第8話 アイルの声
月詠ルナは交通事故で両親を失っていた。
一応、頼れる親戚は居るが、生活支援は心細い物で、高校には奨学金を、そして普段の生活費はバイトで賄っていた。
幸いにも給付型奨学金を受け取れるだけの成績を頂戴しているので、将来的に奨学金の返済と言う事は今のところないが、高校卒業後の進路については、進学は絶望的だ。
金が無ければいくら良い成績を収めようと、良い大学には行けず、結局は就職と言う道を選んだ。
高卒で就職。
世間ではそんな者も居るには居るのだが。
就職したら、今よりは少し時間が出来て、旅に出られる機会も増えるのか、或いは仕事と生活に追われて、自分を見失ってしまうのか。
隅田川沿い。
首都高速の高架下を見ると、段ボールやらブルーシートやら、わけの分からない廃材をかき集めて積み上げたような箱があり、中には、野生動物や昆虫のような格好になった人物が入っている。
(ホームレスか。こうはなりたく無いな。それも、遠くへ旅に行ける鉄道線路の近くでは。)
ルナは思う。
通っている高校には、浅草駅から吾妻橋を渡って隅田川沿いの道を少し歩いて行く。
吾妻橋からは、横目に、あの旅の目的地である日光鬼怒川地区へ行く東武線の線路が見え、今日も浅草7時50分発の特急「スペーシアX1号」が、東武日光へ向け出発していく。
高校に入って直ぐと言っていい時にデビューした「スペーシアX」は、ルナにとって憧れの存在となっていた。
それまでの、「100系スペーシア」、「500系リバティー」、「250系りょうもう」と言った特急列車にも憧れを抱いたが、新鋭の「スペーシアX」は伝統と革新の融合を目指して制作され、令和の世に革新的な姿で華々しくデビューした。
その姿を偶然にも吾妻橋から見た時から、ルナは「スペーシアX」に憧れた。
しかし、デビュー当初の「スペーシアX」はなかなか切符が入手出来ず、旅に出られても従来型の「100系スペーシア」か「500系リバティー」に乗っていた。
また、時には気分を変えようと、「250系りょうもう」で群馬の赤城まで行き、大間々から、わたらせ渓谷鐡道のトロッコ列車に乗り換え、足尾で日光市営バスに乗り換えて東武日光へ連絡し、東武日光から特急で帰るという事も時折やっていたが、やはり「スペーシアX」にはなかなか乗れず、そんな中、ようやく、あの旅で「スペーシアX」のスタンダードシートの切符を入手出来たのだが、いきなり眠り込んでしまうという失態をやらかした。
だが、目覚めるとそこは見知らぬ日光・鬼怒川地区だった。
学校に着くが、学校にはロクな友達も居ないルナは東武の観光ガイド本や時刻表を読みふけ、バイトのシフトと財布事情を見ながら、行けるタイミングがあれば、日光・鬼怒川へ行こうと考える。
つい先日行ったばかりなのに、今回はどういうわけか、またすぐに行きたいと思うのだ。
(あの世界が何なのか知りたい。あの世界をまた見たい。)
ルナはそう思うのだ。
授業が始まっても、今日のルナは上の空で、あの旅を思い出してしまい、アイルと言う紅い着物の女の子の事まで脳裏を過ってしまう。
昼休み。
昼食を食べた後、不意にルナは思い立って、アイルの連絡先に電話を掛けてみると、アイルの声が聞こえた。
「ふふ。もうかけて来たの?」
「いや、あの、また日光に行きたいと思ったら―。」
「私を思い出したの?」
「そんなところです。」
しどろもどろにルナはやり取りする。
「ほうれ!」
と、いきなり、後ろからスマホを奪われた。
「へへっ!誰と話してんだ女かぁ!?もしもぉーし!」
スマホを奪った男が電話口に向かって話す。
だが、
「ん?なんだこれ?」
と、男はスマホの画面を見返す。
「雑音しか聞こえねぇぞ?」
男はスマホの画面を突き付ける。通話中になっているのだが、男は雑音しかしないと言うのだ。
ルナはスピーカーに切り替える。
「ルナ?どうしたの!?」
「あっいやなんでも―。」
と言う、アイルの声が聞こえたのに答えるが、周りの他の奴等にはアイルの声が聞こえないらしい。
「気色悪いぞこいつ―。」
と、男はスマホを乱暴に、ルナへ返した。
「どうしたのルナ?」
電話口の向こうから聞こえるアイルの声。
「あっ、いや、電話にいたずらされて。すみません。」
「謝らないでよ。悪いのはいたずらした奴。」
「-。」
そんな事より、なぜ、他の者には、アイルの声が聞こえなかったのかが、ルナは気になった。
「あの―。」
「ああ、またすぐに来るの?なら、待っているから。あっそろそろ仕事に戻らないとだ。」
「分かりました。では、また―。」
「うん。じゃあね。」
アイルは電話を切ったのだが、ルナは他の者にアイルの声が聞こえなかった事が気になって仕方が無かった




