女王の才覚
エリカのアナザーストーリー2話目です
その日から私の生活は一変した。
拓也が用意したタワマンの一室は、もはや鳥かごではなく私の戦場となった。
壁には巨大なモニターが設置され、世界中の市場の動きが24時間リアルタイムで映し出されている。
最初に拓也が私に与えた軍資金は10億円だった。
彼にとっては資産のほんの一部。
失敗しても痛くも痒くもない金額。
だが、私にとっては人生の全てを賭けるには十分すぎるほどの金額だった。
私は眠る時間も惜しんで勉強した。
金融工学、マクロ経済、チャート分析。
夜の世界で男の心を読んでいた時と同じ集中力で、私は市場という気まぐれで残酷な生き物の心を読もうとしていた。
最初は失敗の連続だった。
ビギナーズラックで得た利益は、次の日にはあっという間に吹き飛んだ。
数千万円という金が、クリック一つで一瞬にして消えてなくなる。
その恐怖に何度も吐き気を催し心が折れそうになった。
だが、私は諦めなかった。
これは拓也が私に与えてくれた唯一のチャンスなのだ。
ここで結果を出せなければ、私は、また、あの無気力な置物の日々に逆戻りしてしまう。
それだけは絶対に嫌だった。
私は自分のやり方を見つけ始めた。
数字の分析だけではない。
夜の世界で培った人の心の裏を読む力。
噂の出どころ、大衆の熱狂、そして、その裏にある巨大な資本の思惑。
その全てを私は肌感覚で感じ取ることができた。
拓也はそんな私の戦いを静かに見守っていた。
彼は一切口出しをしない。
ただ、週に一度だけ私の部屋を訪れ、私が淹れたコーヒーを飲みながらこう尋ねるだけだった。
「…戦況は、どうだ?」
その試すような視線。
それが、私にとっての何よりの燃料だった。
いつか、この男を心の底から「すごい」と言わせてやる。
その一心で私はモニターの前に座り続けた。
三ヶ月が過ぎた頃。
私に転機が訪れた。
ある新興国の小さなバイオテクノロジー企業。
私はその会社が持つ革新的な技術の噂を、海外のゴシップ記事の中から偶然見つけ出した。
まだ、どの金融アナリストも注目していない、ダイヤの原石。
私は自分の直感を信じ、軍資金の半分である5億円をその会社の株に集中投資した。
それは狂気の沙汰だった。
もし、この賭けに負ければ私は全てを失う。
だが、私の読みは当たった。
一週間後、その会社は画期的な新薬の開発に成功したと発表。
株価は一日で10倍以上に跳ね上がった。
私の10億円の資産は一気に50億円を超えた。
その日の夜、拓也がいつものように私の部屋を訪れた。
「…戦況は、どうだ?」
私は何も言わずに、タブレットの取引画面を彼に見せた。
そこに表示された圧倒的な利益の数字。
彼はその画面を数秒間無言で見つめていた。
そして、初めて私にあの軽蔑したような笑みではない、心からの感嘆の笑みを向けてきた。
「…ははっ。面白いじゃねえか」
彼は初めて私のことを「お前」ではなく、一人の人間として認めてくれた。
「合格だ、エリカ。お前は俺のパートナーになる資格を得た」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙が溢れてきた。
悔し涙ではない。
屈辱の涙でもない。
生まれて初めて自分の力で何かを成し遂げた喜びの涙だった。
「どうした?」
「…いえ。目に、ゴミが入っただけです」
私は必死でそう言って顔を逸らした。
この男の前で弱い姿を見せるのは、まだ早い。
私の戦いはまだ始まったばかりだ。
これからは彼の隣で対等なパートナーとして、もっと大きな世界と戦っていくのだから。
王と、そして、彼が認めた唯一の女王として。
二人の奇妙で危険な共犯関係が、この夜本当の意味で始まった。




