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一夜の伝説、そして次の戦場へ

 その夜アマンの書斎には俺と陽介、健司が集まっていた。

 俺の最強の、そして唯一無二の親友たちだ。

 部屋の空気は昨夜のPANDORAでの刹那的な勝利ムードとはまるで違う。

 重く張り詰めた、まるで戦の前の静けさのような空気が俺たち三人を支配していた。


「…拓也。昨夜は派手にやったな」


 健司が分厚い損失報告書と市場の反応をまとめたレポートを眺めながら静かに言った。


 財閥のCEOとして、その声には興奮も非難もない。

 ただ、冷静に事実だけを述べる。

 その顔つきは、もう昔のような気弱なサラリーマンの面影はなく数兆円の帝国を預かる冷徹な守護者の顔だった。


「ああ。だが、あれはただの挨拶代わりだ。本物の戦争はここから始まる」


 俺はテーブルの上にMr.リーの黒い名刺を置いた。

 そのシンプルなデザインが、逆に彼の底知れない自信を物語っているようだった。


「面白いじゃねえか」


 口火を切ったのは陽介だった。

 だが、その声には軽薄さはない。

 ソファに深く腰掛け、長い脚を組むその姿は日本最大のエンターテイメント部門を率いるCOOとしての風格に満ちていた。

 その瞳の奥には獰猛な闘志が静かに燃えている。


「正体不明のラスボスなんて最高の相手だ。健司が金で守り、俺がメディアで殴る。最高の布陣だろ?それに相手がデカければデカいほど倒した時の伝説もデカくなる」


「楽観視するな、陽介」


 健司が鋭くそれを諌めた。


「相手は俺たちのやり方を完全に研究し、その上で同じ土俵に乗ってきた。金の使い方も人の動かし方も、俺たちと、あるいは拓也と極めて似ている。だが、そのバックボーンが全く見えない。これは鏡に映った自分と戦うようなものだ。一歩間違えれば全てを失うぞ」


 俺はそんな頼もしく成長した二人を見て満足げに頷いた。

 そして、健司に指示を出す。


「健司。エリカをここに呼べ。彼女の意見が必要だ」


「…エリカを?」


 陽介が意外そうな顔をした。


 エリカ。

 かつて俺が金銭的に支援していたあのプライドの高い女。

 15年以上も前に俺の元を離れていったはずの。


 健司が俺の意図を察して説明する。


「陽介、お前は知らないかもしれないが、俺たちはずっと彼女と繋がっていたんだ」


「は?どういうことだよ」


「彼女が自分のブランド『FLEUR』を立ち上げた時、ウチの投資部門が最初に出資した。もちろん拓也の指示でな。彼女の才能は本物だった。今や『FLEUR』はアジアで最も勢いのあるラグジュアリーブランドの一つだ。そして、佐藤財閥はその筆頭株主として今も彼女を支援し続けている。彼女はもはやただ昔の女じゃない。俺たちの重要なビジネスパートナーであり、いわば佐藤ファミリーの一員なんだよ」


 数十分後。

 エリカが書斎に姿を現した。

 彼女はもはや夜の世界の女ではない。

 黒いシャネルのスーツを完璧に着こなし、巨大なブランドを率いるカリスマ経営者の顔をしていた。

 その瞳は、俺を対等なビジネスパートナーとしてまっすぐに見つめている。


「話は聞いたわ、拓也。…とうとう来たのね」


 俺は彼女にMr.リーの資料を渡した。

 彼女はその資料に数分間目を通すと静かに、そして的確に分析を始めた。


「…彼のやり方は合理的すぎるわ。そして、冷徹よ」

「昨夜の戦いは、ただの、陽動ね。私たちが六本木の小さな勝利に酔いしれている間に、彼は昼の世界で着実にその支配領域を広げているわ。美月の映画も、私が今進めているヨーロッパでの事業展開もその背後には必ずリー・ホールディングスの影がちらついている」


 彼女はタブレットを操作し、一枚の世界地図をモニターに映し出した。

 そこには、Mr.リーがここ一年で投資、あるいは買収した世界中の企業のロゴがマッピングされている。

 その数は百を超えていた。


「気づいた時には私たちは完全に包囲されている。これが彼の戦争のやり方よ」


 完璧な分析だった。

 俺が漠然と感じていた敵の不気味さの正体を彼女は的確に言語化してみせた。


「…じゃあ、どうするんだよ」


 陽介が唸るように言った。


 俺は満足げに頷いた。

 そして立ち上がると窓の外に広がる東京の街を見下ろした。

 ここが俺たちの新しい戦場だ。


「ああ。決まってるだろ」


 俺は不敵に笑った。


「奴が昼の世界で戦うというのなら、俺たちも昼の世界で迎え撃ってやるまでだ。これより佐藤財閥は、Mr.リーに対し全面的な経済戦争を開始する」


 俺は健司に指示を出した。


「健司。今すぐ5000億、動かせるようにしておけ。奴が買収した企業、その全ての競合他社を明日俺たちが買う。奴の作る地図を俺たちの色で上書きしてやれ」


 次に、陽介に。


「陽介。お前はメディアを完全に支配しろ。これからMr.リーが行う全ての事業が失敗するようにあらゆるネガティブキャンペーンを水面下で仕掛けろ。奴を金の亡者として世界中の笑い者にしてやれ」


 そして、最後にエリカに。


「エリカ。お前はファッション業界の女王として、奴らの侵攻を正面から受け止め、そして叩き潰せ。お前のその才能とプライドの全てを賭けてな」


 俺の王としての勅命。

 健司、陽介、そしてエリカ。

 俺の最強の仲間たちは、それぞれの覚悟の表情で力強く頷いた。


 俺たちの本当の戦場は、もはや六本木の夜ではない。

 世界の経済の中心、東京。

 この巨大なゲーム盤の上で、俺とMr.リーの知性と資産の全てを賭けた総力戦が始まろうとしていた。


 俺は楓とひかりの穏やかな寝顔を思い浮かべた。

 あの聖域を汚す奴は誰であろうと絶対に許さない。

 俺の王としての最後の戦いが、今、静かに幕を開けた。

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