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復讐の舞台

 黒田は、自室のソファで荒れた息を繰り返していた。

 手元のタブレットには、娘・美咲のSNSアカウントの炎上を伝える、夥しい数のニュース記事や誹謗中傷コメントが表示されている。


『Mr.リーの幹部の娘がパパ活?』

『裏金でデザイナーと繋がった成金令嬢』

『日本のファッション界に暗躍する影』。


 悪意ある言葉の刃が、彼の最も大切な聖域を容赦なく切り裂いていた。


 娘は、部屋に閉じこもり、泣き叫ぶばかりだ。

 妻は自分を責め、ヒステリックに喚き散らしている。

 平穏だった家族の日常は、一夜にして地獄へと変貌していた。


「くそっ…!一体、誰の仕業だ…!」


 黒田は、タブレットを床に叩きつけ怒りに震えた。

 冷静沈着で、常に感情を押し殺してきた彼が、今、制御不能な怒りと絶望に苛まれていた。

 Mr.リーの右腕として、数々の汚れ仕事をこなし、日本の政財界の人間を冷徹に支配してきた男が、まるで操り人形のように追い詰められていく。


 その時、彼のスマートフォンの画面が光った。

 表示されたのは、見慣れない番号。

 しかし、その番号の持ち主は、一瞬で黒田の心臓を鷲掴みにした。


 佐藤財閥のCOO。

 まさか、このタイミングで…?


 黒田は、警戒しながら電話に出た。


「…もしもし」


『久しぶりだな、黒田』


 陽介の声は、電話越しでも冷たく、そして嘲るような響きを帯びていた。


「貴様…まさか、この一件は…!」


『おや、何のことで?君の愛娘さんが、インターネットでちょっとした有名人になった、という話か?それとも、君が裏で糸を引いていた地上げ屋が六本木の王にとっ捕まった話か?』


 陽介の言葉は、まるで氷の刃のように黒田の心を貫いた。

 やはり、全ては佐藤財閥の仕業だったのだ。

 いや、違う。

 佐藤拓也の指示だ。

 あの怪物が、ついに本気で牙を剥いたのだ。


「貴様ら…!まさか、俺の娘にまで…!」


 黒田は、怒りに震えながら叫んだ。

 Mr.リーの命令で楓のカフェを破壊し彼女を泣かせた時でさえ、ここまで感情的になることはなかった。

 だが、自分の娘が同じように傷つけられた、その瞬間、彼の理性の全てが吹き飛んだ。


『感情的になるなよ、黒田。これは、ゲームだ。そして、君は王の聖域に手を出した。その報いだ』


 陽介の声は一切の同情も躊躇も含まれていなかった。

 それは、純粋な復讐の宣言だった。


『直接、話をしないか?君の、その見るに堪えない惨状を、俺にたっぷりと見せてほしい。銀座の『鳳凰』。今日の午後10時だ。もちろん一人で来い。余計な真似をすれば、君の娘は今以上の地獄を見ることになる』


 陽介は、それだけを言い残し一方的に電話を切った。

 黒田は、タブレットを握りしめ、顔を歪ませた。


『鳳凰』。


 Mr.リーが、日本の政財界の人間と密談を交わす際に頻繁に利用する銀座の最高級クラブ。

 まさか、その場所で…?


 陽介からの電話を切った後も、黒田の心臓は激しく鼓動を打ち続けていた。

 彼は、Mr.リーに、この件を報告すべきか、一瞬迷った。

 だが、Mr.リーは常に完璧を求める男だ。

 自分の最も大切な部分を攻撃され、冷静さを失った部下の報告など聞く耳を持たないだろう。

 むしろ、無能の烙印を押され切り捨てられる可能性さえある。


 黒田に残された選択肢は、陽介の誘いに乗り、直接交渉の場につくことだけだった。

 それは、屈辱的な選択だった。

 だが、娘を守るためなら、彼はどんな屈辱でも受け入れる覚悟だった。


 ♢


 その夜。

 午後10時。

 銀座の『鳳凰』のエントランスをくぐった黒田は、店の異様な空気に違和感を覚えた。


 週末だというのに、店には客の姿が一人も見当たらない。

 きらびやかなシャンデリアの光だけが、誰もいない広大なフロアを静かに照らしている。

 まるで、誰かのために舞台が用意されているかのように。


「…黒田様でございますね。陽介様が、お待ちでございます」


 ドアマンが、深々と頭を下げ、個室へと案内する。

 黒田は、緊張した面持ちでその個室のドアを開けた。

 部屋の中央には、陽介が一人ソファに座っていた。

 テーブルの上には、最高級のシャンパンと氷が張ったグラス。

 そして、その隣には彼が娘のために数ヶ月前に購入した、限定ブランドのバッグが無造作に置かれている。

 美咲が最も欲しがっていたバッグだ。


「ようこそ、黒田。ここが今夜の君の処刑台だ」


 陽介は、黒田の姿を見ると、グラスを傾け、冷たい笑みを浮かべた。

 彼の声は、嘲るように個室に響き渡る。

 黒田は、陽介の目の前のソファに、ゆっくりと腰を下ろした。

 彼の顔には、怒り、絶望、そして恐怖の色が複雑に絡み合っていた。


「貴様…!一体、何を企んでいる!」


「企む?何を勘違いしているんだ、黒田。これは、王の報復だ。君があの愚かな命令を下した瞬間から、君の運命はすでに決まっていた」


 陽介は、グラスを置くと、美咲のバッグを指差した。


「そのバッグ。君の愛娘が、最も欲しがっていたものだろう?君が、必死になって裏ルートを使って手に入れた自慢の品だ」


 黒田の目がバッグに注がれる。

 そこには、陽介が仕込んだ偽のアキラとのツーショット写真がまるで汚物のように貼り付けられていた。

 そして、バッグの革には、カッターのようなもので無数の深い傷がつけられている。


「貴様…!よくも…!」


 黒田は、怒りで顔を真っ赤にした。

 だが、陽介は一切動じることなく冷徹な声で彼の耳元に囁いた。


「これは、始まりに過ぎない黒田。君が、我らの王の聖域を汚した罪はこんなものでは償いきれない。これから君の人生の全てを奪い取る。金、名誉、そして君が最も大切にしている、あの娘の未来をな」


 陽介は、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、個室のドアへと向かっていく。


「陽介…!待て…!一体、どうすれば、娘は…娘だけは…!」


 黒田は、陽介の背中に向かって、必死に懇願した。

 その声には、Mr.リーの右腕としての威厳も冷徹さも、一切残っていなかった。

 ただ、娘を守ろうとする一人の父親としての哀れな叫びだけがそこにあった。


 陽介は、ドアに手をかけ振り返った。

 その顔には冷たい笑みが浮かんでいる。


「簡単だ、黒田。君の全てを差し出せ。Mr.リーの全ての情報。彼の資金源、裏社会との繋がり、そして、彼の隠された弱点。その全てを俺たちに売れ」


 陽介は、そう言い放つと、ドアを開け部屋を出て行った。

 個室には絶望に打ちひしがれる黒田と、無残な姿を晒した高級ブランドのバッグだけが、残された。


 Mr.リーの右腕は、今、王の前に膝を屈した。


 復讐の舞台は整った。

 その先には、Mr.リー自身が待ち構えている。

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