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第二話・始まりは召喚

学校にある寮の一室。

机にクローゼット、後はベッドがあるだけの簡素な部屋で一人の少女が先程から幾度となく溜め息を落としていた。胸まである黒髪に学校指定の制服である真っ黒なローブを纏い、ベッドに腰掛ける様はこれから死刑を執行される罪人の様だった。膝の上に置かれた手は堅く握り締められており、顔は青白く染まっている。少女、リリエナは今直ぐにでもここから逃げ出したい気持ちで一杯だった。今日で彼女の運命が決まると言っても過言ではない。

ちらりと視線が注がれた窓の外は昼も過ぎていると言うのに薄墨色で今にも雨が降ってきそうだった。まるでそれはこれからのリリエナを暗示している様だ。

「せめて、晴れていてくれたら」

この不安な気持ちもまだましだっただろう。そう思わずにはいられなかった。普通なら明日から学校という名の束縛のない夏休みに胸踊らせるべきなのに、リリエナは先程から溜め息ばかり。もう部屋一杯分の溜め息を吐き出した頃だった、控え目なノックがリリエナの緊張を更に高めた。

(来た!!)

「ど、どうぞ」

どうにか落ち着こうとしても上手くいかなくて、ノックにする返事まで上擦ってしまった。握り締めた手に嫌な汗が広がる。

「リリエナ、そろそろだけど…大丈夫?」

ひょっこりと扉から顔を出したのはリリエナと同じ学校指定のローブに身を包む隣の家に住むアリアだった。隣といってもリリエナが暮らす土地は地図に何とか載っている様な田舎なので、畑を幾つも挟んだ場所になる。そして子供頃からの顔馴染みのという事もあり、リリエナとアリアが仲良くなるのは自然な事だと思えた。


学校の寮部屋までもが隣同士だというのだから運命さえ感じる。そんなリリエナが一方的に運命を感じているアリアの肩には小さな彼女に似合いのこれまた小さな鳥が一羽、アリアの両肩をせわしなく動いていた。

「おめでとうアリア、上手くいったんだね」

「あ、うん…ありがとう」

アリアが鳥を飼っていた記憶はリリエナにはない。だとしたら先に順番が回ってきたアリアが召喚した召喚獣なのだろう。心からおめでとうと言いたいのに、これからの自分を思うとリリエナはどうしてもアリアを羨望や嫉妬の混じった眼差しで見てしまう。アリアもそれが分かっているのか、リリエナの毎年の無惨な試験結果を知っている為にどことなく申し訳さなそうだ。優し毛な眉が情けなく下がっているのを見て、リリエナは苦笑いに近い笑みを溢す。

「アリア、そんな顔しないで」

「うん…リリエナ顔色悪いよ?お昼ちゃんと食べた?」

「あーまぁ、ね」

「もぅリリエナったら、ちゃんと食べなきゃ召喚出来ないわよ!また落ちちゃうんだから!」

うっ!とリリエナはアリアが放った最後の言葉にうめいた。天然なのか、彼女は良くこう言った痛い所を悪意なく突いてくる。

それに今食べたらきっと戻してしまうだろう。アリアは下に小さな妹弟がいるからなのか時折こうして母親の様に世話を焼いてはその場を和ませた。小さな体を一杯に使ってぷりぷりと怒る様はまるで小動物のようだ。

「アリア最後の言葉は効いたよ…」

「え?…あぁ!やだ私ったら、ごめんなさいリリエナ!あの、落ちるだなんてそんな事思ってないよ?大丈夫よリリエナだっていつも言ってるじゃない!ほら、あのえぇと」

わざとらしく落ち込んだ風を装おえば、アリアからは面白い程の反応が返ってきた。肩まである茶色の巻髪を揺らし、必死に言葉を紡ぐその姿に駄目だと分かっていても笑いの波がリリエナを遅いそうになるのをなんとか抑える。

「私にだって出来る?」

「そう!それ!リリエナいつも言ってたじゃない」

ぱちんと手を鳴らす様がなんとも可愛いらしい。「私にだって出来る」それは常にリリエナが心掛けていた事だった。一昨年は目覚まし時計、去年はフライパンを召喚してしまったリリエナはこの学校で落ちこぼれと言われる部類に入っていた。筆記テストや内申が良かったから何とか学年は上がれたが今年こそもう少しまともな、そう虫でも良いから生物を召喚出来なければ卒業は出来ないと先生に言われてしまったのだ。試験が近付いた最近ではいつもよりも、既にリリエナにとって呪文の様になりつつあるその言葉を繰り返し自身に言い聞かせなければ張っていた気が緩んでしまいそうだった。人には得意、不得意があると言うがリリエナの場合究極に召喚術との相性が良くない。

それに引き替え秀才と言えないでもアリアは中々の召喚技術を持っていた。

彼女の肩にとまる黄色い鳥が良い証拠と言えるだろう。ぴちゅぴちゅと可愛いらしく冴えずるその姿は不安に染まっているリリエナの心を癒していく。

「そうだよね、私にだって出来るよね」

「そうよ、3度目の正直って言うじゃない!きっと神様だって今回は見逃してくれるわよ」

見逃して貰わなきゃ卒業出来ないのか、とリリエナは激しく突っ込みたかったがあえてその言葉は飲み込んだ。元々リリエナは努力を惜しまない。召喚術は正式な場でしか行えない為本番に向けてイメージトレーニングするしかないが、その他は別だ。だからリリエナは試験前には特に、召喚術を重点にこれでもかとうほど教科書を読み直し予習復習を怠らない。現にリリエナの顔色が悪く分かり難いが、よく見れば昨晩の徹夜の証しにうっすらと普段なら見られない隈が目の下に存在していた。

現にリリエナの顔色が悪く分かり難いが、よく見れば昨晩の徹夜の証しにうっすらと普段なら見られない隈が目の下に存在していた。後はそれに彼女の気持ちがついてくるかなのだ。

「よーし!」

座っていたベッドから勢いを付けて立ち上がり、リリエナはアリアと向き合った。平均より幾らか小柄なアリアと比べてもリリエナとて対して変わらない。むしろこの辺りではあまり見掛けない顔立ちのリリエナはアリアよりも幼く見えるだろう。


凹凸の少ない顔の真ん中にちょこんと鎮座した低い鼻はいつだってリリエナのコンプレックスだった。

「私にだって出来るんだから!まだやってもいないのに悩むだけ損よ。ね、アリア?」

「うん、リリエナはやれば出来る子よ!私は知ってるんだから」

きゅ、とアリアの白い手がリリエナの手を包む。まるでそこから先程まであった不安を浄化する何かが流れてくる様だった。流石に動物は無理かもしれないが、今なら虫の一匹位なら召喚出来る気がした。

「私はやるわ!絶対卒業するんだから!」

「リリエナ格好良い!そのいきよ、きっと今ならドラゴンだって喚び出せるんじゃないかしら!?」

「いや、それ言い過ぎだから」

たまらずリリエナは突っ込んだ。



足元に、教科書にも載っている白いチョークで描かれた紋様を見て早くも先程の気持ちが萎んでいくのをリリエナは感じていた。

出来そうな気がしたのはやはり気のせいだったのではないだろうか。ここに立つのはこれで三度目になる。

「それじゃあリリエナ、準備は良いかい?」

「あ、…はい」

描かれた模様を睨みつけていたリリエナは声に反応して慌てて顔を上に上げた。

肩につく程の薄茶色の髪を低い位置で束ね、眼鏡の奥の同色の瞳を優し気に細めたのはリリエナの学年担任のルイスだった。生徒が着ているローブに似た黒の上着を身に付ける姿はまだ若い事もあってか、リリエナを含めた生徒の良き相談相手だった。

彼女が通う召喚学校は首都から遠く離れた田舎、地図にもやっと名前が書かれる様な国の端にある。首都の学校ならば何百、もしくは千単位の生徒がいると聞いた事があるが、リリエナが通うこの学校に在籍する生徒は僅か24人とあまりに少なかった。今年卒業が掛った生徒が全員試験を突破出来ればその少ない生徒数から更に8人いなくなってしまう。

もしかしたら、近い内にこの学校も無くなるのだろうかと思うとまだ卒業も出来るか決まっていないのに悲しくて堪らない。リリエナにとってこの学校は第二の我が家と呼んでもいい。

殆んどの生徒が家から通っているが、家の事情や通うのに不便な場所に家がある一部の生徒は学校の寮で暮らしている。リリエナやアリアは後者だった。帰るには馬車が必要だ。歩いて帰ると半日近くかかってしまうだろう。生徒数と教師の数が比例する様に、先生もまた5人と極端に少なかった。

その内の一人が目の前にいるルイスだ。教師の中では一番若い。生徒も教師も数が少ない為に結束が強く、皆仲が良かった。学校全体がアットホームな雰囲気に包まれていて一人暮らしのリリエナは最初の頃家に帰りたくないとダダをこねた程だった。そういえばルイス先生のファミリーネームはなんだっただろうと今はどうでも良い事が頭をよぎった。

この学校は生徒や教師なんて関係なく誰もがファーストネームで呼びあっている。もはやそれが暗黙の了解となっているのだ。

実際リリエナがルイスのファミリーネームを耳にしたのは、彼が自己紹介した最初の一度きりだけだ。

「不安そうな顔だね?これから主となるリリエナがそんな顔じゃ、召喚される側だって上手く応えてはくれないよ」


再びうつ向いてしまったリリエナの頭上からルイスの声が降ってきた。無意識の内にまた模様を見つめていた事に気付き小さく、ごめんなさいと呟く。それには二つの意味が込められていて、ひとつは「よそ見をしていてごめんなさい」もうひとつは「不出来な生徒でごめんなさい」。

こうしてルイスが心付け様とする度に、リリエナは申し訳ない気持ちで一杯になった。ルイスは先生として良くしてくれているのに、それに失敗ばかりで応えられないのが心苦しい。

卒業が掛った今年こそ何でも良いから生物を召喚できなければ、留年。冗談ではない現実が今更になって、更に重く乗しかかってきた。

「怖がらないでリリエナ。召喚術はね、君のパートナーを見つける為のものなんだよ」

「…パートナー」

変わらずルイスは柔らかな笑みで見つめている。その言葉は何度となく彼の口から聞いていた。一般には使い魔や、召喚獣と呼ばれるがルイスは必ず親しみを込めて召喚した相手をパートナーと呼んだ。それは共に歩む者と言う意味だ。

「これから君のパートナーを呼ぶんだ。失敗するのは才能がないからじゃない、リリエナがきちんと呼べば相手は必ず応えてくれる。相手はどんな姿だろう、名前は?そんな事を考えるのはとても楽しくないかい?」

だから恐れる必要はない、とルイスは言う。そんな彼の言葉を聞いて心を軽くする生徒は何人いたのだろう。残念ながら、リリエナはその内の一人になることが出来なかった。楽しめと言われても、この一度の合否で自身のこれからが決まるのだから無理というものだ。ルイスもきっとそれを分かっているのだろう、労りの込められた視線がリリエナの頭に突き刺さる。

召喚した相手の姿、名前を想像するのは確かにとても楽しいかも知れない。けれど今まで一度とてその召喚に成功したことのないリリエナがそれを想像するのは難しかった。

「ああ、来たね」

顔を上げないリリエナを教師としての自身の腑甲斐無さに苦い顔をして見ていたルイスは何かに気付いたのか、その視線を教室の開け放たれた窓へと向けた。元は白かっただろう、少し黄味がかったカーテンがとうとう降ってきた雨によって湿り気を帯びた風と供にひとつの影を連れてきた。

ルイスが慣れた仕草で右肘まである厚手の茶色の皮手袋をした腕を胸まで持ち上げた。

リリエナも見慣れたルイスのそんな動作に反射的に窓の方へ顔を上げたが、既にそれはルイスの伸ばした腕の上だった。

「おかえり、ロー。雨が降っていたみたいだけれど大丈夫だったかい?」

「ロー、ダイジョウブ」

まるで一種の腹話術の様に口をパクパクと動かし、片言で喋ったのは大きなオウムだった。決して派手ではないけれど、全体的に綺麗な灰色をしていて、その羽根に今は雨雫がキラキラと輝いている。それを振り払う様に灰色の体を大きく膨らませたかと思うと、全身を震わせ体に付いた雫を飛ばした。

「うわっ!」手で顔をかばうも遅く、ルイスとリリエナは同じ姿となった。

「あー、もう」

ぐっしょりと言う程ではないが、前髪がしっとりと濡れて、顔に張り付くのが酷く不快だ。眉間に皺を寄せ、頬を流れる雫をローブで拭えばルイスが薄水色をしたハンカチを差し出してきた。

「リリエナごめんね?召喚する前に着替えて来るかい?」

「大丈夫です。そんなに濡れてないし」

実際濡れたのは顔だけだ。お礼を言い簡単に顔を拭きながら加害者であるローを見れば、本人は気にした風もなく嘴で毛繕いの真っ最中。

「こら、リリエナに謝らないか」

ルイスに頭を指で軽く弾かれたローはパチパチとその金瞳を瞬かせリリエナの方を向いた。

真っ直ぐこちらを向くその瞳に一瞬体に力が入る。実はリリエナはこの金の瞳が苦手だった。あまりに真っ直ぐ見つめるから自分の弱い心まで見透かされるのではと思ってしまう。ローは只のオウムではない。

「神の使い」そんな意味が込められたローというオウムはルイスの召喚獣だ。伝書鳩の様に短い伝言のやりとりを主にルイスの役にたっているが、その伝え方が少し特殊だった。

手紙を届けるのではなく、そのまま言葉として相手に伝えるのだ。それに加え一語一句間違える事なく、まるで本人を前にしたかの様に声までそっくりに似せてくる。ローの伝える能力は既に物真似の域を超えており充分に特殊能力と認められた。召喚された半数がローの様に何かしらの能力を持っており、それは重宝されるものから全く無駄と言えるものまで様々だった。

「リリエナ、ゴメンネー」

どこか幼く、たどたどしさを持ったローが首を傾げ嘴をカチカチと鳴らす。謝っているにも関わらずその言葉に感情というものは一切含まれておらず、きっと言葉の意味さえ理解していない。ただルイスに謝れと言われたから教えられた言葉を喋っているのだ。現にローはルイスの腕の上で「ゴメンネーゴメンネー」と繰り返しながら再び毛繕いを始めている。

「…すまないね、リリエナ」

「あ、いえ」

「スマナイネー」

ルイスの口調を真似たローが空気を読まず今度は違う言葉を繰り返す。思わずルイスを見れば視線が合い、自由なローの姿にお互い小さく笑いあった。

「さあ、ロー。君はもう小屋にお帰り。僕はまだ授業があるからね」

ローブから取り出した固形のフードをローに与えれば満足したのかルイスが促す様に右腕を軽く持ち上げると、その灰色の体は入って来た時と同じ窓から出て行った。大きなオウムの体は一瞬にして小さな影となる。

「またせたねリリエナ。じゃあ続きをしようか」

「はい、ルイス先生お願いします」

不思議と先程まであった心の重みが無くなっていた。今度は俯くこともなく、真正面からルイスの目を見る事が出来る。

そんなリリエナを見て、ルイスは見るものを安心させる穏やかな笑みを向けた。

「よかった、体から力が抜けたみたいだね。適度な緊張感は必要だけど力み過ぎるのは良くないから」

その言葉にリリエナはルイスから見ても随分と気を張っていたのだと今更になって気付いた。去年も一昨年もガチガチに緊張する中で召喚を行い、悲惨な結果となって終わったのだ。

「ルイス先生。先生は私がちゃんと召喚出来ると思いますか?」

「もちろん」

即答だった。他に答えなんて持っていないかのように。

「誰がこの三年間、君を見てきたと思ってるんだい?他の誰よりも頑張り屋で、人の倍も努力を重ねたんだ、相手が応えない理由を探す方が難しいよ。僕は信じてるよ」

何より君はこの僕の可愛い生徒だしね。と胸を張りおどけるルイスの姿にリリエナは無性に泣きたくなった。もちろん悲しみではない。

努力や頑張りなんかで全てが報われる訳ではないとルイスもリリエナも分かっている。けれど今の言葉でもう充分だとリリエナは思った。

「ルイス先生、私卒業したいです。ううん、必ず卒業します」

にっこりと微笑んだルイスに後押しされる様にリリエナもまだ緊張で固さが残るが、ぎこちない笑みを返した。

「うん、いつもの自信に溢れたリリエナに戻ってきたね。いい顔だ」

「…私っていつもそんな自信家に見えますか?」

「もちろん悪い意味じゃないよ?君はいつだって何事にも真面目に向き合ってるから、それが自信に繋がっているんだ」

確かによくアリアや他の友達にリリエナは真面目過ぎる、もっと息の抜き方も覚えた方が良いと言われる程だ。しかしそれも目の前のルイスに言わせればそれはリリエナの長所のひとつに聞こえる。ぱん、とルイスがひとつ手を叩いた。

「さぁリリエナ。緊張も良い具合にほぐれたみたいだし、本当にこれで最後だよ」

準備は良いかい?と笑みを消し、真面目な顔をして問うルイスがそこに居た。自然とリリエナの背は伸び、真正面から見つめ合う。緊張からか嫌に喉が渇いている。声が引きつってしまわぬ様に唾を飲み込んだが、あまり変わりはなかった。

「はい」

「よろしい。じゃあ、ここに立って。」

そっと背中を押されて足を踏み出せば、残り二歩の距離に人がひとり入れる程の大きさの丸い円がある。白いチョークで描かれたそれは召喚円だ。二重の円と三つの単語が印されただけの至ってシンプルな召喚円は、リリエナ等の学生や初心者が使うものだった。この召喚円では決して大きな相手を呼び出す事は出来ないが、呼び出す相手と呼ぶ側の両方の安全だけを考えられている。だから仮に失敗はすれど、大きな事故にはなりえない。そしてリリエナ達学生がまず習う召喚円がこれであり、去年、一昨年と召喚に失敗したのも又同じ召喚円だった。

「大丈夫、私にだってやれば出来るんだから」

口を引き締め、魔法の言葉を息と一緒に吐き出して自身に言い聞かす。残り二歩の距離をグッと足を伸ばして一歩に縮めた。触れた足先から淡く円が光りだし、リリエナの全身が召喚円に全て収まるとそれは尚一層強くなる。音が遠くなり、自分の心音しか聞こえなくなる。まるで違う次元に放り込まれたかの様な感覚に一瞬囚われるが、直ぐに落ち着きを取り戻し瞼を伏せた。

すっと利き腕である右腕を一直線に胸の高さまで持ち上げれば、ローブに隠れていたリリエナの手首が露わになった。

その右手首にはシンプルに茶色に染められただけの紐に括り付けられた、小さな鈴が付いている。リリエナが腕を動かしたにも関わらず、それは本来の音を鳴らすという役割を果たす事なく重力に従い頼りなく揺れていた。

それぞれの召喚士は召喚する際に媒体となるものを持っている。必ず持たなければいけないと言う程の物ではないが、媒体があれば体に負担がかかり難く安易に行える。そしてその媒体に対する思いが強ければ強い程それは効果を発揮した。

リリエナの場合、その媒体が小さな鈴であり、幼い頃に亡くした母の形見でもあった。だからこそ、思いは人一倍強い筈なのに召喚が一度として上手くいかないのは召喚術と相性が悪いからだとリリエナ自身は思っている。

壊れてしまった鈴が鳴ることはない。ひとつの例外を除いては――。

「お願い、応えて」

基本的に召喚に言葉や呪文はいらない。けれど、中には雰囲気を出すためと自分なりに工夫する者もいた。必要なのは思いと集中力。

緩く閉じた瞼の裏で 小さな光りが幾つも弾けている。時には七色だったり、淡い色だったりと様々だ。そんな中で弱々しく、今にも消えてしまいそうに儚くも存在する金の星があった。

「…泣いてるの?」

泣き声なんてもちろん聞こえないけれど、リリエナには返事の様に手首の鈴が鳴った気がした。比喩ではなく、その光りに向かって手を伸ばす。ルイスから見れば何もない空間に手を伸ばすリリエナはさぞ滑稽に見えただろう。

「泣かないで。おいで、一緒に居よう」

戸惑う様に、言葉にするならおずおずとこちらの様子を窺いながら近づく光りにリリエナは不思議な感覚を感じていた。こんなのは初めてだ。今まで光りを見る事はあったが、こんな風に語りかけた事はない。まるで夢の続きをみているようだった。光りはもう目の前だ。

「つかまえた」

そう口にして両手で光りを包み込めば、リィンと高い鈴の音が今度こそ確かに聞こえた。その事に驚きはっと閉じていた目を開ければ、一気に現実が戻ってくる。

ふわふわとしていた足場はきちんと教室の床を踏みしめ、外で雨が降っている音も戻ってきた。淡く輝いていた召喚円は光りを失い、今はただの落書きとして足元にある。

どこか呆けた様子のリリエナは召喚する前にはなかったモノを握っていた。それは僅かな温かさを伝えてくる。

「リリエナ…君は」

驚きを隠せないルイスの声が遠い。音の名残なのか、チリチリと鳴る筈のない鈴が揺れて、夢の世界からリリエナを連れ戻そうとする。

「これは、大変だ」

焦りを含んだルイスが慌ただしく教室から出て行くのを目の端に捉えて、泣きたくなった。行かないで!そう口にしたかったが金縛りに合ったように全身が動かない。ついでに思考も上手く働かない。相手もリリエナと同じような状態で、お互いから目がそらせなかった。

そう、相手が今リリエナの目の前にいるのだ。決してフライパンや目覚まし時計ではない。目はふたつ、鼻があって口もある。背はリリエナより頭半分程高いそれは――どうみても人間。それも少年だ。

今の格好はリリエナががっちりと両手で少年の手を握っている状態だったが、それを忘れてしまう程驚き、混乱していた。ルイスの反応を見ても分かる通り、とんでもないモノを喚び出してしまったようだ。

「―あ、の!」

なんとか声を絞り出すが上手く声が出ない。リリエナよりも更に現状が理解出来ていないだろう少年は、リリエナが喋った事に驚いたのか余計に身体を強ばらせた。だがその事に気が付く程の余裕はリリエナにはない。

「こ、こんにちは!リリエナ・リッターです!今日は雨ですね!」

取り合えず、この場を何とかしなくてはと緊張と焦りで導き出した答えがこれだった。場違いな程に作った明るい声が教室内に響く。

ぽかんと空色の目を見開いた少年にリリエナは失敗したと知り、恥ずかしさと居たたまれなさで消えてしまいたくなった。


分かったことはただひとつ。どうやらドラゴンよりも凄いモノを召喚してしまったようだ。

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