第三話・オフィーリア出撃せよ
グロウレスタ。
その名前の村を知っているか?そう100人に問えば99人は首を傾げるだろう。
なら、アピス・アズール召喚学校を知っているか?
そう100人に聞けば今度はその全てが首を振るだろうその場所こそが、リリエナの育った村であり、通う学校であった。
グロウレスタ、金の麦畑と言う意味の通り夏が過ぎ秋が深まる季節になれば、リリエナの村は見事に金一色に染まる。村の畑一面麦がなり、正に実りの季節と呼ぶに相応しいその光景から村の名前が付けられた。
リリエナの様に召喚学校に通い、それを職とするのは特別な事ではない。大抵の子供が12歳頃までに学校へ通い、その半数は召喚学校へと道を進める。基本、召喚学校は3年の間に基礎を学び、更に学び極めたい者の為に王都には学院があった。しかし王都の学院に通うのは貴族か、金に余裕のある者だけだ。だから殆どの者が3年間で学校を卒業した後に職につく。卒業しただけでも召喚士として認められ働けるが、召喚士としての階級は最も低い為余程の事がない限り、卒業した後も独学で勉強して年に二回行われる召喚士階級試験を受ける者が多い。
試験は全部で5段階に分けられる。初級、中級、上級、特級、王級。中級に合格すれば自分の召喚獣を持つことが許され、役所に登録される。リリエナ達学生が行った召喚は期間が限られた、帰す事が前提のいわゆる仮契約だ。ルイスは上級で、召喚獣であるオウムのローとはその後に契約したと前に話していたのをリリエナは思い出した。卒業まであと半年。アリアは下にまだ幼い弟妹が3人もいるから取り合えず就職すると言って笑っていた。小さく見えて意外と責任感が強いその姿を見て、リリエナは焦りにも似た思いが沸き上がったのを今でも覚えている。
特に夢があって召喚 学校に通っているわけではない。村から一番近い学校がたまたま召喚学校だった。それだけだ。あれだけ卒業にこだわったのは置いて行かれたくなかったから。
リリエナは昔からそうだった。特に何かに強く惹かれた事はなく、いつだって周りに合わせて中途半端に終わっている。きっと卒業した後も先生に薦められるがまま、近くの町で職を見つけて働くのだろう。それが嫌だと言う訳ではないが、口からは自然と重い溜め息がもれる。
ただ卒業が出来そうな事にひとつ、肩の荷が減った気分だ。リリエナは確かに約束通り生物を召喚した。
召喚したそれに対して混乱を招き、規格外だったとしても例外がない訳ではない。ちらりと視線を投げれば、少し毛先に癖のある黄金色の髪がゆらゆらと揺れている。リリエナの目の前の人物は先程から一心不乱に手元を動かし、せっせとある事をしていた。
「ねぇ、聞きたくないけど一応聞いてあげる。さっきから何してるの?」
「見て分かんねぇのかよ」
「どう見ても私が作った昼食のスープに入ってる人参を避けてる。あ、玉ねぎも」
嫌味な程に丁寧にはっきりと言えばリリエナが召喚した少年――ルノワールが不愉快を貼り付けて顔を上げた。釣り上がり気味の空色の目が不機嫌を物語っている。先程まであった少し良いと感じた雰囲気の空気なんて微塵も感じない。
「お前うるさい。美味くもない飯が更に不味くなるだろ」
マナーを何処かに捨ててきたのか、ルノワールは野菜が少なくなったスープを態とらしくぐるぐるとかき混ぜる。幸いにも木製のスプーンだった為に金属独特の不快音はしない。
「大体なんで野菜ばっかなんだよ。俺はーー」
「肉はないわよ?」
続くであろう台詞をリリエナが先に告げれば、黄金の色を持つ少年はぐっと言葉に詰まった。その表情は先程よりも険しい。このやり取りもルノワールが家に来てから既に何度かしていた為に予想の範囲内だ。
一人よりもみんなで食べた方が美味しいとはよく言うが、それは一緒に食べている人によるのだとリリエナは身に沁みて感じていた。その決して楽しそうとは言えない顔から、きっとルノワールもこの場が苦痛なのだろ。
「好き嫌いが多過ぎなのよ、あなた。まるで小さな子供みたい」
「はぁ?ガキと一緒にすんな!」
「じゃあこれは食べれるでしょ?」
「おまっ…なにすんだよ!」
ルノワールが皿の隅に寄せた努力の結晶とも言える野菜の山の半分を元に戻せば、信じられないとばかりに目を剥いてこちらを凝視してくる。
「半分。半分でいいから。残りは私が食べるわ」
「ふざけんな。俺が何の為によけたと思ってんだよ」
「だから半分で良いって言ったでしょ?これでも譲歩してるんだから。それに、食べておかなきゃお腹が空くわよ。一緒に町に行くんでしょ?」
それともやっぱり留守番する?と聞けばムッと口をへの字に曲げたルノワールがそこにいた。
「行くっつっただろ!お前ほんとウゼェ。…何だよ、こんな野菜ぐらい食えば良いんだろ!」
「……」
「…こんな野菜ぐらい」勢いよく膨らんだ風船が急速にしぼんでいくようだ。
言ったはいいが口に運ぶ覚悟が出来ないのかスプーンの背で潰したり、皿の中で野菜を泳がせる始末。特別大きい訳ではない。小指の先ほどの大きさの野菜を食べるのに何故そこまで躊躇するのか、リリエナにはわからなかった。
「なぁ、これ全部か?」
それは全部食べなければいけないのか聞いているのだろうか。どこか恥じ入る様に小さく聞いてきたルノワールに頷けば、返ってきたのは舌打ちだった。
「食べたくないんだったら食べなくて良いのよ?私は一人で町に行くし、貴方が居なくたって困らないんだから」
「なんだよそれ、俺を置いて行くのか?」
拗ねたのとは違う、何処か不安を滲ませた声色にリリエナはどきりとした。それは突然泣き出した幼子にどう対処すればいいのかわからないときの感覚に似ている。影を見せるように伏せられたルノワールの睫毛が、今の彼の気持ちを物語っていた。
「そんな事言ってない。少しくらい遅くなっても良いから、食べ終わったら一緒に行こう?ね、ルノワール」
「…絶対だぞ。勝手に行くなよ」
笑うのを無理に抑え付けたかのようにルノワールの口が不器用に引きった。
それを誤魔化す為に口元を手で覆ったルノワールは先程よりも確かに機嫌が良い。そんなに外に行きたいのかとリリエナは首を傾げる。外は畑ばかりで、何も楽しい物はないのに。
再度念を押す様にリリエナを見た彼の皿はあまり中身が減っていなかった。比べて自身のからっぽになった皿を見て、リリエナはいつ町に行けるのかと、真上をとうに過ぎた太陽を窓から見上げてから長期戦になりそうだと、椅子に深く腰掛けた。
町から帰る頃にはきっと日は落ちている。
「おー」
驚きや僅かな感動を滲ませてルノワールは額に手をかざして、空を見上げた。生温い風が昼間に干したシーツとルノワールが召喚される前から着ていた白い服の裾を揺らしている。
まるで何処かの国の軍服だ。初めて見た第一印象がそれだった。カッチリとしていて極力肌を見せず、禁欲的な雰囲気が漂っている。これで腰に細身の剣なんて携えていたなら完璧に物語に出てくる王子様だ。だがその外見に騙されてはいけない。
「へーふぅん」
「さっきからそればっかり。そんなに畑が珍しい?」
きょろきょろと物珍し気に、玄関から出たすぐの所でルノワールが先程から同じ言葉を繰り返している。
「うるせぇ。仕方ねぇだろ、外に出た事ねーんだから」
「……は?」
空高ぇ、と大口を開けて空を仰ぐその姿からは重大な事を言った割に現実身がなかった。だからリリエナも言葉の重さに対して真剣に受け止められない。大体こんな年になってまで一度も外に出たことがない人なんているのだろうか。居たとしたら、それはきっと監禁されているか外に出せない、もしくは出れない状態にあるときだけだ。
リリエナにとってそれはあまりに非現実的な話で笑う事も出来ない。だから何かの冗談だと流す事にした。
「ふーんそれは大変ね。今の内に外の空気を堪能しておけば?…じゃあ私オフィーリアさんを呼んでくるから」
「おい、待てよ。俺の話し信じてないだろ?それにオフィーリアって誰だよ」
「ちょっと離して。これじゃ歩けない」
家の裏手に行こうと歩きだしたリリエナの腕をルノワールが掴む。
「ちょっと家の裏に行くだけよ。直ぐ戻ってくるわ」
「じゃあ俺も連れてけ。一緒に行く」
「…だったら手を放して。少し痛いわ」
その言葉に反応してルノワールは慌てて掴んでいた手を引いた。それをリリエナは不思議な気持ちで見る。こちらが構おうとすれば嫌がり、放っておけば着いて来ようとする。まるで手の掛かる幼い子供同然だ。
「なぁ、こっちに何があるんだ?」
三歩程リリエナの後ろを歩くルノワールをちらりと見てから口を開く。
「あなた動物は平気?触ったり出来る?」
「動物?んなの別に平気だけど」
「そう、良かった」
家をぐるりと回り着いた裏手は雑草と秋には甘酸っぱい木の実がなる背の低い木が幾つか生えている。今も僅かに膨らみだした青い果実には目もくれずリリエナは辺りを見回した。
「あれ、どっか行っちゃったのかな?オフィーリアさーん」
口元に手をあてて、居るはずのその存在を呼ぶも反応がなくて首を傾げる。
「オフィーリアさーん?」
「居ないのか?そのオフィーリアって奴」
んー、と返事にもならない曖昧な声を出す。絶対町に行くにはオフィーリアと一緒じゃないと駄目だという訳でもない。しかし、いたら助かるのは事実なのだ。
仕方ない、ここで探したら町に行く時間がなくなると来た道を引き返そうと後ろを振り返った。
「オフィーリアさんも居ないからこのまま二人で町にー」
そこで言葉は途切れた。一瞬、黒い目を驚きで見開いたリリエナはルノワールの真後ろに視線を投げる。
「なんだよその顔?変に言葉を切るなよな」
「オフィーリアさんそんな所にいたのね」
「は?」
繋がらない会話にルノワールはイライラと不快を露わにするが、それも次の瞬間驚きで染まった。
「ベェー」
「っ!なんだよコレ!!」
のっそりとした足取りでルノワールの背中から現れたそれは真っ直ぐにリリエナに近寄りその手に甘える様にすり寄った。
「コレとは失礼ね。オフィーリアさん散歩でもしてたの?」
「ベェー」
「お前今、それをオフィーリアって呼んだか…?」
名前に反応してか、いつの間にか随分と距離があいた場所に居るルノワールへと顔を向けたその茶色の毛並みを持つ生き物はもう一度ベェーと鳴く。
「にに、人間じゃなかったのかよ!」
俺は聞いてねぇ!と叫ぶルノワールはオフィーリアと視線を合わすまいと必死だった。なんだかとてつもなくこっちを見ている気がする。
「人だなんて一言も言ってないわ。動物だとも言ってないけど、平気なんでしょ?」
リリエナが茶色の頭を撫でてやれば首に下がった大きな鈴がリンリンと音を立てる。
「うぁ、やめろこっちくんな。大体俺は動物に触った事がねぇんだよ。なんだよそのデカい生き物は」
「触った事がないの?」
それは外に出たことがないのと同じ位リリエナには信じられない事だった。都会育ちなら家畜等に縁がなくても犬猫くらいなら触れる機会は幾らだってあるはずだ。それともルノワールの居た世界ではそれが普通なのかと、驚かずにはいられない。
「オフィーリアさんはロバよ。今日は買い物が沢山あるから荷物持ちをしてもらおうと思って。お願いね、オフィーリアさん」
体の毛を梳いてやるともっとと擦り付けてくる。そんな様が可愛くてリリエナは一人暮らしの心強い味方に笑みを零した。
「ロバ?それがロバなのか?もしかして他にもっと何か居るんじゃないだろな」
「いないわ。オフィーリアさんだけよ。いつもは近くの牧場で預かって貰ってるけど、長期休暇のときだけ自宅で飼うようにしてるの」
だからこれからずっと一緒なのだと含めて伝えるとルノワールの顔が歪んだのがわかった。
「仲良くしてね?ほら、優しく触ってあげて」
ルノワールに向けて言い放つと面白い程に感情を露わにする。チッと舌を打つ音が離れたリリエナにも聞こえてきた。
「それを俺に近づけんな。おい、あっち行け!」
「ちょっと!」
しっしと手で払う仕草をした少年に流石にカチンときた。触った事がないといっても幾ら何でもこれは酷い。
「そんな事言って本当はただ怖いだけなんでしょ?」
「ばっ!んな訳ねぇだろ。怖くとも何ともねーよ」
ツーンとそっぽを向くルノワールは明らかに強がっている。オフィーリアと距離をとっているのが何よりの証拠だ。
「じゃあ、もっとこっちに来て触ってみせてよ」
「やめろ!来るんじゃねぇよ!」じりと足を鳴らしてオフィーリアを近づければその分後ろに下がる。一歩踏み出したリリエナに対してルノワールは二歩後ろへ。
「ほら、ルノワール」
「ベェー」
「ひっ!」
更に近づき今度は三歩分一気に距離を詰めれば目の前の体がビクンと跳ねた。隠しようもない悲鳴と供に、その顔は盛大に引き釣っている。
普段は我が儘放題でニコリともしない彼が今は、只のロバを恐れている姿が堪らなくリリエナを刺激した。
おもしろい、と思う。
「怖くないんでしょ?」
「ちょ、やめ」
ふるふると弱く首を振る、普段からは考えられないルノワールを一歩一歩追い詰める。
その度に反応を示すのが楽しくて、町に行く目的を思い出したのはそれから暫くしてからだった。
「ベェー」




