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王様の涙

楓のサイドストーリー4話目です

拓也さんと恋人になってから、私の毎日は幸せな色に満ちていた。

でも、その幸せと同時に小さな不安がいつも心の隅にあった。

彼は私の知らない世界をたくさん持っている。

その世界に私は決して触れることができない。

そんな、寂しさ。


お店の家賃のことで悩んでいた、あの日。

彼が「温泉でも行かないか」と誘ってくれた時、私は心の底から嬉しかった。

私の悩みを彼が自分のことのように受け止めてくれようとしている。

その優しさだけで私は救われた気持ちになった。


連れてこられたのは、伊豆にある夢のような旅館だった。

美しい庭園、静かで洗練された空間。

そして、女将さんや従業員の方々のどこか特別で丁重なもてなし。

私はただ圧倒されるばかりだった。


その夜、部屋の露天風呂から二人で月を眺めていた。

最高の温泉と彼の隣にいるという幸福感で私の心は満たされていた。

もう、お店のことなんてどうでもよくなっていた。

この時間が永遠に続けばいいのに、と。


その時だった。

拓也さんが、私の肩をそっと抱き寄せた。

そして、今まで聞いたこともないような真剣な声で言った。


「楓」

「俺、お前に話さなきゃいけないことがある」


私の心臓が大きく跳ねた。

予感がしたのだ。

私がずっと知りたくて、でも目を逸らしてきた彼の世界の扉が、今、開かれようとしているのだと。


彼の口から語られたのは、私の想像を遥かに超えた物語だった。

6億円の宝くじ。

1000億円という、天文学的な資産。

六本木の夜の王としての、もう一つの顔。

そして、この旅館も彼が所有する彼だけの城であるという信じられないような真実。


私は何も言えなかった。

ただ、彼の言葉の一つ一つを必死に心に刻みつけていた。


全てを話し終えた彼がどんなに苦しそうな顔で俯いていたか。

彼はきっと私が彼を軽蔑し彼の元を去っていくことを覚悟していたのだろう。


でも、私の心の中にあったのは恐怖や怒りではなかった。

むしろ、逆だった。

ああ、そうだったのか、と。

パズルのピースが全てハマったような不思議な納得感。


だから、あの人はあんなに寂しそうな目をしていたんだ。

だから、私の淹れる500円のコーヒーをあんなに美味しそうに大切そうに飲んでくれたんだ。


私は彼の全てをようやく理解できた気がした。


「私が聞きたいのは、一つだけです」


私は彼の顔をまっすぐに見つめた。


「あなたが今まで私に見せてくれていた笑顔は、本物でしたか?

神保町のカフェで、コーヒーを飲みながらくだらない話をして笑っていたあの時間は本当でしたか?」


それが私にとっての全てだった。

彼が億万長者だろうと、夜の王だろうと、そんなことはどうでもよかった。

ただ、私が愛した「佐藤拓也」という男が本物であったことだけを確かめたかった。


その瞬間、彼の瞳から大粒の涙が、いくつも、いくつも、こぼれ落ちた。

彼はまるで迷子になった子供のように声を上げて泣きじゃくった。

その涙は彼がずっと一人で背負ってきた孤独の重さそのものなのだと私には分かった。


私は何も言わずにそんな彼の背中を優しく何度も撫でてあげた。


どれくらいの時間が経ったのだろうか。

ようやく泣き止んだ彼の顔は、初めて会ったあの日の寂しそうな青年とは全く違う顔をしていた。

全ての鎧を脱ぎ捨てた、ありのままの佐藤拓也の顔。


私は最高の笑顔で彼に言った。


「おかえりなさい、拓也さん。…ずっと、待っていましたよ」


彼は驚いたように目を見開いた。

そして、私を力強く抱きしめた。

その腕の温かさを感じながら私は心に誓った。

これからは私がこの人の唯一の安らぎの場所になろう、と。


王様がただの男の人に戻ったその夜。

私たちの本当の物語がようやく始まったのだ。

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