母と女王と
ミナのアナザーストーリー4話目です
息子が生まれてから、私たちの生活は子供を中心に回るようになった。
名前は拓也さんが「希望」と書いて、「のぞむ」と名付けた。
彼がどれほどこの子の誕生を待ち望んでいたかが、伝わってくるような温かい名前だった。
私は母親になった。
夜の世界で嘘と偽りで固めた鎧を着ていた私が、この小さな無防備な命を守る母親に。
最初は戸惑うことばかりだった。
夜泣きに、おむつ替え、慣れない沐浴。
睡眠不足で心も体もボボロボロになりそうだった。
だが、そんな私を拓也さんは献身的に支えてくれた。
彼はどんなに仕事が忙しくても、必ず家に帰ってきて息子の面倒を見てくれた。
夜泣きがひどい夜は、一睡もせずにずっと息子を抱きしめてリビングを歩き回っている。
その背中は六本木の王でも神のような投資家でもない。
ただの、一人の息子を愛する父親の背中だった。
私はそんな彼の姿を見るたびに、胸がナイフで抉られるように痛んだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい、拓也さん。
あなたがその腕に抱いている子は、あなたの本当の子じゃないの。
罪悪感が日に日に私を蝕んでいく。
カイトからの連絡は、もうほとんど無視するようになっていた。
息子の顔を見ていると、彼の存在そのものがおぞましいものに感じられたからだ。
カイトは時々金の無心をするために苛立ったようなメッセージを送ってきたが、私はただ黙って金を振り込むだけだった。
もう、彼への愛情など1ミリも残っていなかった。
私の世界の全ては、この偽りの家の中にあった。
息子、希望。
そして、夫である拓也さん。
この二人だけが、私の全てだった。
希望が一歳になった頃。
彼は初めてたどたどしい言葉で私を呼んだ。
「…まんま」
その天使のような声。
私は涙が溢れて止まらなくなった。
私はこの子の母親なのだ。
どんな罪を背負っていようと、この子のたった一人の母親なのだ。
その日から、私は少しだけ変わった。
ただ罪悪感に苛まれるのではなく、この子を世界で一番幸せにしてみせる、と。
そして、拓也さんにとって最高の妻であり続けよう、と。
それが、私の唯一の贖罪の形だと思ったからだ。
私は再び女王の仮面を被った。
だが、それは昔のような自分のための嘘ではない。
愛する息子と夫を守るための、強くしなやかな鎧だった。
私は拓也さんが主催する、日本のVIPが集まるパーティーにも堂々と出席した。
大富豪の妻たちを相手に一歩も引けを取らない。
拓也さんが教えてくれた、知性と、教養。
そして、母親になったことで得た本当の強さ。
その全てが私を内側から輝かせていた。
誰もが私を「キング・サトウにふさわしい、完璧な女王だ」と、賞賛した。
拓也さんもそんな私の姿を誇らしげな目で見守ってくれている。
幸せだった。
偽物だと分かっていても、この上なく幸せだった。
このガラス細工のような毎日が、一日でも長く、一秒でも長く、続きますように。
私は毎晩、神様にそう祈っていた。
だが、神様はいつだって気まぐれだ。
私がようやく手に入れたこのささやかな幸せを奪い去るための残酷なシナリオを、もう、用意していた。
そして、その脚本家が私の愛する夫、佐藤拓也その人であることをこの時の私はまだ知る由もなかった。




