宣戦布告
俺が『月光』でMr.リーの右腕に事実上の宣戦布告をしてから数週間。
意外なことに、敵からの目立った反応は何もなかった。
まるで、嵐の前の静けさのように六本木と銀座の夜は穏やかなままだった。
「…どうなってんだ、拓也」
陽介が少しだけ苛立ったように言った。
俺たちはその日もアマンの書斎で作戦会議を開いていた。
「俺たちのケンカの売り方派手すぎたか?ビビって尻尾巻いて逃げちまったとか」
「それはない」
健司が冷静に陽介の言葉を否定する。
「彼らの資本力は本物だ。何か大きなことを仕掛けてくる前触れと見るべきだろう」
「だろうな」
俺は健司の分析に同意した。
Mr.リーは俺と同じ種類の人間だ。
感情で動かない。
勝てると確信した時にだけ、最も効果的な場所を最も効果的なやり方で攻撃してくる。
俺たちは敵の次の一手を、ただ待つことしかできなかった。
そして、その一撃は俺たちの想像を遥かに超える形で帝国の心臓部へと叩き込まれた。
そのニュースが飛び込んできたのはある金曜の夜だった。
陽介から鬼気迫るような声で緊急の連絡が入った。
『拓也!やべえ!「Club Z」の、すぐ目の前のビル!今日、いきなり新しいクラブがオープンしやがった!』
「…ほう」
『名前は『PANDORA』!とんでもねえぞ、この店!内装だけで100億はかかってる!しかも、オープン記念で今夜は全ての会計がタダらしい!』
俺は思わず笑ってしまった。
なるほど。
俺がかつてやったことと全く同じやり方で殴り返してきたというわけか。
面白い。
『それだけじゃねえ!六本木中の店からトップクラスの子たちが何人も引き抜かれてる!提示された移籍金一人5000万だそうだ…!』
『そしてな、拓也…。そのPANDORAの総支配人を任されてるのが誰だか分かるか…?』
陽介が少しだけ声を潜めた。
『ミナだ。あのミナが、六本木の夜に、俺たちの敵として帰ってきた』
俺はすぐに健司と合流し「Club Z」へと向かった。
店の前はまさに戦場のようだった。
目の前のビルにオープンした「PANDORA」には、黒塗りの高級車がひっきりなしに吸い込まれていく。
きらびやかなドレスを着た女たちが「Club Z」に見向きもせず、その新しい城へと笑顔で入っていく。
明らかに「Club Z」の客足は半分以下になっていた。
「…どうする、拓也」
健司が険しい顔で俺に尋ねる。
「ミナが相手のトップとなると厄介だぞ。彼女は俺たちのやり方を知り尽くしている」
「慌てるな、健司」
俺は静かに敵の城を見据えていた。
ミナ。
俺が、かつて愛し、そして追放した女。
彼女がキャストではなく、店を率いる「ママ」として俺の前に再び現れた。
面白い。
面白すぎるじゃないか。
俺は陽介に電話をかけた。
「陽介。今すぐPANDORAに乗り込むぞ」
『おう!待ってたぜ、その言葉を!』
「だが、お前は「Club Z」で待機してろ。今夜の主役はお前だ」
『は?どういうことだよ』
俺は不敵に笑うと電話を切った。
そして、健司と共に敵の本拠地「PANDORA」の重厚な扉を開けた。
店内はまさに竜宮城だった。
金と大理石と最新のテクノロジーが融合した圧倒的な空間。
俺たちが席に着くと、すぐに彼女が勝ち誇ったような笑顔で挨拶に来た。
ミナだった。
数年ぶりに見る彼女は、かつての傷心の面影はなく黒い着物を優雅に着こなし店全体を支配する女王の風格を身にまとっていた。
「あら、佐藤様。このような新しいお店にまでご足労いただき光栄ですわ。昔の女の店が気になりました?」
その嫌味な言い方。
俺は気にもせず彼女に静かに尋ねた。
「Mr.リーは、来ているのか?」
「さあ?あの方はお忍びがお好きでいらっしゃいますから」
その時だった。
店の奥にある一番豪華なVIPルームの扉が静かに開いた。
そして、中からあの蛇のような目をしたMr.リーの右腕の男が姿を現した。
彼は俺の存在に気づくと、挑発するようにグラスを掲げてみせた。
俺は、その挑戦を笑顔で受け止めた。
そして、陽介に一通だけメッセージを送る。
『始めろ』
その瞬間六本木の夜空に数百発の壮大な花火が打ち上がった。
「Club Z」のビルから放たれた宣戦布告の花火。
PANDORAにいた客たちが何事かと一斉に窓の外を見る。
そして、陽介の声が「Club Z」のビルに設置された巨大なスピーカーから六本木中に響き渡った。
「――今夜、この街の本当の王が誰なのか教えてやる!「Club Z」では、今から全ての会計を無料にする!」
「そして!PANDORAに5億で引き抜かれた女たち!もし、今すぐその汚ねえ契約を破棄して俺たちの「Club Z」に戻ってくるなら!俺たちの王はその倍!!祝い金として現金で10億円をくれてやる!!」
陽介の常識外れの宣言。
PANDORAの店内が、一瞬で爆発したかのような騒然となった。
キャストの女の子たちが悲鳴に近い声を上げ互いに顔を見合わせている。
5億でも破格なのに、その倍10億。
もはや、金の価値観を破壊する神の遊びだ。
俺は静かに立ち上がると、呆然としているミナと顔を引きつらせているMr.リーの右腕に最高の笑顔で言ってやった。
「悪いが今夜は少し高くつきそうだぜ?お前たちの戦争ごっこはな」




