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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

作者: yuunagi_glow
掲載日:2026/05/03

※家庭内暴力の描写があります。

「働き蜂ってさ、全部メスなんだって。」


 あれは真夏の日差しの中だっただろうか。私が高校生の時だ。コンクリートの段差に腰掛けた友人が足をぶらつかせながらそう呟いた。部活の休憩中だった気がする。私は飲み終わったスポーツ飲料を脇に置いてテニスラケットを玩んでいたが、友人が急にそんなことを言うので不思議に思った。

「メスだけがせっせと働いてオスは何にもしないの。巣の中で遊び呆けているのよ。それで、女王蜂への種付けが終わったら仕事は終わり。」

 私は彼女の方へ顔を上げた。彼女は何を見るでもなく、どこか遠くへ意識が行っているようだった。特に憤慨している訳でも嘆いている様でもなかった、が、

「そんなの理不尽だよね。メスだけ苦労してオスは楽々生きているなんて。私が蜂だったらたまらない。」

 普段滅多に嫌悪を示さない親友が苦虫を噛み潰した様な顔になっていた。彼女に何があったかは定かではなかったが、無造作に訊ねるのは気が引けた。

「でも女王蜂は一番偉いんじゃないの」

 私がそう返すと、彼女は何秒か止まって吐き捨てるように言った。

「そんな、女王なんて名前付いているけど、餌を与えられて、太って、子供を産まされるだけじゃない。……家畜みたい。」




 その時は彼女の言っていることがとんと理解できなかった。私が結婚を決めたと報告した時も、親友は口ではおめでとうと言ったがあまりいい顔をしなかった。だがそれは裕福な家へ嫁ぐ私への嫉妬でも羨望の表れでもなく、きっと優しい彼女は親友として何年も一緒に居た私を哀れに思ってくれたのだ。

 今の旦那と出会ったのは、大学時代の友人が紹介してくれたのがきっかけだった。告白されてからはなんとなく付き合っていたが、それからいつだったか、三ヵ月後くらいにプロポーズされた。二十後半の周りが結婚とかでそわそわしていた時期だった。そろそろ嫁入りしてもいいかなと思っていたので時機の良さと色々考える煩わしさから了承してしまった。結婚なんてそんなものだと思っていた。

 同居するまでは何をしたかといえば、彼の部屋があまりにも散らかっていたので片づけをしに行ったことくらいだったと思う。たまのデートもあまり覚えていない。彼はそういうのは不器用というか、センスが無かったので、それ程楽しくはなかった。思えば同居して半年を過ぎてからやっと旦那という人間が分かってきたのであった。それ以前の新婚旅行で彼を「佐々木さん」と呼んでしまって、あんたも佐々木でしょ、と苦笑されたことがある。新婚であったにも関わらず、その時は未だに「他人」同士だった。



 洗濯物をたたみ終えたので雑誌を傍らに縁側に座った。春のやわらかい日差しの中、心地好い温度に意識がぼやけてきたのだが、ふと庭の椿に寄ってくる蜂が目に入った。そしてなんとなく高校時代の親友を思い出したのだ。蜂は花の周囲をせわしく飛び回っている。虫は好きではないのだが目を動かすのが面倒なのでぼんやりと眺めていた。

 あれは働き蜂なのだろうか。そしたら、蜜をせっせと集めているに違いない。



 旦那の気性を理解したのはある時彼が飲んで帰ってきた夜中だった。湯を沸かそうとしたのか、鍋に火をかけたまま、酔って椅子の上で寝てしまったのだ。偶々私がお手洗いに起きて気付いたから急いで消したものの、そのままだったら惨事になりかねなかった。ひどく焦って旦那を起こして注意したところ、引っ叩かれた。馬鹿野郎なんだその言い方は、と。大声で非難したのが気に喰わなかったのだろうか、だが理不尽だ。私は顔面の衝撃にただ驚くばかりだった。酒癖がたいそう悪いのは既に分かっていたが手を出されたのは初めてだった。翌日、何も無かったような顔でいたから記憶がないのかと思って黙っていた。だが後日姑に電話したら、飲んで帰ってくる日はお湯沸かしておいてあげてねとさも当然のように言われた。それで、旦那はこの(ひと)に(男故に)甘やかされてきたのだと悟った。その時くらいからそれまで我慢していた小さな事一つ一つが不快に思われるようになった。食事の皿数を増やせとか、休日は俺の行きたい場所に付き合えとか、朝は七時までに起こせとか(起こしても起きない上遅れたら怒る)、靴下が左右違って恥をかいたのは嫁の所為(これは旦那の祖父が言ったらしい)とか、毎晩毎晩大酒に酔って背広のまま寝ることとか…、私も仕事をしていたのも手伝って、一層苛々した。お互いに段々慣れてくるから、旦那の態度は大きくなるばかりだった。私の同僚の女の子に愚痴ると、共感したり慰めたりしてくれたので少し気が楽になった。そうだ、やっぱり皆そんなもんか、と思えて。ただ程度はうちが甚だしいらしく、それはないわぁ、よく耐えるね、などと言われた。

 酒を飲むと理性が飛ぶのか、時々罵られるか殴られるかした。何か私が決定的に気に障るようなことを言うと手が出たし、向こうの機嫌が悪い時は私が黙っていても何かにつけてなじられた。私自身に触れなくても誰かの悪口を大声で言ったりもするのだ。兎角酒が入ると口が悪い。そこは父親譲りだ。私が彼の実家に行った時、舅が人の悪口ばかり言うので驚いたものだ。これを毎日聞いていたのかと思うと旦那が可哀想でもあるのだが、自分でその短所をしっかり受け継いでいるのを理解していながら全く直す気が無いので堪らない。殴られたり謗られたりした次の日は腹が立って旦那の酒を捨ててやった。私は酒を飲まないので構わないが、台所が酒臭くなるので気分は悪い。勿体無いと思ったときは料理酒の中身と入れ替えたりもした。

 酷い時には私が実家に帰ったことがあった。あの湯の件でまた口論していると何か別のことで殴られ、お前みたいな悪い(やつ)は実家に電話してやるとか言って(今でも全く意味が分からないが)夜中だったにも関わらず私の実家にかけたのだ。私が泣いていたので、父が気付いて、お前殴ったのか、とか色々旦那に言ってくれた。私は翌朝早々に実家に帰ってやった。そしたら三日ぐらいして、ごめんね、お父さんに言ったら怒られちゃった、帰ってきてあげて、と姑が泣きながら電話してきた。泣きたいのはこっちだったというのに。旦那が姑に話して、姑が義父に事を告げたらそれはお前等が悪いと言われたらしい。旦那でなく姑が謝ってきた事と、舅に叱られたからという理由が癪だったが、家に生協の食品が届くと気付いて、結局五日くらいで戻ってしまった。全て腐らせておけばよかった。それ以来私の親と気まずいから旦那は私の実家に来るのを渋る。当たり前だ。

 こんなことばかり言っているといつも酷い目に遭っている様に思えるが、先に述べた通り一応は時々、であって、別に普通の日もあった。ただ酷い時の記憶ばかり甦るのであって。

 

 

 まだ蜂は働いている。やはり好きではない。だがあれが全てメスだと思うと親近感がわくのは何故だろう。巣には女王蜂が君臨して、メスたちが集めた餌を喰らうのだ。自分は動かないで栄養を蓄えてあんなに大きくなるのだろう。ただ子孫を残すためだけに。



 一、二年経ったくらいから、旦那がしきりに男の子が欲しい、と言い始めた。そろそろそんな時期だったので異論はなかったが、旦那は男の子が生まれたら、ということしか語らなかった。私はできれば女の子が欲しかったが、結局生まれたらどっちにしろ構わないと思った。だのに、旦那は、産み分けしろと言って煩い。そんな方法知る筈がない。協力する気は更々なく、果たして、無事長女が生まれた。この時は旦那も何も言わず初の我が子を可愛がっていた、筈だ。ただ次の子も女の子と分かった時は旦那の表情が変わった(これで大分後々、お前は男を産む協力をしたのか、と事ある毎にいびられることになる)。不満気だったが、しかしやはり生まれた赤子を見たら、自分の子は可愛いらしくあまり何も言わなくなった。

 けれども、最低の事象が、次女を旦那の実家に見せに行って帰って来た夜起こった。旦那が次女を抱きながら、長女に向かって、はっきり、

「お前はいらない」

 と言ったのだ。長女はまだ二歳くらいだったが、一瞬、はっとした顔をした気がした。「なんてこと言うんだ!」と私は大声をあげて長女を抱き寄せて泣いた。舅がお前にはもう跡継ぎはいない、三人は大変だからあきらめろ、と旦那を口汚く罵ったからか、だがそんなのは知らない。私はただ信じられなかった。長女だけ連れて実家に帰ろうかと思った。何故次女でなく長女を疎んだかその時は考えなかったのだが、つまり、次女の方が旦那の家に似ているからだ。長女は私の家に似ていたし、身体が大きかった。でも可愛い私の娘だ。私は旦那への信頼を全く失った。

 ただし、別に夫が長女を憎んでいるとか虐待するとか捨てるとかそういうことではなかった(現に次女が生まれるまでも彼は長女を可愛がっていた)。あの後もけろりとして、長女に可愛いとか良い子だ、などと抜かすのだが、その度私はあの事を思い出して嫌悪し猜疑した。そしてやはり、結局、旦那も旦那の実家もどちらかといえば次女の方を可愛がっていた(私がそう感じるというだけではあるまい)。次女の初めての言葉は「パパ」だった。私も次女を嫌うとかいう事はなく二人とも大事に育てたが、しばらくの間は必然的に、何となく、私と私の実家は長女の方を愛しく思った。



 蜂を眺めるのも飽きて、眠くなってきたのでそのまま後方へ倒れた。布団を敷くのも面倒だ。この倦怠感は仕事を辞めて家に居始めた時からだ。



 仕事で産休は取れたのだが、育児休暇が短く、まだ幼い子を家に置いて仕事に出る訳にはいかなかった。勿論旦那は子供の身の回りの世話などしない(可愛がるというのは育てるという意味ではない)。離れて暮らしていたので実母や姑を呼んでずっと一緒に暮らす訳にも行かず一人での子育てがとてもきつかった。しばらく職場にいなかったので復帰するのも気まずいし、なんだか面倒だったのでそのまま辞めてしまった。専業主婦になったので、自分は家事も子育ても一切しないくせに旦那は私をそれとなく馬鹿にした。私とて辞めたくなかったが、子供を生んだら寿退社というのが普通だったし、兎角赤ん坊の世話が大変だった。買い物以外家に引き篭もりがちだった上夜もまともに眠れなかったので仕事をしているよりも疲れた。次女の泣き声に時折苛つくこともあった。ある時期どうにかして外に出たいと習い事を始めたが、旦那は留守中子供を見るのを嫌がった。

 子供が幼稚園に行くようになってやっと手がかからなくなった。最初は、いつもより丁寧に掃除ができたり新しい料理ができたり、時間ができて嬉しかったのだが、子供がいないので張り合いがなくなったことに気付いた。一気に暇になってしまったのだ。慣れてくると、家事に凝るのも厭きてしまって、子供の迎えまで時間を持て余していた。雑誌やテレビを見たりしたが別に格段楽しくはなかった。特に趣味もなく、近所に親しい友達もあまりいなくて、空虚な時間を漠然と過ごすしかなかった。だから一人で家にいるのは気分が暗かった。

 子供が小学校中学年になると、ゆとりとかいって、土曜授業が無くなりその分子供の平日の帰りが遅くなった。その時から眩暈がし始め体調も優れなくなった。もう耐えられなくて、又仕事をしたいと思い出した。ただし私は公務員だったので、再就職はできず、パートを探すしかなかった。専業主婦だと馬鹿にするくせに、旦那は仕事をし出すと(舅がまた煩いのだが)又不満を言い出した。どうしろというのだ。



 パートをしだして何年かしたある時、高校時代好きだった男の子の夢を見た。成績も良く知的で、あまり女の子とは話さないタイプだった。私は時々彼と一緒に出掛けたりしたが、彼はあまり拘泥しなかった。そういう所に心魅かれたのだけれど。彼は医学部に合格して、それから連絡を取っていない。パートが病院での仕事だから彼を思い出したのだろうか。夢から覚めると、心臓が鼓動しているのに気付いた。何だか寂しくなってこの事を次女に話すと(次女が中学生くらいになってからよく何でも愚痴るようになった。長女より話を聞くのが上手いのだ)、複雑な顔をされた。

 そんな夢を見たので、医者の人からのプロポーズがあったのに受けなかったのが少し悔やまれた。正直面倒だったのだが、よくよく考えると今の旦那だってたまたま結婚したい時期に出会ったというだけで結婚したようなものだ。見た目が嫌いじゃないのもあったが。そういうことを次女に話すと、残念そうな目で見られた。それから暇な時にネットで高校の同級生の名を検索してみたら、何人か著名な医者や大学教授になっていた。始めはただ面白がっていたのだが、高い経歴を持った同級生を見て、段々自分の過去を悔やむようになってしまった。お前に医者は無理だなんて言われなければ、もっと勉強して私だって医者になれただろうし、両親が根拠なしに仕事がないからと諦めさせた薬剤師にもなりたかった。そうしたら少なくとも今よりはマシな生活だ。


 

 ……子供が居なければ、とは思わないが(そもそも何故あの人の子供を作ったのか謎だ)、私が仕事を続けていて子供を養うお金がさえあれば、とっくに離婚しているのに。初期の頃それを考えなかった自分が不思議でたまらない。もっといい人と結婚すれば良かった。アル中の夫など嫌いだ。

 あまりに私が何でも話すものだから(世間勉強だとも思うのだが)、失望したらしい次女が結婚はしたくないと言い出した。娘たちは私が夫に苛まれているのも知っているし殴られたことも知っている。決定的だったのは、ある時私がある理由(恥ずかしくて言いたくない)で寝ている旦那を叩いて殴り返された時だ。すぐ隣で子供たちが寝ていたので目が覚めて旦那と目が合ったらしい。旦那は愛する娘に見られた恥からか逆上して私を蹴倒し蹴飛ばし罵倒し続けた。子供の前だけでは滅多に私を誹らなかったのに、見られてしまったから頭に血が上ったのだろう。いつまでも蹴り続けるので、このままじゃ殺されると思って私も殴り返した。子供に直接見られた初めての暴力だ。――夜中大声で私を怒罵する父親を傍で寝ている子供が知らない筈が無い。もっとも、私も子供が寝ているふりをしていたことなど知らないのだが。――それに加えて私が旦那の悪行を愚痴ったりしたこともあり子供の父親の株は着実に下落した。そうでなくとも、そもそも旦那は子供の前では紳士というのではなく、子供が気に入らないことを言ったり従わなかったりしたら怒鳴って手を出したし、子供の意向を無視して無理矢理やらせたいことをやらせようとした(私には純粋に子供を愛しているようには思えない)。そんなので、父親の前で露骨に表すことさえないが、娘たちは自然と父親を嫌った。当然だ、ざまあみろ。とはいえ、親がそんななので次女が独身主義になってしまった。私は男女交際の煩わしさも教えてしまったので、世の中皆我が家の様だと思っているらしい(尤も一概に否定はできないが)。ただ私がしまった、と思ったのは、次女が「孫の顔は見られないよ」と私に言った時だ。衝撃というほどではなかったがそれなりにショックだった。自覚はしていなかったけれど、何となく孫の顔を楽しみにしていたらしい。

 それが直接の原因とは思わないが(長女は独身主義ではない)、以前からも漠然と考えていたことで、そのくらいから長くは生きたくないと思うようになった。自力で入浴や排泄ができなくなったらもういいのだ。そういうので人に世話されるのは嫌だ。生理痛が酷くなり腰も痛くなったし、立ち仕事も旦那に連れ回されるのにも疲れた。子供が独立して親の手が必要なくなったらその時こそ私の役は終わってしまう。一人暮らしは嫌なので実家に帰ろうか。何にせよ、将来は暗いことばかりで、衰えてゆく我が身を嘆くしかなかった。



 旦那も五十近くになって大人しくなったと思ったら、又酷く殴られた。長女の大学受験の大事な最中にだ。以前子供に暴力を目撃されてからは随分静かになって癇癪を起こす頻度も低くなったが、しばらくしてからは子供の前でも、暴力こそしなくても、怒鳴るのを躊躇わなくなった。その日は子供が布団に入っていて目撃はされなかったのが幸いだが、恐らく近年で一番酷かった。詳しくは言いたくない。二発ほど顔面を殴られた。私は剣道の面の上からでさえ人を叩くのを躊躇するのに、この男は全く容赦がない。やはりどこかおかしいのだ。あまりにも凄まじかったので翌日次女だけ学校にやって寝室にこもった。仕事を休んで友人や弟や姑に事のメールをしまくった。衝撃で顎がずれたのか顔がとても痛かった。長女の受験でこちらも苛々していて気分もずっと塞いでいたので、しばらく布団の中で泣いていた。昼頃姑が電話で泣いて謝罪してきた。ごめんね、親のしつけが悪いの、どうか温かく迎えてやって、と。最後の言葉に腹が立った。難しいと思いますけど、と私も泣きながら、そこで電話を切った。長女が布団から出てきたとき、彼女の目は真っ赤に腫れて顔は濡れていた。薄い扉一枚隔てたところで、怒号と騒音は筒抜けだったのだ。可哀想にと思ったが、その時私は娘のことまで考える気力がなかった。構わず目の前で酒を全部捨てた。台所から酒の臭いが充満して、一層気分が悪くなった。

 ――アル中でDVなんて最低の男だ。嫌いだ。嫌い嫌い嫌い。どこかに行ってしまえばいい。もうお金なんてどうでもいい。車に轢かれて死んでしまえ!

 二日引き篭もったが、仕事に行こうと思って三日目には部屋を出た。流石に旦那も気まずそうに、そして気を遣ってきたが、一週間もすると段々元の態度に戻ってきた。なんて奴だ。



 私には本当にアル中の旦那持ちの知人が居たので、たまにメールなどしていた。彼女がその夫と離婚した時に、夫はアル中患者として精神科に入院したそうだ。彼女は殴られたりはしなかったらしいが、私より酷い目に遭っていた。彼女と比べると私はマシな方かと思うが、それでも耐え難かった。旦那も精神科にでも一度入院すればいい。以前、旦那が病院に運ばれた時(私の妊娠中に、外で飲んできて酔っ払って顔から自転車で転んだのだ)彼の脳波を見ることができたのだが、普通ではなかった。しかし医師は、これは転んだからではなく元々ですね、と言ったので、やはり元から頭がおかしかったのだ。アルコールで脳が萎縮するかどうかしている筈だ。聞けば小さい頃から梅酒をがばがば飲んでいたらしいから。いっそ本当にアル中になって一滴も飲めない身体になったら良いのに、と何度思ったことか。



 その知人を始め、私の友人にも離婚した人が何人かいた。私が旦那になじられる時に離婚の話を持ち出すと、表情は同じなのだが何となく様相が変わる。別れたら旦那には不利益ばかりだからか。口を開けば離婚と言い出すお前が本当に子供のこと考えてんのか、と先の時言われた。確かに、やはり正直お金のことがあるので子供が独立するまでは我慢して一緒に居るしかなかった。



 しかしまた年月を経るに連れて、私も段々情が移ってきて、きっちり離縁できるかどうか分からなくなってしまった。感傷的になり始めたのも年をとってからだ。長年の鏤刻でもう疲れきってしまって、鏡を見るのも嫌なほど身体も随分年を刻んだ。長女が大学へ家を出て行く時も涙が出てしまった。時の流れは残酷だ。次女も家を出て行くとき、その時はどうしよう。黄昏時の空を見てもなんとなく切なくなるのだ。その頃何だか妙に悟ってしまって、滅多に考えない面倒で哲学的なことが頭をもたげた。きっと親の介護とか更年期とかを考えると気分が憂鬱だったので、現実逃避していたのだ。やはり長く生きたくはない。



 そういえば親友は知っていただろうか。確かに雄蜂は交尾をするだけの役だが、種付けをしたら、すぐに死ぬ運命だということを。残りの雄蜂も冬になったら巣を追い立てられ飢え凍え死ぬ。彼女はこれでいい気味と思うだろうか。



 仮に、私より旦那が先に死んだら、私は悲しむだろうか。不謹慎だが嬉しく感じるだろうか。もっとも身体だけ丈夫なような男だからそれはない気がするが。逆に、私が死んだら?あの人は悲しむだろうか、それとも何も思わないだろうか。まあ、しかしどちらでもいい。もう私は死んでしまっているのだから、何も感じない。子供が独立して、私の役が終わってしまったら、もしかしすると本当に私はあっさりと息絶えてしまうかもしれない。長く生きる必要がないのだから、きっとその方が周りも楽に違いない。その瞬間が訪れる時、私のどんな記憶が蘇るのだろう。学生時代の思い出か、旦那に苦しめられた長い年月か、成長してゆく子供の姿か。最期くらい良い夢を見させて欲しいものだ。だが振り返れば、結婚してから碌なことが無かった。たまに楽しかったような思い出もある気がしないでもないのだが。探せば良かった事もあるかもしれない。今はもう何だか虚ろな気分で、私の過去を客観的にしか感じられない。私というのは、そういう人間だったんだ、ああ、そう、という風にだけ。

 旦那にもその時が来たら、一緒に骨を埋めようか。まさか、その気は更々無いのだが。

 愛してた? そんなの分からない。




 ふと気がつくと、やはり眠ったらしく、陽が西へ傾いていた。蜂はもういなかった。風も大分涼しくなって寝起きの火照った身体を気持ちよく通り抜けた。ゆっくりと身体を起こして伸びをする。変な姿勢で眠ったからか腰が痛んだ。それから脇に置いていた携帯を開くと、親友からメールが届いていた。私は驚いた。何年振りにその名を見ただろう。一人で寂しいから久々にお茶でもしようか、なんて書いてあって、嬉しくなってすぐに返信した。

 彼女はまだあの時の事を覚えているだろうか。未だ独身だろうから彼氏くらいはどう、と勧めても、渋い顔をして嫌がられる気がする。だが、もしかしたら既に誰かいるのかもしれない。

 今度会う時、どんなことを話そう。旦那が入院したこと、それで私は実家に居ること、長女が結婚したこと、次女は相変わらず仕事ばかりなこと、最近始めた園芸のこと……、しかしきっと彼女を見たら言いたいことの半分も思い出せないのだ。



 嗚呼、でもこれは彼女に一番に話そう。

 私の一生はまるで蜂の様だった、と。


これは、私が高校1年生の時に書いた作品です。

ふと思い出して、投稿してみました。

拙いところもたくさんありますが、

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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