第91話 リフトオフ
ネット中継の映像は、打ち上げ準備の様子が流れ、ロケットの飛行計画が伝えられている。
浅草駅のホームには、東武日光からやって来た「スペーシアX6号」が入線して来た。この列車が折り返しで浅草駅15時00分発の「スペーシアX11号」となるのだが、折り返し時間は15分だ。
ルナは二重の意味で緊張していた。
H3ロケット打ち上げ10分前。
「準備完了ドア扱い願います」と言う業務連絡が流れ、スペーシアX11号の客扱いが始まった。
「総合司令塔より打ち上げ関係者へ。打ち上げ準備状況を報告します。H3ロケット打ち上げ最終実施判断の結果は「GO」です。」
H3ロケットも「GO」の打ち上げ最終実施判断が出た。
アイルが先に、スペーシアXに乗り込んだ。
コックピットスイートは6号車の最後尾。
浅草駅を行き交う人々の注目の的だ。
「さぁ―。」
アイルが手を伸ばす。ルナは怖い。
「大丈夫です。きっと上手くいきますから。」
ルナは足を震わせながら、一歩、6号車に足を踏み入れる。
「ずっと、待っていたのです。貴方と会える日を―。」
アイルは微笑む。
「打ち上げ8分前。警戒空域の安全確認。」
ネット中継の向こうのH3は安全確認を終えた。
(大丈夫。何も起きない。)
ルナも自分に言い聞かせながら、紅い洋服のアイルの背を見ながら、6号車最後尾の扉の向こうへ行く。
扉の向こうは、プライベートジェットをイメージした「走るスイートルーム」と言うべき空間だった。
正面および側面の窓からの展望を広く見渡せ、陽明門の柱を想起させる照明は、上質な旅の一時を演出させる。
これが、「スペーシアX」が誇る「コックピットスイート」である。
大きなソファーにアイルは腰を下ろす。
ルナもその隣にちょこんと座った。
大きな窓から、他のホームに停車している列車を見る。
それらは全て、10000系等のルナの世界に居る車両だった。
しかし、アイルと言う存在とスペーシアXやSL大樹に乗った時、何かが起こる。
ルナは矛盾した状況にあった。
アイルの世界が消えた時、アイルの世界が恋しくなった。だから、プロジェクションマッピングのブルートレイン相手に、無意味に激昂した事もあった。
だが、アイルがまた現れた時、今度はルナの生きる世界が変わってしまうという恐怖もあった。
(いや、違う。自分はもう、死んでアイルさんの世界へ転移しているのか?)
「少し落ち着いたら?」
アイルは言いながら水を渡す。
「コックピットスイート」では、東武ホテルで提供しているミネラルウォーターが定員7人分ペットボトルで用意されている。
「あっ、あぁ、ありがとうございます。」
言いながら、それを受け取り一口飲んだがやはり落ち着かない。
仕方がないのでルナは、携行している口臭ケア用のチューイングキャンディーを一粒口に放り込む。スっとした爽快感が広がった。
「何も気にしなくとも。あぁ、あの時はラーメン食べた後だったからで、私自身が気にしただけで、普段のルナに、口臭は無いですよ。それに、口臭ケアの物をあまり食べ過ぎては、今度はお腹を下してしまいますよ。」
アイルは微笑む。
いつの間にか、発車1分前になっていた。
それは、「ルナ・パスファインダー」を載せたH3ロケットの打ち上げ1分前でもある。
ネット中継の向こうでは、カウントダウンが始まっている。
「私は、ルナを愛しております。」
そんな声など、今のルナの耳に入らない。
逆に「黙ってろ!」と、怒鳴りたくなった。怒鳴ったところでどうにもならないのだが。
30秒前になる。
浅草駅構内に発車を告げるアナウンスが流れる。
ネット中継の向こうでは、H3ロケットの足元に水が撒かれ始める。
15時ちょうど。
「パァーン!」
と、電子警笛を鳴らして「スペーシアX11号」は浅草駅を発車。
「メインエンジンイグニッション!H3、リフトオフ!「ルナ・パスファインダー」を載せたH3ロケットは、2026年2月19日15時00分に、種子島宇宙センターより打ち上げられました。」
ネット中継の音声が流れる。
(頼む―。)
ルナは祈りながら、外を見る。
(いつもと同じだ。)
と、思った。
(いや―。)
違う。
(スカイツリーが、無い!)
「警報!警報!」
ネット中継の向こうで、警報音が鳴り響いているのが聞こえた。
「えっ―。」
「ルナ。」
ネット中継を見ようとしたが、アイルが一足早かった。
「待って。アイルさん。ここは車掌さんも―。」
「コックピットスイート」と併設されている乗務員室を見る。そこに車掌が居ない。
(おい!東武鉄道は確かに、ワンマン化を推し進めているが、特急までワンマン化なんて聞いてないぞ!)
何か喚きたかったが、アイルに包み込まれるように、ソファーの上に押し倒されてしまった。
「大丈夫よ。きっと上手くいきます。」
アイルは言いながら、ルナに唇を合わせた。
(待って―!お願い―待って―。)
ルナは力を吸い取られるように、目を瞑ってしまった。
その瞬間、フラッシュをたかれたように、列車は光の渦に包まれた。
「ポゥオーッ」
遠くから、ガラスの笛のような汽笛の音が聞こえたと思うと、ルナの意識は消えて行った。
― ― ―
蔵の町栃木の庄屋。
庄屋でやるべき仕事が片付いて、横川エレナは布団を取り込んでいた。
昨夜、妻の軽井沢里緒菜が調子づいてエレナを抱いたのだが、やり過ぎて布団を汚したため、エレナが洗濯し、やっと乾いたところだ。
「申し訳ございません。少々、調子に乗り過ぎました。」
里緒菜が詫びる。
「いいんです。私も、里緒菜さんに抱かれるのが、一番心地良いです。」
エレナは本心から言った。
「それより、本当にやってしまうのですか?」
エレナは暗い目で言った。
「ええ。」
「-。あまりいい気はしません。真相を知らせぬまま、無理矢理ルナをアイルとくっ付けるのは―。」
「私達にも、真相は分からないのです。最も、ルナに近い存在である、エレナの気持ちも分かりますが―。」
里緒菜は項垂れる。
「私はただ、娘の幸せを願うだけです。その雰囲気を壊したくないです。」
「それは、私も同じです。アイルとルナが幸せになれるなら、それでいいのですが―。私が居ると、おそらくその雰囲気を破壊してしまうでしょうから、私は不参加でお願いします。ですが、状況によっては、参加するかもしれません。」
エレナが言うと、里緒菜は「分かりました」と頷いた。
「出前やら食事やら、もう準備はしてあります。エレナの分もね。」
「ありがとうございます。こんな奴のために。」
エレナは頭を下げた。
「ゴン!」と、何かが落ちたような音が庭から聞こえた。
「何、かしら?」
里緒菜が外を見る。
「確認してきましょう。」
エレナは言いながら、サンダルをつっかけて、庭に出る。
少々庭を探索すると、角8給料袋程の大きさの物が落ちていた。
ソーラー電池とアンテナが付いた、探査機のようで、一部分が破損している。
機体番号が刻まれていた。だが、その部分は焦げてしまって読み取れない。
損傷した部分から、2つの書類が覗いていた。
それを引っ張り出す。
「月面探査ローバー「アイル」回収時取扱依頼書」と書かれ、回収時の取扱について日本語と英語で書かれており、末尾にはJAXA筑波宇宙センターと「ルナ・パスファインダー計画プロジェクトマネージャー野縁潤一郎」と名前が書かれていた。
もう一枚は定期券サイズの写真だった。
写っているのは、ルナとアイルの二人。
また、乾いた音が聞こえた。
エレナはその方向へ行ってみる。
そこには、弁当箱サイズの薄い金属プレートが落ちていた。
ボルトが外れて落ちたようだったが、とても、あの探査機に付いていたにしては大きすぎる。
金属プレートには何か刻まれていた。
エレナはそれを読み取ってみる。
「LP‐X01」と書かれ、打ち上げの日と時間がボールペンで書かれていた。
それは、2026年2月19日15時00分。
つまり、今日の15時だった。
「-。LP‐X01。ルナの論文に書かれていた月探査機。」
エレナは空を見上げる。
「早すぎる。」
エレナは言った。
「エレナ!」
今日の集まりのために筑波からやって来た霧積博士の声。
「今、筑波山観測所から緊急連絡があった!太陽フレア発生!」
霧積博士はそのデータを伝えるが、聞いていたエレナは途中で止めた。
「そういうことか―。」




