王の反攻
翌日。
アマンの書斎には、拓也、健司、陽介、そしてエリカが集まっていた。
前夜の、あの凄惨な『鳳凰』での一幕から一夜明けたというのに、陽介の顔には一切の疲労の色が見えない。
彼の瞳は、獲物を完全に仕留めたハンターのそれであり、その口元には冷徹な笑みが浮かんでいた。
彼のタブレットには、黒田から引き出したMr.リーに関する膨大な情報が表示されている。
資金源。
裏社会との繋がり。
隠し資産。
そして、彼のごくわずかな、だが決定的な「弱点」。
全ての情報が、まるで、彼の指先で踊るかのように、鮮明にそこにあった。
「…黒田は、全てを吐いた。娘の未来と引き換えに、奴は、Mr.リーの全てを売った」
陽介の声は感情を排していたが、その奥には目的を完遂した男の確かな手応えが感じられた。
健司は、その情報を高速で分析していく。
彼の指が、キーボードの上をまるで生き物のように踊っていた。
彼の背後にある巨大なマルチモニターには、Mr.リーの複雑怪奇な金融ネットワークの構造が瞬く間に可視化されていく。
赤い線、青い線、無数の点。
それは、Mr.リーという巨大な怪物の血管と神経そのものだった。
『拓也。これは…信じられないほどの情報だ。Mr.リーの、アジアにおける全ての裏金ルート。麻薬、武器、そして、人身売買…。表向きはクリーンな投資家を装っているが、その実態は国際的な犯罪組織と深く繋がっていることがこれで明確になった』
健司の声には、興奮の色が滲んでいた。
彼にとって、これは単なる情報ではない。
Mr.リーという巨大な謎を解き明かし、その汚れた実態を暴き出すためのパズルの最後のピースなのだ。
『そして、彼が日本の政財界の人間を、何を使ってどう動かしてきたのか。その具体的なリストと、詳細な取引記録まで…。これでMr.リーが、この国に伸ばした全ての触手が見える』
健司の言葉は、まるで、法廷での確固たる証拠を提示する弁護士のようだった。
エリカは、その報告を聞きながら、顔を顰めた。
彼女は、美とビジネスを追求する人間だ。
そのような、血と欲望に塗れた汚れた金が、日本の経済、そして、自らが愛するファッション業界にまで流れ込んでいることに、心底嫌悪感を抱いているのだろう。
『そして、彼の「弱点」ですが…』
健司は、少しだけ声を潜めた。
モニターには、Mr.リーの厳格な表情を捉えた写真が映し出されている。
その完璧なまでに整えられた顔には一切の隙がないように見えた。
『彼は、極度の潔癖症だ。肉体的なものだけでなく、精神的な意味でも。そして、何よりも自分の「完璧なイメージ」が損なわれることを最も恐れている。彼にとって、富や権力は自分の完璧な美意識を実現するための道具に過ぎない。彼の裏の顔が公になることだけは絶対に避けたいはずだ』
「なるほどな」
俺は、冷たい笑みを浮かべた。
Mr.リー。
お前は俺の聖域を汚した。
だから、俺はお前の最も大切にしている「完璧なイメージ」をズタズタに引き裂いてやる。
お前の裏の顔を、全世界に晒してやる。
潔癖症だと?
ならば、お前を最も汚い泥の中に叩き込んでやる。
それが王の流儀だ。
一寸の躊躇もなく、その最も脆弱な部分を、躊躇なく貫く。
「健司。その情報全てを徹底的に精査し、Mr.リーの全ての隠し資産と裏金ルートを凍結する準備を進めろ。奴が、金の一円たりとも動かせないようにするんだ。国際的な法を最大限に利用しろ。奴が、動けば動くほど泥沼に嵌るように仕向けろ」
『承知しました。既に、各国の政府機関、そして国際的な金融機関への働きかけを開始しています。Mr.リーの口座は全て洗い出し済みです。奴が手を出せば、すぐさま凍結できる状態です。彼の金融ネットワークは蜘蛛の糸のように張り巡らされていますが、その中心にある最も太い糸を私が見つけ出しました。これを断ち切れば、全てのネットワークは一時的に麻痺します。その隙に全てを凍結させます』
健司の声には、一切の感情がなかった。
だが、その言葉の奥には、彼自身のMr.リーに対する静かな怒りが込められているのを俺は知っていた。
彼の冷静な頭脳が、Mr.リーを追い詰めるための、完璧なロードマップを描いているのだ。
「陽介」
次に、俺は陽介に視線を向けた。
「黒田から得た、政財界の人間との具体的な取引記録と、彼らが抱える決定的な弱み。それらを使い、奴らがMr.リーの犬として動いていたことを、メディアに徹底的にリークしろ。ただし巧妙にな。火元は、俺たちではない。あくまで、世間の怒りが奴らに向かうように演出するんだ。そして、Mr.リー自身が、彼らを操っていた黒幕だという印象を決定的に植え付けろ」
陽介の目が、ギラリと、光った。
それは、獲物を追い詰める夜の王の片腕としての凶暴な輝きだ。
「俺たちのメディアネットワークの全てを使って、奴らを社会的に抹殺してやる。Mr.リーに、日本の社会を牛耳ろうとした代償を骨の髄まで味わわせてやろう。彼らの最も見られたくないスキャンダルを、緻密に、そして、効果的にリークしていきます。世間が、奴らに失望し怒り狂うように。そして、最終的にMr.リーの悪評へと繋がるように」
陽介は、そう言い放つと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
彼の頭の中では、すでに完璧な情報操作のシナリオが完成されているのだろう。
「エリカ」
最後に俺はエリカに視線を向けた。
「Mr.リーが買収した、全てのブランドの、買い集めは進んでいるか?奴がFLEURに仕掛けたブランド破壊工作。その報復だ」
『ええ、着々と。彼の資金が枯渇すれば、彼が買収したブランドは全て彼の足枷となる。私たちは、それを市場価格の半値以下で買い叩くことができるでしょう。そして、彼は、自身のブランドを自ら破壊することになる。私たちFLEURは、そのブランドの価値を今度は私たちが、倍にして甦らせて見せるわ』
エリカの瞳には、ビジネスマンとしての、そして、女王としての誇りが宿っていた。
彼女もまた、Mr.リーの悪辣な手口を許してはいなかった。
拓也の信頼に応え、この復讐劇に、彼女の全てを捧げる覚悟がそこにあった。
「それでいい」
俺は、静かに頷いた。
Mr.リーは、俺の帝国を内側から破壊しようとした。
だから、俺は奴の築き上げてきたものを全て奪い取る。
そして、彼の「完璧なイメージ」を、根底から覆してやる。
彼の潔癖なまでの美意識を、最も汚い方法で破壊してやる。
「次のステージだ」
俺は、立ち上がった。
そして、書斎の窓から、夕暮れの東京を見下ろす。
俺の聖域を汚した罪。
Mr.リー。
お前は本当に愚かな選択をした。
Mr.リーへの全面的な反攻作戦が、今、静かに、そして、確実に始まろうとしていた。
そして、その先には、彼が決して逃れることのできない地獄が待ち受けている。
この復讐は、黒田一人の首で終わるものではない。
Mr.リー、お前自身がその代償を全て支払うことになるのだ。
俺は心の中で冷たくそう呟いた。




