第67話 アイル・ルナの重連勤務
下今市機関区からC11蒸気機関車が出区してくる。
今日、ルナが乗務する列車を牽引するのは「へそ曲がり機関車」と呼んでいる325号機だった。
アイルの世界でも、最初の目的地の東武日光駅は機回し線こそあるが頭端式ホームの上、転車台が無いため東武日光駅から下今市駅に戻る場合は蒸気機関車をバック運転させる必要があり、B1型やD1型のように炭水車が付いたいわゆるテンダー式蒸気機関車ではなく、機関車の後にランドセルのように石炭と水を積める、バック運転が容易なC11等のタンク式蒸気機関車が東武日光駅行きの観光準急「大樹・日光」の牽引機になる。
ルナの横で、アイルは列車に手を振る。
ルナはJR西日本がかつて運行していた豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」のように、列車にお辞儀をしかけたが「お手振り」と耳元で言われて、アイルと並んで手を振る。
(そうだ。「トワイライトエクスプレス」じゃねえんだ。って言うか、SL観光アテンダントの姿、何度も見ただろ。)
ルナは冷や汗をかくが、アイルと共に旅客を迎える際は笑顔を絶やさない。
「あらっ?今日はお供が一緒?」
常連らしい旅客がアイルに聞く。
「はい。私の大切な方なのです。」
「あらっという事はいよいよ?」
「はい。夫婦二人三脚で皆様をご案内致します!」
アイルと常連の乗客の会話を、ルナは笑顔で聞きながら、浅草から来た特急「スペーシアX5号」の旅客に手を振る。
(認めるにしたって、分からない事だらけ。)
と、笑顔の裏では思っていた。
「スペーシアX5号」の後を追うように、観光準急「大樹・日光71号」は下今市駅を発車。東武日光までルナは、アイルの助手をしつつ、持田と検札を行う。と言っても、下今市から東武日光駅までこの列車に乗る旅客は少なめだ。
東武日光駅の折り返しの待ち時間で昼食。今日は、アイルの作った弁当だが、かなりボリューム感があった。
「そうねぇ。月詠君、以前にも旅客として乗っている時や、職場見学会でお昼食べているのを見たけど、見るからに栄養価低い物ばかりだったからねぇ。」
石原が言う。
(そういえば、アテンダントさん等、一部の人は元の世界と変わらないな。これが、並行しているが故に交わる事が無かった、並行世界ということなのか?)
ルナは思いながら、
「遊んでいる時は遊ぶこと、職場説明会の時はそちらに夢中でしたので―。」
ルナはそう言って、さっさと弁当を平らげ、濃いお茶を飲んで一息つくと、そのまま座席に身体を預けてうたた寝する。
「例の件ホントにやるの?」「大丈夫。段取り通り」等と話しているのが聞こえたが、ルナは、笑顔を作るほど、自分がどこに立っているのか分からなくなって疲れたらしい。
「おい!」
アイルが耳元で大声を出して「うわぁっ!」と驚いて起きる。
「もう仕事始まるよ!いつまで寝てるの!?居眠り禁止!」
アイルが何か言っているのを横目に、ルナは地図を見る。
(あった。)
ルナは頷く。そして、ルナに車内アナウンスをやれと言われた時に備えたネタが使える事も確認した。
「聞いてるの!?」
「聞いてますよ。」
「あまり変な事したら、お仕置きするからね!」
アイルとルナの会話を、他のアテンダント達がゲラゲラ笑いながら聞いている。
東武日光駅から下今市駅へ戻る列車が出発する。
アイルが変わらず、下今市まで観光アナウンスをし、ルナは持田に見守られながら検札。下今市駅でスイッチバックをして鬼怒川温泉に向かうが、下今市駅で満員御礼になり、車内は賑やかだ。ルナが持田と検札に回り、2号車の展望車の展望デッキの旅客の検札を終えた時だった。
「本日の観光準急「大樹」のご乗車を通じて、皆さまと日光鬼怒川地区のご縁を深めていただけることを願いまして、私からご縁にちなんだ発表をさせていただきます。」
観光アナウンスをするアイルが唐突に何か変な事を言いだした。
「笑顔でね。」
持田が耳打ち。
「えっ?」
「華々しくデビューなさい。」
何を言っているのか分からないが、車内アナウンスに耳を傾ける。
「この度、私、軽井沢アイルは婚約しました!」
その瞬間、2号車の車内から「わっ」と歓声が上がると共に、拍手が起きた。
(アホ!私的な事するな!叩き出すぞ!一人で何やってんだ!?)
ルナが怒鳴りそうになった。
「そして、実は―。この列車に、婚約者さんが乗っているのです!」
ここでアイルが何を意図しているか分かった。
(あのバカ―。就業規則違反だろ。なんで石原さんも持田さんも止めないんだ。でも今飛び込めば、この空気を壊してしまう。つまり、自滅だ。)
ルナは真っ青になり、とりあえずは最後尾の3号車に居る車掌に伝えに行こうと、2号車の展望デッキから3号車に飛び込もうとしたが、持田に腕を掴まれる。
3号車の車掌室を遠目に見ると、車掌が覗いていたが車掌まで乗り気らしい。
(あんたら、おかしいって!変なことしているのはどっちだ!?)
ルナは怒鳴りたくなったが抑える。
観光列車の関係者がそのようなことをしたらどうなるか分かっていたからだ。
もっとも、分かっているからアイルを止めようとしているのだが、この状態で止めるのは車内の空気を壊しかねない。
「では―。私の素敵な旦那さん!どうぞ!」
「ほら行け!」
持田に蹴り飛ばされるように、展望デッキから2号車の車内へ入る。と、同時に、ルナはマイクの電源を入れ、視線を列車の進行方向へ向ける。通路の先に居るアイルと目が合うと、アイルと初めて会った日の事を思い出す。
東武日光駅前の土産物屋の食堂で昼食中に話しかけられた事。
東武日光駅前の路面電車が動いているのに驚いた事。
そして今、列車の後方に居るルナと前方に居るアイルが通路越しに見つめ合うのは、東武日光駅の路面電車と駅舎の合間の車道越しに見つめ合った時を思い出した。
あの始まりの日から、ルナの旅は元いた世界から、アイルの世界への旅に変わったのだ。
「コッコッ」と足音を立てながら、ルナはアイルの方へ歩み寄る。一歩一歩歩く毎に、元いた世界が遠くなる気がした。そして、アイルの世界に近くなる。
アイルの世界へ吸収される。
違う。
未だ分からぬ、今の自分のこと。
自分が死に、アイルの世界へ転移した事実。
これに向き合って、自分はどう生きるか。
その答えを見つけるため、今ここに居る。
車両の中間部分まで歩いた。
一旦、マイクの電源を落として深呼吸してから、再度マイクの電源を入れる。
この間は一瞬だったが、ルナにはそれが今日、ここまで来た旅の長さに感じた。
「皆様!本日は観光準急「大樹・日光72号」にご乗車ありがとうございます!本日、この列車の車内アナウンスは軽井沢アイルさんだけではなく―。この度、軽井沢アイルさんと―。」
(婚約した覚えは無いけど。)
ルナは思う。
しかし否定はしなかった。
否定する理由も、もう見つからなかったからだ。
アイルのところまで歩くとそこでクルリと車内の方へ身体の向きを変え、
「お付き合いさせていただいております、私、月詠ルナの二人体制で皆様を鬼怒川温泉までご案内いたします!皆様、よろしくお願いいたします!」
と言いながら、2号車車内の乗客へお辞儀すると、車内から物凄い拍手と歓声が上がった。
(倉ケ崎の花畑はこの世界にもあった。でも、SL花畑では無くて―。)
歓声を受けながらルナは頭の中で確認。
「まもなく進行方向左側には大きな花畑が見えてまいります!こちらは倉ケ崎観光花畑と言いまして、倉ケ崎地区の皆様が季節の花々を、そして、冬の間はイルミネーションが点灯いたします!」
アイルの世界になった後も、ルナの世界とあまり変わらない鬼怒川線の沿線は、ルナにとって独断場でもあり、天文学者や宇宙飛行士になり損なってこの世界へ転げ落ちて来たルナが本領発揮出来る場だった。
アイルと二人、合いの手を打つように代わる代わる案内放送を行ったが、ルナは鬼怒川橋梁を渡り、新高徳駅で東武矢板線を横目にした辺りで鬼怒川上流のダム群の案内をし、その中には富山県にある黒部ダムと同じ名前のダムがある事や、そこに行くためのバスの案内をも行うと、アイルから「実は、私も知りませんでした!流石は私の婚約者さんです!私も勉強しなければです!」と、本気で言われた。
鬼怒川上流にある黒部ダムの事をルナは以前から知っていたが、それを活かすことが出来なかった。しかし、アイルの世界に転移した事で、ルナの中に死蔵されていた知識が活かされる形になったのだ。
(今後、どうなるかは分からないが―。少なくとも自分の知識が死蔵されたり、遊兵化したりせずに済みそうだ。或いは―。天文の知識も活用できる可能性もありそう。)
東武ワールドスクウェアの建造物群を横目に案内しながら、ルナは思う。
しかし、東武ワールドスクウェアの中にはやはり、東京スカイツリーは無く、ルナはそれで現実に引き戻される。
(あぁそうだ。アイルさんに引っ張り込まれているけど、今の俺は一体何者なのか、そもそも死んだのか、なら、なぜここに居るのだという根本的な問題と向き合わないと―。)
そんな事を思いつつも、それを顔に出さず、笑顔でアイルと案内放送をし、列車は無事に鬼怒川温泉駅に着いた。
満員の乗客からは拍手喝采。
「二人の活躍と幸せを願ってます!」
などと言う声も聞こえ、持田や石原からは「今日の観光準急「大樹・日光72号」はいつも以上に盛り上がった」と言われ、アイルは「えへへ」と照れ笑い。
鬼怒川温泉駅の休憩室で女性アテンダントが話しているのを横目に、ルナはまたもお茶を飲む。
「観光準急アテンダントの間でも、東武日光観光開発の間でも、アイルちゃんはアイドルよ。旅館に行けば、その旅館の雰囲気が一挙に変わり、観光準急「大樹」に乗れば、車内は一挙に賑やかになる。存在しているだけで、世界を変えてしまう可愛さを持っているわ。」
と、石原はアイルを評価する。
「いえいえ。私はまだまだです。ルナに、私の知らない知識を披露されてしまいました。」
アイルは微笑みながらも落ち込む。
「足りない部分はお互いに補っていけば良い。夫婦二人三脚で頑張るアイドルアテンダントって素敵よ。ねっ!月詠君!」
「ゲホッ!」っと、いきなり話を振られてルナはせき込む。
「どうも不意打ちが苦手なようで―。」
アイルはそれを見て苦笑いを浮かべながら、ルナの耳たぶをこねくり回す。
(職場でやるな!)
と、ルナは顔が赤くなり、「仕事してきます」と休憩室を出てしまった。




