第37話 トク500形客車
「形式名はトク500形客車。当時の国鉄の超特急「つばめ」や特急「富士」に連結されていた展望車のような車両だよ。」
と、学芸員は言う。
東武鉄道は1929年に、東武日光線を開業させたが、それと同じくして、貴賓車として製造された。
日本車両製造により製造された木造車で、貴賓車とはいうものの定期運用についていたわけでは無く、運用形態はJRのE655系「なごみ」の皇室用「特別車両」のように、婚礼や旅行などの団体専用列車で主に用いられていた。
1932年頃より、通年特急列車に連結されて使用されるようになったが、当然運転台が無い車両のため常に他の列車の最後尾に連結しなければならず、国鉄の超特急「つばめ」のように編成丸ごと方向転換できるだけの設備を有していなかったため、両端駅での推進運転(バック運転)や蒸気機関車のように転車台を用いた方向転換が必要な欠点があり、徐々に稼働率は落ち、デハ10系のようなロマンスカーが特急用車両として登場すると、目玉車両としての地位も陥落した上、戦時体制に突入して観光輸送どころではなくなって廃車となったが、戦後、連合軍専用列車と使用しようとしてGHQから「木造車両は耐久性や耐火性に問題がある」として断られた事で、使用目的を観光団体輸送に変更し、再度の改造工事が行われた。
この際、開放式展望台が密閉式になり、内装も料理室や随員室・ボーイ室は撤去され、代わりにスタンドバーが設けられ、展望台のところには円形テーブルとソファー、それ以外の座席は転換クロスシートとなった。
1949年からは主に鬼怒川温泉行き特急列車に団体輸送の申し込みがあった場合に連結されての波動輸送に使われた。しかし、やはり車両の構造が仇となり、鬼怒川温泉駅に到着した後、トク500形客車は、方向転換のため、わざわざ下今市駅まで回送していた。そして、5700系の登場で再び使用頻度は減少。1957年に再び廃車となり、その活躍は10年にも満たなかったが、このトク500形客車の残した功績は、その後の東武特急に大きな影響をもたらし、現在の特急「スペーシアX」のコックピットラウンジやコックピットスイートの礎ともなった。
ルナはそれと知った時、ある事を思い浮かべた。
(「スペーシアX」のスタンダードやプレミアムシート、ボックスシートに乗ったなら、デハ10系が出現するだろうが、コックピットラウンジやコックピットスイート、コンパートメントに乗った場合―。)
しかし、すでにコックピットラウンジには乗っており、その際に一瞬出現したのは、デハ10系だった。だが、
「デハ10系に連結される事もあった。」
と、学芸員から聞いた。
(であるなら、あの時、アイルさんにキスされた時にいたデハ10系にも連結されていたのかもしれない。)
ルナはその時の写真を見る。
しかし、デハ10系は写っていたが、それにトク500形客車が連結されていたかは分からないし、キスされていた時に目を瞑ったが、そのために背後にいた列車の編成がどのように変化したかも分からなない。
そして、肝心な事である、アイルの世界の事は結局分からないまま、東武博物館を後にした。
東向島駅前のファストフード店に入り、昼食にする。
食べながらこれまで見て来たものを振り返る。
すると、一つだけ、列車名こそ変わったが変化していない車両があった。
(SL大樹の機関車と客車は変化していない―。確かに、ディーゼル機関車のDE10こそ消えたが、鬼怒川温泉行きの場合、DE10は連結せず、蒸気機関車と客車で運転される。アイルさんの世界では、SL大樹だけが変化していない。で、あるなら、今度はSL大樹のみで旅したらどうなるか、試してみよう。)
ルナは頷いた。




