王様の休日
俺とMr.リーの代理戦争が始まってから一か月が過ぎた。
戦況は、俺が予想した通り泥沼の膠着状態に陥っていた。
健司とエリカが昼の世界で経済的な圧力をかければ、Mr.リーはその底知れない資本力でそれを押し返してくる。
陽介が夜の世界でメディアを使い彼の評判を貶めれば、Mr.リーは海外の巨大メディアを使い逆に俺たちを「旧時代の怪物」だと巧みに喧伝する。
互いに決定打を与えられないまま、ただ時間と金だけが溶けるように消えていく。
俺は一度ここで流れを変える必要があると判断した。
攻め続けるだけでは、いずれこちらの息が切れる。
俺は健司と陽介に「しばらく、大きな動きは控えろ。敵の出方を見る」とだけ告げると、しばしの間戦場から距離を置くことにした。
今は焦る時じゃない。
♢
その週末。
俺は財閥の会長としてではなく、ただの「父親」としてひかりが通う名門私立小学校の体育館にいた。
学芸会。
娘がその小さな舞台で主役を演じるというのだから見に行かないわけにはいかない。
体育館は保護者たちの異様な熱気に包まれていた。
誰もが我が子の最高の姿を記録しようと高価なカメラを構えている。
もちろん俺もその一人だ。
健司に手配させたテレビ局が使うレベルの超高性能カメラを三台それぞれ違うアングルに設置させ、最高の映像を記録させている。
そのあまりにプロフェッショナルな機材に周りの父兄たちが少しだけ引いているのが分かったが、そんなことはどうでもよかった。
「拓也さん、少しやりすぎですよ」
隣で楓が呆れたように、しかし、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
彼女はどんな時も俺のこの大人げない部分を優しく受け入れてくれる。
「バーカ。娘の一生に一度の晴れ舞台だぞ。このくらい当たり前だろ。なんなら、この体育館の照明機材ごとハリウッドのやつに取り替えてやろうか?」
「それは、本当にやめてくださいね」
そんなくだらない話をしているうちに、やがて舞台の幕が上がる。
ひかりはお姫様の役だった。
彼女のために、エリカが自社のブランド「FLEUR」の総力を挙げて、デザインした世界に一着だけの美しいドレス。
その輝きは、他の子供たちのどんな衣装よりも圧倒的なオーラを放っていた。
ひかりは、最初は少しだけ緊張していたようだが俺と楓の姿を客席に見つけると、ふっとはにかんだように笑い、そして堂々とした素晴らしい演技を披露した。
そのあまりに愛おしく誇らしい姿。
俺はファインダーを覗きながら、涙が出そうになるのを必死でこらえていた。
この光景を守るためなら、俺はどんな怪物にでもなれる。
そう改めて心に誓った。
劇が終わると、体育館は割れんばかりの拍手に包まれた。
俺は誰よりも大きな拍手を娘に送った。
学芸会の後、俺は健司と陽介の家族も誘い、俺が貸し切りにした伊豆の旅館へと向かっていた。
陽介の息子も、健司の娘も、ひかりとはまるで本当の兄弟のように仲が良い。
子供たちが広い旅館の中を楽しそうに走り回っている。
その光景を、俺と陽介、健司は露天風呂に浸かりながら眺めていた。
「…いい光景だな」
俺がぽつりと呟く。
体の芯まで温まる温泉と気の置けない仲間たち。
これ以上の贅沢はない。
「ああ。本当にな。このために俺たちは、毎日戦ってるんだよな」
健司が心からの笑顔で頷いた。
「なあ、拓也」
陽介が少しだけ真剣な顔で俺に尋ねてきた。
「本当に勝てるのか?あの、Mr.リーとかいう化け物に。正直、あいつの力は俺たちの想像を少し超えてる気がするぜ」
俺は黙って空を見上げた。
伊豆の空は、どこまでも澄み渡っている。
その青さは、まるで俺の心の中を映しているかのようだった。
「勝つさ」
俺は静かに、しかし力強く言った。
「金の力だけなら五分五分かもしれねえ。だがな、陽介。俺たちには、奴には絶対にない最強の武器がある」
「…なんだよ、それ」
「決まってんだろ。守るべきものがあるってことだ」
俺は、庭で楓と一緒に子供たちと遊んでいるひかりの姿に目をやった。
「俺はあの子たちのあの笑顔を守るためならなんだってできる。悪魔にだって魂を売れるぜ」
♢
その夜、俺は楓と二人きりで月見酒を楽しんでいた。
子供たちは、もうぐっすりと眠っている。
静かで穏やかな時間。
「拓也さん」
楓が俺の肩に、そっと頭を乗せてきた。
「…あまり、無理はしないでくださいね。あなたが私たちのために戦ってくれているのは分かっていますから」
「分かってるよ」
俺は、彼女のその華奢な体を優しく抱き寄せた。
この腕の中にある温もり。
この穏やかな時間。
これこそが、俺の全てだ。
俺が人生の全てを賭けて守り抜かなければならない唯一無二の聖域。
俺は改めて心に誓った。
この聖域を脅かす者は、誰であろうと絶対に許さない、と。
王の本当の戦いはここから始まるのだ。
そう静かに覚悟を固めていた。




