王様のコーヒー
あれから、10年の歳月が流れた。
2044年、東京。
世界は俺たちが夢見た未来へと、少しだけその姿を変えていた。
「佐藤ホールディングス」は、もはや日本の一企業ではなく、世界の未来を牽引する巨大な複合体となっていた。
俺たちが出資したAIは医療を進化させ、宇宙ベンチャーは月面基地の建設を始めていた。
健司が夢見た「世界一のゲーム」は、現実となり、世界中の人々を熱狂の渦に巻き込んでいる。
俺は雑誌の「世界を変える100人」といった特集の常連であり、世間からは謎に包まれた若き天才投資家、あるいは慈善家として知られている。
だが、俺自身はほとんど表舞台に出ることはない。
財閥の経営はCEOとなった健司と世界中を飛び回る陽介に任せている。
彼らはかつてのしがないサラリーマンの面影はなく今や日本を代表するカリスマ経営者となっていた。
六本木の夜の帝国も、陽介の指揮のもとクリーンでより洗練されたエンターテイメントへと進化を遂げていた。
かつて俺が育てた、ユイやレイカはそれぞれが自分の夢を叶え夜の世界を卒業していったらしい。
俺はもう王ではない。
ただ、静かに自分が創り出した世界の行く末を眺めているだけだ。
その日の昼下がり。
俺は神保町のあの小さなカフェのカウンターに座っていた。
10年前と何も変わらない穏やかな場所。
「はい、拓也さん。いつもの」
エプロン姿の楓が、一杯のコーヒーを俺の前に置いてくれる。
彼女は40歳を過ぎても、出会った頃と変わらず穏やかで美しい笑顔をしていた。
彼女は財閥のトップである俺の妻でありながら、今もこの小さな自分の城を何よりも大切にしている。
カラン、とドアベルが鳴り、一人の少女が店に駆け込んできた。
楓とそして俺の面影を半分ずつ受け継いだ、俺たちの娘だ。
「お父さん!見て見て、テストで100点取ったよ!」
「おお、すごいじゃないか」
俺は娘を膝の上に乗せ、その頭を優しく撫でた。
娘の屈託のない笑顔。
楓の穏やかな眼差し。
俺は気づけば、2兆円でも、10兆円でも、手に入れることができなかったであろう温かい幸福感に包まれていた。
宝くじ一枚から始まった、俺のクレイジーな人生。
金でほとんどのものは手に入った。
だが、俺が最後にたどり着いたこの一杯のコーヒーと、愛する家族との何気ない午後。
これだけは金では決して買えない俺だけの本物の宝物だ。
俺は娘を抱きしめながら楓が淹れてくれた世界一美味いコーヒーをゆっくりと味わった。
その味は、深く、そして、どこまでも優しい味がした。
次から一旦サイドストーリーとアナザーストーリーを挟みます。




