王の金庫番
健司のサイドストーリー最終話です
拓也の敵対勢力を潰すための情報戦。
それが、俺の人生の大きな転機となった。
俺はもうただの「拓也のダチ」ではない。
彼の巨大な資産を守り、そして増やすための重要な役割を担うビジネスパートナーの一人なのだ。
その自覚が俺の背筋を伸ばし臆病だった心に小さな自信の灯をともしてくれた。
拓也が楓さんという素晴らしい女性と出会ってからは、俺の仕事はさらに重要性を増していった。
拓也は夜の世界で遊ぶ時間を減らし、その分俺に多くのことを任せるようになった。
伊豆の旅館の経営管理、Jリーグチームの財務状況のチェック、そして彼が気まぐれに買い集める数々の資産の管理。
俺は生まれて初めて「仕事が楽しい」と感じていた。
毎日が勉強だった。
世界トップクラスの会計士や弁護士たちと渡り合い、彼らから本物の知識を吸収していく。
妻もそんな俺の変化に気づいていた。
「あなた、最近顔つきが変わったわね。昔よりずっと頼もしくなった」
そう言って微笑んでくれる。
家族を守るための本当の力を拓也の金を通して少しずつ手に入れ始めていたのだ。
だが、俺の心の中には常に一つの大きな恐怖があった。
それは、拓也の資産そのものに対する恐怖だ。
俺が管理している金の額は、もはや中小国家の国家予算に匹敵する。
インデックス投資の口座は市場の機嫌が良い日には一日で数億円の含み益を生み出す。
逆に機嫌が悪い日には同じ額が一瞬で消えてなくなる。
俺はそのあまりに現実離れした数字の変動を見るたびに心臓が縮むような思いをしていた。
もし、俺の判断一つでこの天文学的な資産に何か損害を与えてしまったら…?
そのプレッシャーは想像を絶するものだった。
拓也本人はそんな俺の気苦労など全く気にしていないようだった。
「健司。そんな細かい数字気にすんなよ。減ったってどうせまた増えるんだから」
そう言って、彼は笑う。
彼にとって数百億円の金はただのゲームのスコアでしかないのだ。
だが、俺は違う。
俺はどこまでいってもただの凡人だった。
その拓也との絶対的な器の違いを俺は毎日嫌というほど見せつけられていた。
♢
2034年。
その運命の日、俺はいつものようにオフィスで会社の設立準備に関する書類と格闘していた。
拓也はその日楓さんと過ごすと言って珍しく休暇を取っていた。
穏やかないつもと変わらない一日になるはずだった。
夕方頃、拓也から一本の電話がかかってきた。
その声はいつもと変わらず穏やかだった。
『健司。今、大丈夫か?』
「おう、拓也。どうしたんだ?」
『見てみろよ。お前の目の前のモニターを』
俺は言われるがままに常に表示させているビットコインの価格チャートに目をやった。
そして、そこに表示されている数字を見て息を呑んだ。
1BTC = 400,000,000 JPY
来てしまった。
拓也が10年以上前からずっと予言していたその瞬間が。
彼のビットコイン資産が2兆円近くにまで膨れ上がったのだ。
俺はあまりの衝撃に声も出せずにいた。
受話器の向こうで拓也が静かに笑うのが分かった。
『…ということで、健司。いよいよ、最後のゲームを始めるぞ』
翌日。
俺は拓也のオフィスで改めて彼と向き合っていた。
彼の前には一枚の企画書が置かれている。
【佐藤ホールディングス設立計画書】
未来そのものを創り変えるための、壮大すぎる最後のゲーム。
そして彼は、俺にその巨大な帝国の「金庫番」になれ、と言った。
数兆円規模の資産を全て俺に管理しろ、と。
「…む、無理だ、拓也」
俺は思わず弱音を吐いていた。
「俺には、そんな大役務まるわけがない…!」
「何言ってんだよ」
拓也は呆れたように、しかし、優しい目で俺を見た。
「お前しかいねえだろ」
「…え?」
「陽介は金の計算はできねえ。金で雇ったエリートたちは俺のことは尊敬しても心から信頼することはできねえ。俺のこの馬鹿げた資産を俺と同じくらい真剣に、そして、ビビりながら大切に扱ってくれるのは世界中でお前だけだ、健司」
拓也は続ける。
「俺はお前のその『凡人』としての感覚を信じてるんだよ。
それこそが、この帝国にとって一番大事なブレーキになる」
俺は何も言えなかった。
俺がずっとコンプレックスに感じていた自分の弱さ、平凡さ。
それを拓也は最大の「強み」だと言ってくれたのだ。
俺の目から涙が溢れてきた。
それは、昔ファミレスで流した情けない涙とは全く違う温かい涙だった。
俺は涙を拭うと最高の親友に向かって人生で一番力強く頷いてみせた。
「…ああ。任せろ、拓也」
俺は差し出された企画書を震える手で、しかし、しっかりと受け取った。
「お前のそのデカすぎる金庫。俺が命をかけて守ってやるよ。ダチ、だろ?」
凡人には凡人の戦い方がある。
王が安心して空を飛べるように、俺は地上で誰よりも固くその土台を守り続ける。
それが俺が見つけた俺だけの誇り高い生き方なのだから。




