第6話 帰りのスペーシアX
大戸旅館という旅館の貸切風呂をアイルという女の子と無理矢理堪能した事にしたルナは、アイルに連れられて鬼怒川温泉駅へ向かう。
まもなく、浅草行き特急「スペーシアX10号」の時間だからだ。
「パカパカッ」と、荷車を繋いだ馬車とすれ違いながら、鬼怒川温泉駅の駅前に着くと、そこはルナの知っている鬼怒川温泉駅の駅前になっており、SL大樹用の転車台広場と、駅に直結したいかにも東武資本で作った、値段だけ高い割になんて事の無いカフェ、振り返ると駅前の足湯もあった。
立ち止まった後、ちょっと後退りして、駅前の広場から道を一本挟んだ歩道に行き、周囲を見回すと、ルナの知っている鬼怒川温泉の街並みだった。
(結局は、幻を見ていたのか?)
と思うが、ポケットに入れられている「スペーシアX」のボックスシートの切符は存在し、ルナが元々取っていたプレミアムシートの切符はキャンセルのままだった。
不意に、街並みがまた変わった。
「何をしているの?帰りたくないの?」
アイルが言いながら道を渡って来たのだ。
「待て!止まれ!」
ルナは怒鳴る。
「そのまま一歩ずつ後退しろ!」
「えっ?」
「いいから!」
アイルは困惑しながら、駅前広場に戻っていき、アイルの姿が駅前広場の方へ入った時、街並みはルナの知っている物になった。
「君は一体何者なのですか?」
ルナは道を挟んでアイルに言った。
道を渡って、アイルの居る方へ行くと、何が起きるか分からないからだ。
「私は貴方の婚約者なのですよ。」
一歩ずつ、アイルはルナに近寄って来る。
「くっ来るな!」
「いいえ。」
「来るなって言ってんだ!」
「行きますよ。逃げないでくださいな。」
「ギャッ!」
後退りするルナは、縁石に躓いて転んだ。
その瞬間、街並みはまた、古ぼけた物に変わった。
「さぁ―。」
アイルが手を伸ばす。
「さっ触るな!」
「照れですね。私は遠慮しませんよ。」
アイルはルナの手を握り、そのまま自分の腕を絡めて来る。
そして、ルナの掌に、紙片を入れながら、鬼怒川温泉駅の改札口を抜ける。
ルナはここで安心した。
なぜなら、鬼怒川温泉駅の構造はルナの知っている物で、1番線には白いボディーの特急「スペーシアX」が停車していたからだ。
「では、またね。ルナ。」
アイルは微笑みを浮かべながら、ルナの頬に唇を当てようとする。
「ひっ!」
ルナは恐怖から、5号車に飛び込んだ。
まもなく、「スペーシアX10号」は鬼怒川温泉駅のホームを離れ、アイルの姿も見えなくなった。
(恐かった。なんなんだ。今回は。)
ルナは思いながら、自分で取ったプレミアムシートのある2号車に向かうが、自分が取った座席が使われていた。
一応、自分の切符を再度確認する。
「えっ?」
切符は元に戻っていなかった。
自分が取ったプレミアムシートはキャンセルされたままだったのだ。
そして、自分の手元にある切符は、5号車のボックスシートの切符だったのだ。
5号車に改めて向かうと、手元にある切符のボックスシートは当たり前だが空席だ。
ボックスシートは、向かい合う2シートを、パーティションにより周囲を遮った半個室だ。
最初は気味が悪くて座れなかった。
そもそも、プレミアムシートを取っていたのに、どうしてボックスシートになっているのだろうか?
だが、列車が下今市駅に着くと、流石に立っているのも辛く、そもそも全席指定の列車で、デッキに立ったままでは不正乗車に間違われるだろう。
ルナは諦めて、ボックスシートに腰を下ろした。




