過ぎてからの、ディナーの終わったバーでのことだった。その日はいつも俺を監視しているパーサーは、仕事の都合でバーには現れていなかった。だから、バーには、俺と爺さんと孫娘しか居なかった。そんな時に爺さんは、いきなり俺に話し掛けてきたのだ。
「付かぬことを訊ねるが、テオ君には彼女は居るのかね?」
爺さんは俺にそんなことを訊いてきた。
「いえ、こんな仕事ですから、なかなか……」
言葉を濁した俺に、爺さんはニヤリと笑った。
「そうですか。それならお仕事の合間で結構ですので、このメアリーの話し相手になってくださらんかのぅ?」
俺は、爺さんの言葉に驚いた。そしてすぐに孫娘のメアリーの顔を見た。メアリーは少し顔を赤らめてからすぐに下を向いてしまったのだった。
俺にとっては願ったり叶ったりの嬉しい言葉だったことにも驚いているが、そんなことを何処の馬の骨とも知れない一介の船員風情に大事な孫娘を預けるという大胆なことを言えるものだろうかという驚きだった。
もちろん、俺はそんなことはおくびにも出さずににこやかに笑ってこう返事をした。
「僕で良ければ喜んで。この航海の間、時間を作ってでもお相手を致します」
俺は軽く会釈をした。
「おぉ、そうかね。メアリー、よかったな。これで退屈凌ぎになる。いや、こんなお祖父さんでは若いメアリーの相手はなかなか出来んのでな」
爺さんは、俺が承諾したことを嬉々として喜んだ。そして、メアリーの声を初めて聞いた。
「博士ったら、もう! そんなことはありませんわ。あたしは博士、あ、いぇ、お爺様のお世話をするために一緒に居るんですから」
ハイトーンの軽やかな声が静かなバーに響いた。
「わしも歳じゃ。テオ君と時々、若者らしい会話を楽しむのじゃ。分かったかい、メアリー?」
爺さんに促されて、メアリーはようやくうなづいたのだった。
俺は、無理矢理にでも時間を作った。もちろん、機関部の連中も協力してくれた。
「そーゆーことなら、テオ、頑張って来い! そして俺達にも、爺さんと娘の秘密を教えてくれよ。分かったな」
機関長ですらこの調子だ。あとのエンジニアやオイラーも推して知るべきの返答だ。仕事のシフトを軽減してもらって、時間をやり繰りした。
メアリーとのデートは、主に展望室だった。
ユニバース号が客船である唯一の証拠は、船体中央最上部にある、三百六十度の宇宙パノラマを望める展望室があることだ。もちろんDSドライブ中は、各次元の様々な風景をここで鑑賞することも出来る。そういう意味では、ここだけは豪華客船並みの設備と言えるだろう。
「テオ、お仕事は大丈夫なの? こんなに頻繁にあたしと逢っても大丈夫?」
五回目の展望室でのデートで、ほんの少しだがメアリーはやっと俺に心を開いてくれた。
「あぁ、大丈夫さ。これも業務の一環だ。船に乗っていること自体が既に仕事なんだから、これくらいの楽しみがなくっちゃね」
俺はそう言って、メアリーに向ってウインクをした。すると、メアリーは怪訝そうな顔をして俺を見た。
「あら、あたしとのデートは仕事で、尚かつ暇つぶしなの?」
俺は慌てて訂正しつつ、自信有り気に答えた。
「そ、そんなつもりじゃないよ。だいたい仕事でも何でもそうだけど、嫌いだったらこんなところには来ないさ」
メアリーは、意味有り気な笑みをこぼしながらささやいた。
「そういうことにしておきますわ。あたしにインプットされたデータもそんなことをはじき出しているし」
「インプットされたデータ?」
俺はいぶかしげにメアリーを見て言った。だが、メアリーが慌てることもなく淡々と説明した。
「いろんな恋愛本や少女漫画を読んだだけのことよ」
ちょっと不思議ちゃんなところがあるメアリーだが、ツンデレでもなくバカデレでもヤンデレでもなく、どちらかと言うと素直クールな性格の持ち主だと、俺は思った。
「どうだい、あの二人はどんな関係なんだよ?」
思いがけず、チョッサーに声を掛けられた。チョッサー(一等航海士)は俺をこの会社に推薦してくれた先輩だ。「ちょっとギクシャクしたところがありますけど、あれは普通の爺さんと孫って感じですねぇ」
俺はチョッサーに思うままフランクに話した。
「そうか。その"ギクシャク"ってのはどうなんだ?」
チョッサーは細かいところまで俺に尋ねてきて、ちょっとビックリだった。
「そうですねぇ。たぶん長い間、別々に暮らしていたんじゃないですか。だから時々会話が噛み合わないって感じなんですよ」
チョッサーは顎に手を当てながら、俺の返事を噛み締めていた。
「うーむ、そうか。立ち入ったことを訊いて悪かったな。ありがとう。頑張れよ、恋が実るといいな」
チョッサーは笑顔を俺に返してくれた。
「ありがとうございます。頑張ります」
俺は、敬礼をしながら、チョッサーを見送った。
俺が展望室のドアを開けると、既にメアリーはベンチに座っていた。そしてDSドライブで七色に変化したり真っ暗闇になったりする展望ドームを仰ぎ見ていた。
「お待たせ」
俺はにこやかにメアリーに手を振った。メアリーは俺の声に気がついて、立ち上がった。
「ごめんよ、待たせちまって」
メアリーは俺の言葉に首を振った。
「ううん、いいの。だって貴方はこの船で働いているんですもの。仕方がないわ」
メアリーは俺の手を取って、優しく握り締めた。
「それに、無理矢理にでもあたしの相手をしてくださってるんですもの。贅沢は言えないわ」
メアリーは愛おしそうに俺の手を撫でた。
俺はそんなメアリーが急に愛しくなって、思わず抱き締めてしまったのだった。
「あん、なに? 急にどうしたの?」
抱き締められて戸惑うメアリーに、俺は思わず口走った。
「好きだよ、メアリー」
その言葉を聞いて、強張っていたメアリーの身体から急に力が抜けていった。
「あたしも」
そして、俺とメアリーは静かに見詰め合った後、目を閉じて唇を重ね合わせた。
俺は初めて"人間の温もり"を感じたような気がした。
至福の時だった。
そんなことを感じていた時だ。
背後の植え込みからガサガサという音がして、誰かが飛び出してきた。
「あなた達、ここで何をやっているの!」
その声にビックリして、僕とメアリーは身体を離して飛び退いた。
そこに立っていたのは、パーサーだった。恐ろしい剣幕で仁王立ちになったパーサーは、どう考えても怒りに打ち震えていたのだった。
「テオ、どういうつもりなのっ!」
パーサーはジリジリと俺とメアリーににじり寄ってきた。
「いくらなんでも、その行為は『最大限の接客で最小限の干渉』を逸脱しているわよっ! 誰がどう見ても重大な職務規定違反よっ! 分かっているのかしらっ!」
パーサーのキツイ言葉のほとんどが、俺に向っていた。
「すみません」
俺はそう言うしかなかった。
「すみませんじゃすまないわよ、このことは。私のことも考えてよね。分かってるの、テオ?」
急に猫撫で声になったパーサーだが、その方が俺にとっては恐怖だった。
そして、向きを変えたパーサーはメアリーに静かに言った。
「メアリーさん、確かに私達は、お客様に対するもてなしを最大限に考えていますけれども、こうしたサービスは行っておりませんことよ。勘違いをなさらないでくださいませ」
パーサーは、メアリーに対してキッパリと言い放った。
「パーサー、メアリーさんのせいじゃないです。誘惑した俺が悪いんです」
俺は必死でメアリーを擁護したが、それがパーサーの怒りに油を注いでしまった。
「何ですってぇ、テオ! あなた、どういうつもりなのっ! 私の恩義を忘れたのっ!」
パーサーが俺に掴み掛かろうとした時、メアリーは両手で顔を覆ってドアの方へと駆けて行った。
「メアリー!」
俺はメアリーを呼び止めたが、パーサーに立ち塞がれて後を追うことが出来なかった。
「テオ、私のことも考えてちょうだい。事と次第によっては大目に見てもいいのだから」
パーサーは熱っぽく俺に語り掛けていたが、俺の耳には既に届いてなかった。